青春と読書
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宮本 輝 著『田園発 港行き自転車』(上・下)
インタビュー 田園の光に包まれた瞬間、物語が動き出した 宮本 輝
作家、宮本輝さんが富山を舞台に北日本新聞に連載した小説『田園発 港行き自転車』(上・下)が刊行されます。
二〇一二年正月から足掛け三年、一二〇〇枚に及ぶこの長い物語は、富山に住む家族、東京に住む家族、京都に住む家族の運命と人生が交錯していく心温まる群像劇。互いが知らず知らずのうちに支え合うことで生まれる「幸せの連鎖」が、読む人にも伝播してきそうな物語です。 富山は宮本さんにとって思い出深い土地とのこと。刊行にあたって、そんな富山への愛着、作品への思いを語っていただきました。


富山の風景の中で
突然動き出した物語


──宮本さんはこれまで多くの新聞連載小説を書いていらっしゃいますが、今回は北日本新聞の一紙単独連載でしたね。

 『田園発…』は善き人たちのつながりを描いた物語ですけど、この物語が生まれる背景にも深い人間的なつながりがあるんです。僕は富山を舞台にした小説「螢川」(一九七八年)で芥川賞をいただいたのですが、その時に地元の北日本新聞の文化部記者がエッセイを書いていただけませんかと訪ねてきた。富山を舞台にした小説が芥川賞を取ったことは富山県民にも非常にうれしいことだからと。その訪ねてきた当時平社員の記者が今の社長です。
 この新聞社の主催する北日本文学賞の選考委員を引き受けたこともあって、次第にご縁が深まりました。そして、彼が社長になった時、何かお祝いしたいと言ったら、ぜひ新聞小説を書いてくれないかと。最初は冗談やろと言ったのだけど、彼は本気で(笑)。それで、ええいままよと引き受けたわけです。

──その依頼が二〇一一年の夏で、一二年のお正月から連載が始まったのですね。

 あれには僕もびっくりしましたね。毎週日曜日に連載するということになったのだけれど、やっぱり新聞社としても切りのいいところから始めたい。探すと翌年の元日しかない。新聞の連載小説の場合、いつも一年ぐらい準備期間を設けるのに、ええっ、あと三ヵ月しかないではないかと。それで急きょ、九月の初めに富山に取材に出かけたのです。とにかくどんな小説を書くのか、まったく思い浮かびもしない状態でした。
 正直言えば、その取材旅行も大して期待していませんでした。今どき、どんな田舎に行っても、僕らが考えているような山里の風景なんてもうありませんよ。必ず量販店とか消費者金融の看板がかかっていて興ざめします。富山もそんなものだろうと出かけて、車で黒部川の急流をずっと上って行き、たまたま入善(にゅうぜん)という湧水で有名なところにふらっと降りた。その時、その場所から入善町のほうを見たとたん衝撃が走りました。信じられないほど広大な田園風景が広がっていた。その広大な田園に熱を含んだ風が吹くたび、稲穂が揺れ、視界が明るい玉虫色に波打つ。後ろを見れば峰々が雪をかぶり、前を向けば田園の先に富山湾の豊かな漁場があります。
 あ、ここだ。自分はここに立ちたかったのだと思いました。その瞬間、突然僕の中で物語が動き出したんです。その時の心のメカニズムは、言葉ではとても表現できません。あのような体験は初めてでした。

心の奥にある
モノクロームの風景


──富山の風土に触発されて『田園発…』が生まれた……まさに啓示的な体験ですね。

 物語をはらんだ風土の力ですね。風景を見て突然物語が浮かんできたというのは初めての体験ですが、僕のデビュー作の「泥の河」や「螢川」も、やっぱり風景から生まれています。
 少年時代からどうしても消えないノスタルジーのようなもの、それが断片的なモノクロームの写真として自分の中に刻まれています。その風景を少し広げてみたのが「泥の河」であったり「螢川」であったりします。少し広げると言っても、そこにはさまざまな人間のドラマがありますから、それをいかにすくい上げていくか。そしてその何人かのドラマをどのようにタペストリーに織り込んでいくか。それが元来、僕が小説を書く時の基本の構えになっているわけです。

