青春と読書
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深谷敏雄 著『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』と戦後七十年
対談  いつまで「戦後」は続くのか  川村 湊×成田龍一
今年は、「戦後七十年」ということで、さまざまな分野で先のアジア・太平洋戦争の回顧・検証がなされています。そうした中でも、衝撃的な驚きをもって話題を呼んでいるのが、深谷敏雄著『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』(集英社、二〇一四年十二月刊)です。

【『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』概要】

深谷義治(一九一五―二〇一五)は、戦時中に日本陸軍憲兵隊員として諜報活動に携わるべく、中国人女性・陳綺霞(チンチヤ)と謀略結婚。敗戦後も上官から「任務続行」の命を受け、日本人であることを偽り、十三年間、上海に潜伏しながら任務を続行するが、一九五八年六月、スパイ容疑で中国公安当局に逮捕。後には、妻と四人の子どもたち(長男重雄・当時十二歳、次男敏雄・十歳、三男龍雄・六歳、長女容子・零歳=名前はいずれも日本国籍取得後のもの)が残された。一家は、それまでの「中国人」から一転して「反革命分子の日本人」として差別にさらされ、極度の貧困に陥る。加えて、折からの「文化大革命」は一家をさらなる苦境へと追い込み、長男は無実の罪に問われ逮捕、弟二人は「下放」されて地方の農村へ送られた。義治の獄中生活は二十年四カ月にわたり、その間、左目を失明し、身長が十センチも縮むという過酷なものであった。義治が釈放されたのは、日中平和友好条約が締結された七八年十月。翌十一月、三十四年ぶりに祖国の土を踏む。ようやく戻った祖国だが、戦時中の婚約破棄が重婚罪に問われ、軍人恩給が横領されるといったさまざまな問題が待ち受けていた……。(敬称略)

本書には、この義治氏の苛烈な体験とともに、残された家族の苦難の歩みもつぶさに綴られています。父親の汚名をそそぐべく敏雄氏は六年の歳月を費やし、原稿清書にあたっては、娘の富美子さんの大きな助けがあったといいます。
本誌では、一昨年完結した『コレクション戦争×文学』(全二十巻・別巻一、集英社刊)の編集委員を務められた、文芸評論家の川村湊さんと近現代史研究家の成田龍一さんのお二人に、このノンフィクションが現代日本に問いかける意味をめぐって、お話ししていただきました。



八月十五日で
戦争が終わらなかった人びと


川村  この本のタイトルに「最後の帰還兵」とあります。一九七二年にグアム島から帰ってきた横井庄一さんも、「最後の日本兵」といわれ、その二年後、ルバング島から小野田寛郎さんが帰ってきたときも、やはり「最後の」という形容がついていた。
 まず思ったのは、なぜこうやって「最後の」が繰り返されるのかということでした。これはつまり、七十年たってもまだ本当の意味では戦争が終わっていないということです。今年は「戦後七十年」といわれていますが、私はもう「戦後○○年」という言い方はやめたほうがいいんじゃないかと思っています。そうしないと、いつまでたっても「戦後」から抜け出すことができない。これで最後か、これで最後かと思っていると、また別の「最後」が出てくる。
 それから、同じ帰還兵といっても、この深谷義治さんの場合は、横井さんや小野田さんのようにジャングルで潜伏していたのではなく、上海という都市──獄中ではあっても──にいたということに違いがあるような気がする。むしろ、やはりスパイ容疑で中国当局に二十八年間拘束されていた伊藤律のことを思い出しました。

成田  なるほど。

川村  伊藤律の場合は、スパイといっても、日本共産党内部の問題ですから、深谷さんとは違いますが、横井、小野田、伊藤、深谷と並べてみても、じつにさまざまな「戦後」──といっても彼らにとっては戦争はずっと継続していたわけですが──があるのだと、つくづく思いました。
 この本では、父親の獄中の手記と息子さんの手記とを交互に並べるという構成になっている。これは、義治さんが病に臥せっていたこともあってやむを得なかったところがあったのだろうと思いますが、それがゆえに、過去と現在とが明確に切断されることなく、過去の中に現在が紛れ込んだり、あるいは現在の中に過去が紛れ込むという不思議な構造になっている。単なる懐古談でもないし、リニアーな時間軸に沿っているわけでもない。ただその分、文脈を辿りにくいところも少なからずあるわけですが。

