青春と読書
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集英社創業90周年記念企画 『冒険の森へ 傑作小説大全』刊行開始
講演採録 面白い小説がここにある 全20巻の反転攻勢 北方謙三
《ジャンルを越え、小説の面白さを追求する画期的アンソロジー》と銘打たれた『冒険の森へ 傑作小説大全』全二〇巻の刊行が、いよいよ来月から始まります。江戸川乱歩、井上靖から真保裕一、宮部みゆきまで、冒険物語の長編三六編を中心に、SF、時代、ホラー、純文学、童話とジャンルを越えた短掌編の秀作など、全二五四編を網羅した待望のアンソロジー集です。
編集委員も、逢坂剛、大沢在昌、北方謙三、船戸与一、夢枕獏という豪華な顔ぶれ。作品選定に当たっては熱い議論が戦わされたそうです。シリーズの刊行を告知する講演会において、編集委員のお一人、北方謙三さんが本シリーズの特徴・意義と共に、編集作業の舞台裏などもお話しくださいました。


最初に何を決めたか

 今日はこの『冒険の森へ』というシリーズについて、編集委員を代表して皆さんにメッセージを届けにまいりました。
 まず、全二〇巻のラインナップ(16ページ参照)をご覧いただければお分かりかと思いますが、こうした内容の全集なり大全なりというものが、今まであり得たかというと、あり得なかった。
 なぜかといえば、これまでの全集とか大全とかいうものは、何かテーマ性を持って、その存在意味を訴えるものだった。ところが、今回われわれが編んだこのアンソロジー集には、存在の意味とか何とかを大きく掲げるものは何もない。では、何があるのか。
 面白さがあるんですよ。ここに収められた作品は、どれも面白いんです。小説というのはあくまで小説であって、天下国家を論じる「大説(たいせつ)」ではない。小説というのは、何よりもまず面白くなければいけない。
 そういう意味からいえば、面白さを満載したこの『冒険の森へ』という傑作小説大全は、われわれ五人の編集委員からの「小説ってのは面白いんだよ」というメッセージなんです。われわれは、自分たちの持っている読書歴を出し合って、それを重ね合わせ、すり合わせるようにして選びました。みんな六十年近く読書しているわけですから、相当の数の作品を読んでいる。その上で、この作品が面白いんじゃないか、いやあの作品のほうが面白いんじゃないかと、侃々諤々(かんかんがくがく)とまではいいませんが、かなりの議論を尽くしてこれをつくった。ですから、「面白い」という点に関しては、非常に自信を持っております。
 では、小説というものは面白いんですよということを皆さんにお知らせしようというときに、われわれは最初に何を決めたのか。
 その答えは、第一巻にあります。これがわれわれの出した回答です。
 第一巻は「漂泊と流浪」というテーマが掲げられていますが、ここでまず看板に出したのは江戸川乱歩と井上靖です。
 この二つの名前を並べることが、われわれのメッセージなんですよ。小説の面白さはこの二つの名前の間にある。江戸川乱歩から井上靖へ行くまでの間に、いろいろな小説の面白さがあるんです。その面白さを西暦二〇〇〇年までの作品の中から探っていこうじゃないかということなんですが、実際には、これは大変な作業でした。
 江戸川乱歩一人とっても、何を入れるかをめぐって殴り合いになりかねない。さんざん話し合った結果、『白髪鬼』を入れることになりました。では、井上靖さんは何を入れるか。私は最初、『夏草冬濤』がいいんじゃないかといったのですが、全体的な物語のスケールの大きさからいうと『敦煌』だろう、という意見が多かった。そこで私も客観的に判断してこれがいいだろうと思うに至った。それで『敦煌』ということになったんです。
 この第一巻には、野上弥生子さんの『海神丸』という漂流事件をモデルにした作品、SF小説の草分け的存在の海野十三(じゅうざ)の『軍用鮫』が入っている。その他、橘外男(そとお) 、小栗虫太郎、夢野久作、小川未明といった人たちの作品も選ばれています。
 こうした名前を見て分かるように、ここには実にいろいろなジャンル・方向性のものが提示されていて、日本のエンターテインメント小説というのはこういうふうにしてでき上がってきたんだということがわかるような作品立てになっているんです。
 これが第二巻になると、作品の選定自体はわりとトントンと決まっていきました。ただ、このときの一番の問題点は、この全集において、時代小説は省くべきであると強硬に主張する編集委員が一人いたことです。他の編集委員がみな黙っていたら、「じゃ、決をとってくれ!」という話になって、決をとりました。その結果、「時代小説を省くことに賛成の人」はその人だけ(笑)。で、省かないことになった。そういう裏話があります。
 その第二巻は「忍者と剣客」というテーマで、山田風太郎、柴田錬三郎のお二人が看板になります。このお二人は非常に対照的な作家です。柴田錬三郎さんは、小説を読めば分かりますが、時代の考証についてものすごく詳しい人です。当時の駕籠(かご)賃から地理から全部知っている。ところが、そういうことについては何も書かない。知っていればいいと。たとえば、現代の人が芝の大門(だいもん)の前から浜離宮までタクシーに乗ったときに、外に何が見えるかとか、運賃がいくらだとかは小説では書かない。なぜなら、タクシーに乗ったときに考えるのは、待っている女はどうしているかなとか、そんなことしか考えていないからです。
 昔の人も同じですよ。大門から浜離宮まで駕籠に乗る。駕籠賃は大体幾らで行くなというのも、外がどんな景色かも全部わかっている。だから、そういったことは書かずに、柴田錬三郎さんは蘊蓄(うんちく)とか時代背景とかなしで、すぐに物語が始まっていく。そういう作家です。
 一方の山田風太郎さんは対照的で、あるとき私が「南北朝時代に婆沙羅者(ばさらもの)というのが出ましてね」という話をしたら、山田さんが「北方君、南北朝時代というのは鎌倉時代の前かね」と訊かれて、「いや、先生、違います、違います。鎌倉時代の後に室町時代があって、その間に南北朝というのがあって、そこで足利尊氏とか何とかが出てきて、そこに佐々木道誉(どうよ)というのが出てきて、それが婆沙羅といわれたんですよ。婆沙羅というのはこれまでの価値観をがらっと変えるような人間たちのことで、やがてそれが傾奇者(かぶきもの)になったんですよ」という解説をしたんです。
 そうしたら、三カ月後に電話がかかってきて、「北方、ごめん。書いちゃった」と。どうも佐々木道誉のことを書いたらしい。「先生、書いたんですか」というと、「うん。『婆沙羅』というタイトルだ。君が教えてくれたとおりに書いた」「うそでしょう!」……(笑)。
 山田さんには個人的に敬愛をもって接し続けましたが、なんとも破格な人です。
 第三巻が「背徳の仔ら」。黒岩重吾と大藪春彦が並んでいます。
 黒岩さんはともかく、皆さん、大藪春彦がなぜ入っているかと思われたでしょう。それは、この巻に入っている『野獣死すべし』がどういう意味合いを持っていた作品かをお話しすればおわかりいただけると思います。日本が戦争に負けて、戦後民主主義というものが出てきた。この戦後民主主義には、正しい理念もあったけれど、欺瞞的な側面もあった。これを最初に「民主主義なんて欺瞞だ、うそじゃないか」といったのが、石原慎太郎の『太陽の季節』です。その三年後ぐらいにこの『野獣死すべし』が出るわけですが、これはさらに強烈に戦後民主主義を否定している。何によって否定したかというと、暴力によって否定したんです。それまでそういう否定の仕方はなかった。その意味でも、文学史に明記されるべき作品で、ここに取り上げました。
 その他、松本清張、西村京太郎、筒井康隆、立原正秋、久生十蘭……、珍しいところでは、小酒井不木(ふぼく)という人が入っている。この人は衛生学や疫学の医者で、世界的な専門家だったらしい。その人が小説も書いているんですが、独特の味があります。
 こういう人の作品は、もう活字では読めなくなっているだろうと思うんです。それでも、いま絶対に読んでおいたほうがいいなという作品もこの大全には入っています。