──少年の頃の風景といえば、富山は子供の頃ゆかりがあった土地と聞いていますが。

 ええ、子供の頃の貧乏な時代ですね。僕が小学四年生から五年生になる前くらいまで、一年弱暮らしたことがあるんです。父親が商売に失敗して、大阪で暮らせなくなって縁もゆかりもない富山に家族でやってきました。大工さんの家の二階に間借りして。父親は先に大阪に戻ってしまって、僕は母に言われて何度も郵便局に足を運んだものです。局員さんに「お金届いていませんか」と聞くと、届いてないと……。
 毎日が今日どうやって食べようかという生活です。母親が近所からナスビをいただいて、いろんなナスビ料理を考えて食べました。でもね、僕ら親子が住んでいたあたりもやはり田園地帯で、今と同じように立山連峰が見えたんです。

──そして数十年後に再びその地へ。

 犯人は現場へ戻ってくる、です(笑)。不思議なものです。芥川賞を取った作品を書くまでは富山のことを思い出しもしませんでした。でも子供の時に見たノスタルジーのようなものは消えません。ですから、あの広大な田園地帯の稲穂が風になびいているのを見ると、どこか血が騒ぐんです。縁なのでしょうね。

全員が主人公の物語。
そして皆がつながっていく


──この物語には、主要な家族や人物が多数登場します。読み始めた当初は父親がいるはずのない富山で病死したという童画家の賀川真帆が主人公かと思いきや、真帆一家を支える平岩壮吉、富山に帰郷した脇田千春、京都の小料理屋のおかみ甲本雪子などが現れ、次々と深い物語が紡ぎだされていきます。

 主人公はだれと特定できないと思います。一体この物語の中に何人主要人物が出てくるんだというくらい、全員が主人公です。富山から帰ったら、次から次へと話が浮かびました。なぜか富山だけでなく、京都の花街の宮川町あたりの佇まいがぽっと出てきて、そこに暮らす主要人物がどんどん浮かんできました。
 でも、それだけではだめなんです。人物それぞれにコントラストがありながら、物語をなしている骨格と具体的なかたちでつながっていないといけません。そのつながりにどうリアリティーを持たせるか、僕の作家としての作業は、ほぼそれだけです。あとはもう登場人物たちが勝手にしゃべったり動いたりするだろうと。

──勝手にしゃべる主要人物たちをタペストリーに織り込んで流れを作っていくのは、大変な作業だと思います。

 よく言えば才能、悪く言えば嘘つき、なんです(笑)。

──でも、物語の中ではことさら大きな事件が起きないのに、繰る手が止まらない。ときおり興味をそそる謎が仕掛けられていて、そういうものに読者は引っ張られていきます。

 その仕掛けは当然考えますよ。新聞連載というのは長丁場ですから、いかに読者を飽きさせないかが鍵です。とはいえ、いかにも飽きさせないぞ、面白くするぞと作る手口は嫌いなので、そこを自然な成り行きで持っていくにはどうすればいいのか真剣に考えます。僕も新聞連載はもう十三本目ですから。

小説を読まない人も引き込む
新聞小説の醍醐味


──新聞連載は忍耐力がいりそうですね。

 一回新聞連載をやると、二、三年寿命が縮むと昔は言われたものですよ。そうすると僕はもう四十年ぐらい寿命が縮まったことになります。
 長いこと新聞小説を書くことでえられた年季みたいなものが今はあるのでしょうね。コツとか緩急のつけ方とかに、独特のものがあります。でもね、もともと僕は新聞小説が好きですからね。子供時代は、読むものといったら貸し本屋で借りる漫画か、父親が読んでいる新聞小説ぐらいしかありませんでした。僕の中学生の頃は、松本清張さんや石川達三さん、井上靖さんといった方々が書かれていて、おもしろく読みました。楽しみに毎日読みましたよ。うんと遡りますが、吉川英治さんの『鳴門秘帖』は新聞連載の傑作として有名です。
 ですから、自分が作家になったら、新聞小説を書きたいというのも一つの憧れとしてありました。ところが新聞小説というのはそんなに簡単なものではない。日頃小説を読まない人を引っ張っていかなくてはいけません。
 それと同時に、新聞小説はどこまでも健全でなければいけないと僕は思っています。僕が小学生から読んだように、子供も、もう八十、九十歳近い方もお読みになるだろうし、中学校もちゃんと出ていないような方から東大をトップで出たような人も、いろいろな人たちが読むわけです。その人たち全部に受け入れられなければいけないというのは、ものすごく難しいことなんですね。
 難解な語句を使ってはいけない。それから誰が読んでもわかる表現でなければいけない。健全でなければいけない。いつもその三つを自分に課しています。