成田  私なりにこの本の読みどころを整理してみると、三つあると思います。
 一つは、川村さんも言われたように、八月十五日で戦争が終わらなかった人々がたくさんいた。当時の言い方では「外地」にいた人たちです。敗戦時に国外にいたのは、民間人が三百万人、兵士が三百万人。そのときの日本の人口が七千万ですから、総人口のほぼ一割に匹敵するような人々が、復員、引き揚げという形で戻ってきた。これまでは、それに伴うさまざまな物語が語られてきましたが、ここにきて、帰ってくることができなかった人々がいたということにも焦点が当てられてきた。シベリアに抑留された人たちであり、残留女性、残留孤児と呼ばれる人たちであり、あるいは中国における留用者たち、さらには、今後ますます焦点が当たってくるだろう戦犯、捕虜。
 そして、先ほど川村さんがいわれた横井さんや小野田さんなどの残留日本兵。彼らの場合、現地社会からは孤立していましたが、残留日本兵のなかには、インドネシアやベトナムの独立運動に関わった人たちもいた。小野田さんや横井さんのように潜伏していた人とは異なって、社会参加する残留日本兵がいたわけです。そういうところまでは頭に入っていたのですが、この深谷義治さんのような、スパイとして残っていたという方は初めて知りました。こうした人生のありようが明らかになったことは、とても大きな事柄だと思います。
 さらに、深谷義治さんは戦時だけでなく戦後もスパイ活動をして、それに伴って、今度は反革命分子という扱いを受け、二十年を超える年月、獄中に入れられる。つまり彼の場合には、戦時の行為が、文化大革命という戦後の矛盾と重なることによって、戦争の影と戦後の影との双方をずっと引きずるような人生を送っていく。しかも、日本に戻ってくることによって問題が解決したのではなく、新たに重婚罪や恩給横領という形で、戦時の問題がふたたび蒸し返される。戦争の問題が未解決のまま、戦後の矛盾が加わっていくわけです。絶えず政治の渦の中に巻き込まれ、緊張感を持って生きてきたという個人の生の有り様がこの中に書かれている。これが二つめです。
 そして三つめは、その体験を叙述する場合に、父親の人生と息子の人生が重なりながらも、ある距離を保ちながら書かれる形式になっている。川村さんがいわれたこの本の構成もそのことに関わってくると思いますが、敏雄さんが父親の人生を相対化して文章として叙述することは、ある意味、戦争の証言、戦後の証言を親子で合作したともいえる。もっといえば、原稿を清書する段階では孫も加わっていますから、三代にわたって戦争の証言を受け継ぎ、考えていくという書物になっている。その意味でも、今後の問題として、戦争の証言や記憶をどういう形で残すかというときの一つの形を示しているような気がします。

川村  ここで書かれているような戦後体験は、ほとんど類型がない。横井さん、小野田さんの体験、それから山西省で「蟻の兵隊」として国民党軍に組み込まれてしまった人たちとも違うし、シベリア抑留とももちろん違うし、浅田次郎さんが『終わらざる夏』で書いた敗戦後に千島でソ連軍と戦った人たちとも違う。
 強いていうなら、戦中に受けた命令を戦後まで守り続けるという意味では、小野田さんと似ていますね。

成田  小野田さんは陸軍中野学校を出ている。一方の深谷さんは、同じ中野にある陸軍憲兵学校を出ていて──中国当局に陸軍中野学校と間違えられたことに、深谷さんは憤っていますが──、どちらも軍人としての不屈の精神を鍛えられている。日本軍人としての誇り、国家への忠誠、さらに加えて上官から受けた命令の遂行といったメンタリティーはよく似ている。深谷さんは、それが獄中での拷問を耐え抜く心の支えになっていますが、そうした自分の支え方は、読んでいて切ないところでもありますね。

川村  横井さんの場合は、基本的には戦争が終わったことを知らなかったわけです。小野田さんは、上官がルバング島に行って、そこで命令解除したことで初めて出てくる。つまり、それまで命令が解除されてないから、小野田さんは出てこられなかった。
 それらと重ねてみて、私が疑問に思うのは、深谷さんはなぜ命令解除ということを考えなかったのだろうかということです。本の中にも出てきますが、彼は、ポツダム宣言を受けて日本軍が無条件降伏したということは知っている。武装解除と兵士の復員を日本軍は受け入れた。そうすると、その時点で命令は解除されていなければいけないし、解除されたと考えるべきなんですね、本来は。ところが、彼は戦後もスパイ活動を続ける。上官の命令とはあるけれど、その活動内容や目的については最後まで明かされない。

成田  それを語らないままに亡くなったというのは、相当のことをやったという自覚がご本人にはあったのだろうと思うのですね。

川村  もう一つの疑問は、獄中にいる間に、中国当局から、戦後にスパイ活動をしていたことを認めれば釈放すると何度もいわれているのに、一貫して否認している。私だったら、「申しわけございませんでした」といって釈放してもらいますよ(笑)。ここまで過酷な拷問を受けてもなお否認し続けるという、彼を支えていたものは一体何だったのか。
 この本では、日本の名誉のためと書かれていますが、果たして本当にそれだけなのか。何かほかの言えない理由があったのではないか。そこにちょっともどかしさを感じてしまうのですけどね。