挑戦と期待

 いちいち紹介していてはキリがありませんが、ともかく、第一巻から始まって第二〇巻の「疾走する刻」まで、この大全を通じて、皆さんに小説の面白さをわかってほしい。その面白さをわれわれと共有してほしいんです。昨今、本が売れない、小説が売れない、という声をよく聞きます。なぜ売れないのだというと、面白くないからだといわれる。しかし、それは違うだろう。面白いものが絶対にある。それを見せようじゃないかというので、われわれはここに挙げた作品を選んだわけです。
 もちろん、本が売れるには、もっと面白い小説が世に出て行けばいいわけですね。実際、われわれ五人の編集委員たちは全員、面白い小説を書いています。それでもなお、こうした企画をやろうじゃないかと思ったのは、面白い小説がこれほどあるのに、なぜ今、読まれないのか。だったら、これだけ面白い小説がありますよということを提示することで、反転攻勢をかけようじゃないか。本が売れないとかいう状況を覆そうじゃないかと。そういうコンセプトのもとに編んだわけです。ほんとうは五〇巻ぐらい欲しかったのだけれども、二〇巻できちっとまとめました。
 要は、すべてが小説のためなんです。私は、自分の本を一番売っていただきたいけれど(笑)、このシリーズも是非とも売れてほしい。これが売れることによって、本というもの、小説というものが違う視線で見てもらえるのではないかと期待しているんです。
 何も芥川賞、直木賞の受賞作品だけが売れればいいというものじゃないんです。こういう面白い小説があるよと提示すれば、小説そのものが売れてくるんですよ。若い人から年とった人まで、小説というのがいかに面白いかということをわかってほしい。それがこの『冒険の森へ』のわれわれ編集委員の皆さん方に対する挑戦です。皆さんも、この挑戦をきちっと受けてください。そうすることによって、小説の復権を果たすこともできるはずです。

構成=増子信一

※2014年10月28日に行われた『冒険の森へ 傑作小説大全』刊行発表会での講演を基に構成
『冒険の森へ 傑作小説大全』
第1回配本 5月12日 2冊同時発売
発刊記念特価 本体(各)2,000円+税
※第1回配本のみ。2016年5月末日まで
※第2回配本以降予価・本体(各)2,800円〜 3,200円+税。7月より毎月5日発売予定
第11巻
『復活する男』
第16巻
『過去の囁き』
プロフィール
北方謙三
きたかた・けんぞう●作家。
1947年佐賀県生まれ。81年『弔鐘はるかなり』でデビュー。著書に『眠りなき夜』(吉川英治文学新人賞)『渇きの街』(日本推理作家協会賞)『破軍の星』(柴田錬三郎賞)『楊家将』(吉川英治文学賞)『水滸伝』(全19巻・司馬遼太郎賞)『独り群せず』(舟橋聖一文学賞)『楊令伝』(全15巻・毎日出版文化賞特別賞)等多数。
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