──老若男女に受け入れられるように書くのは至難の業ですね。

 そう、その三つがなかなか融合しないんですね。しかもそれを特定地域の一紙単独でやらなくてはいけない。ものすごいプレッシャーが最初にありましたね。だけど、えーい、いてまえと書き出した。書きだせたら何とかなるんです(笑)。

世の中を変えるのは
一人一人のつながり


──最終章、知らず支え合っていた人々が、富山に集まっていく大団円。あの物語の着地は非常に印象的でしたね。

 あれはうまいこといきました。あの場面は最初からできていたんです。ですから、どうやって登場人物全員をあの地に集めるかが考えどころでした。作為的になってもいけませんからね。最終章は小刻みに進みます。もっと他にやり方がなかったかと今も考えますが、あれ以上にいい方法は思い浮かびません。あの人たちがある日、ある時点で一斉にそこへ集まらざるを得なかった。ある宿命的なものを、宿命という言葉を使わずにどう表現するかが課題でしたね。

──すべての家族が抱える問題が解決したわけでもなく、物語はあるところで終わります。ほっと腑に落ちる感じがありました。

 作者が決着をつける必要はないと思います。登場人物たちのその後は、それぞれの読者の方が自由に想像してくださればいい。ただね、宿命というのを含めて、我々が生きている世界は常に一つの法則の中で回っているような気がするんです。人間の世界もきっとそうであるに違いないと。だから悪いことってできないんですね。

──なるほど。それとタイトルにもなっていますが、この物語のツールとして自転車が重要な役割を果たしていますね。

 一度ね、入善町の田園のど真ん中に行ってごらんなさい。ああ、ここを自転車ですっ飛ばしたいと思いますよ。気持ちがいいですよ。宇奈月(うなづき)温泉の山側から海側まで、わずかな傾斜があるんです。下っている。すると、こがなくても猛スピードで海まで行けてしまう。
 ところが帰りは大変。いかに黒部川が急流であるかということです。その黒部川の暴れ水の水害に苦しんで、しかもさしたる産業もなく、あれだけの豪雪地帯。そういうところで七転び八起きして富山の人たちは生きてきたんです。その粘り強さ、諦めなさは大変なものですし、そうした気質が今も脈々と受け継がれている感じがします。

──今書かれている新作も富山が舞台だそうですね。

 ええ、富山の薬売りの話です。江戸の末期に全国に行商に回った富山の売薬さんは、二千人もいたんですよ。行李を背負って、お土産の紙風船とか持って。江戸時代に営業マンが二千人いるって、今なら巨大コンツェルンです。そういうものを築いた土地なんです。富山の人たちには、今の日本人がなくしてしまった粘り強さ、したたかさ、その中でつながっていく人間的な包容力、温かさがありますね。

──今、世の中をみれば、ネットでの嫌韓・嫌中の発言、「イスラム国」の問題もあり、とても殺伐としています。そういう世の中に『田園発…』のような物語を送ることをどうお考えですか。

 僕の小説に教訓的なことは何もないし、何かアジテートしようという気持ちもまったくありません。けれども、今の韓国や中国との問題にしても、「イスラム国」の問題にしても基本的には人間の問題です。もちろん政治はゲームをやりますよ。しかし、それによって人間が踊らされるのはもうやめた方がいいのではないかと思います。そこには様々な人間が住んでいますが、根本においては同じ人間なんです。それなのにヘイトスピーチをやったり、いがみ合ったりすることの愚かさ。それは踊らされているということなんですよ。
 そのようなことでは何も変わりません。一人一人のつながりとか、人間としての情の細やかさとか、あるいは人間的な深みとか、それぞれ異なっている体験が積み重なった上での知恵というものこそが、世の中を根底から変えるんだと僕は思っています。人は一人では生きていけませんから。そういうことを表現するためには、やっぱりこうした人間群像の中のつながりというものを描いていくしかないと思いますね。

聞き手・構成=宮内千和子
【宮本 輝 著】
『田園発 港行き自転車』(上・下)
4月3日発売・単行本
本体(各)1,600円+税
プロフィール
宮本 輝
みやもと・てる●作家。
1947年兵庫県生まれ。77年「泥の河」で太宰治賞を、78年「螢川」で芥川賞を受賞。著書に『ドナウの旅人』『優駿』(吉川英治文学賞)『海岸列車』『ひとたびはポプラに臥す』『約束の冬』(芸術選奨文部科学大臣賞文学部門)『宮本輝全短篇』『骸骨ビルの庭』(司馬遼太郎賞)『水のかたち』『いのちの姿』『流転の海』シリーズ等多数。2010年紫綬褒章。
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