成田  不思議なのは、深谷さんが日本に帰ってきたときに、彼に命令を下した上官がとても好意的に振る舞っていることです。上官たちも保身のために深谷さんに接触したということは十二分に考えられるのだけれど、彼はそれを善意でもって解釈して、川村さんが指摘された一番肝腎なところには触れない。これは体験記というものの特徴でもありますね。深谷さん一家が体験したことがリアルに描かれてはいるけれど、なぜそういうことに至ったのかという原因については触れることがない。その意味では、読む側がこの本を受けとめていくときには、二重三重の構えが必要でしょうね。

これから戦争を考えるときの
あり方の一つとして


成田  私は深谷義治さんのことはこの本を読んで初めて知りました。でも、深谷さんが帰国する前後に、断片的ではあるけれども新聞や週刊誌で深谷さんに関する記事が報道されていたのですね。

川村  私もこの本を読むまで、そういう記事があったということはまったく覚えてないし、多分読んだことはなかったと思います。

成田  私も記憶にないのですが、仮に当時その記事を読んだとして、どういう読み方をしただろうかと思ったんです。

川村  ああ、なるほど。

成田  おそらくは、こんな悲惨な人生、あるいは覚悟を持った生き方をしたというところまでは読み取れずに、「ああ、また週刊誌がこういう人を利用して」という読み方をしてしまったのではないか。そう思って、大分反省をしたのですが。

川村  当時、特に中国絡み、文革絡みになると、反中国あるいは反共の論陣を張っている週刊誌などは、為(ため)にする記事が多かったですからね。

成田  ことに冷戦時代にあっては、ついつい、そういう文脈の中で読みがちでした。

川村  少し言いわけ的にいうと、その記事自体が我々にとって読む気を起こさないような取り上げ方だったということもあったのではないか。横井さんや小野田さん、伊藤律や岡田嘉子が帰ってきたときには、否応なく目に飛び込んできたけれども、なぜか深谷さんの帰国は話題にならなかった。

成田  その差は何なんでしょう?
 たとえば、帰国直後の『山陰中央新報』のインタビューで、「やっと終戦が訪れたわけですが、戦争はあなたにとってなんだったのでしょう」という問いに対し、深谷さんは、「私は日本が中国を侵略した犠牲者のようなもので、二十年四カ月罪滅ぼししてきました。日本は戦争に負けたからいまの経済成長を得たのです。私にも日本にも戦争はよい教育になりました」と答えている。これだけをとったら、なんとも取って付けたような言葉と思わざるを得ない。
 つまり、深谷さんが日本に帰れたのは、日中平和友好条約の見返りという大きな政治の中での動きですから、ご本人も非常にポリティカルな言い方に終始している。だから、報道からだけではその背景を読み取ることは困難で、その言葉の背景にどんな思いがあったのかは、この本を読んで初めてわかりました。

川村  しかし、背景がわかったからこそ、なぜ深谷さんが最後まで語らずにいたのか、それは一体どういうメンタリティーなのか、をどうしても考えてしまう。もっといえば、ここには書かれていないけれど、奥さんの綺霞さんや獄中にいた長男が、義治さんのことをどのように思っていたのか──。いろいろな想像を喚起する貴重な体験であることも確かですね。

成田  引き揚げの手記や抑留の手記を始め、これまで多くの戦争ノンフィクションが書かれてきましたが、そうしたものを読むときの読み方はどうあるべきかを改めて考えさせられました。
 冒頭に川村さんが「戦後七十年」という言い方に疑義を呈されましたが、私も、ある種の恥の感覚を持たなければこの言葉を使えません。つまり、この言い方は、戦後七十年、何の変革もなかった、主体的な変革はなかったということの表明でしかないということですからね。その一方で、「戦後レジームからの脱却」ということもいわれている。そういう厄介な状況の中で、戦争というものを媒介にした戦後のあり方はどういうような形で記述できるだろうかと考えたときに、最初にも言いましたが、三世代が一緒に協力をしていくというのは今後の一つの方向であり、これから戦争を考えていくときの一つの形になるのではないかと思いました。

構成=増子信一
【深谷敏雄 著】
『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』
発売中・単行本
本体1,800円+税

【浅田次郎/深谷敏雄 ほか】
『戦争と文学スペシャル』 7月29日発売・集英社ムック 本体907円+税

プロフィール
川村 湊
かわむら・みなと●文芸評論家、法政大学教授。1951年北海道生まれ。著書に『南洋・樺太の日本文学』(平林たい子文学賞)『アリラン坂のシネマ通り』『補陀落 観音信仰への旅』(伊藤整文学賞)『牛頭天王と蘇民将来伝説』(読売文学賞)『川村湊自撰集』等多数。
成田 龍一
なりた・りゅういち●近現代史研究家、日本女子大学教授。1951年大阪府生まれ。著書に『大正デモクラシー』『「戦争経験」の戦後史』『増補〈歴史〉はいかに語られるか』『近現代日本史と歴史学』『加藤周一を記憶する』『戦後史入門』等多数。
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