青春と読書
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『ダブル・フォールト』
インタビュー 残酷な現実を直視しないと、二本目のサーブは打てない 真保裕一
新米弁護士・本條 務(ほんじょうつとむ)は、ある日突然、所属事務所のボス・高階徹也(たかしなてつや) から殺人事件の担当を任される。弁護するのは町工場の経営者・戸三田宗介(とみたそうすけ)。金銭トラブルから金融業の成瀬隆二(なるせりゅうじ)を刺殺し、翌日自ら警察署に出頭して殺人容疑で逮捕されたという。逮捕後、戸三田は成瀬から脅迫があったと語ったため、本條は殺人ではなく傷害致死の可能性も考え、裁判の準備を進めるのだが……。
真保裕一さんの最新刊『ダブル・フォールト』は、殺人事件を扱う法廷ミステリーとしてはもちろんのこと、新米弁護士の苦悩と成長の物語、さらには恋愛要素と、ミステリーファン以外の読者も楽しめる作品です。本書刊行にあたって、真保さんにお話を伺いました。


長い間書けなかったテーマ

──新作『ダブル・フォールト』の主人公、本條務は弁護士になって一年半の新米。ベテランの弁護士事務所の居候=イソ弁である彼が、殺人事件を担当することになる。この設定の出発点はどこにあったのですか。

 以前『追伸』という、全編手紙の小説を書く際、最初に編集者と「犯人側の弁護士は策として被害者の人間性を貶(おとし)める証言を法廷に引き出すこともあるのに、被害者を弁護する人間はいない」と話をしていたんです。遺族は、殺された身内の人間性まで取り沙汰されるのを聞くのは辛いだろうと。そこで、弁護士や被告人はもとより、被害者遺族の心情をも掘り下げた裁判ものを手紙形式で書こうと考えました。でも、その方向性ではうまくまとまらず、『追伸』は違う内容になりました。同じ頃書いた『最愛』という小説も、最初は弁護士を主人公にする予定が、結局違う話になって。どちらも好きな作品ですが、その時書けなかったテーマのことはずっと頭にありました。
『小説すばる』で『猫背の虎 動乱始末』の連載が終わり、「今度は現代もので」と言われていくつかアイデアを出した時、当時の担当者がいちばん興味を抱いたのがこのテーマでした。つまり長らくずっと温めてきたアイデアだったんですよね。

──主人公の本條務はごく真面目な青年で、童顔であることが強みとボスの高階に言われていますよね。どういうキャラクターを想定しましたか。

 成長小説にするつもりだったので、第一回が雑誌に掲載された時はもうちょっと嫌味な奴だったんです。自分は頭がいいというプライドがあって、罪を犯した人を見下しているような。そこからスタートして、彼が被害者の娘、成瀬香菜(かな)と出会うことで自分の歩んできた道を振り返って変わっていくことが念頭にありました。でも読者が感情移入できなくてもいけないと考え、少しずつ軌道修正し、ニュートラルな感じにしていきました。

──本條が弁護を担当することになった男は、殺人を認めていますが、正当防衛の可能性もあり、本條は悩むわけです。作品の中にも出てきますが、殺人事件を担当する弁護士は本当にひと握りだとか。

 昨今は、刑事弁護を手がけない弁護士事務所もたくさんありますからね。それに殺人でも否認事件はほとんどない。たいていは些細なことから人を殺してしまって、罪を認めている事件です。弁護士はいかにその量刑を軽くするかというテクニックが必要になります。今回は事件の中身だけでなく、加害者、被害者の遺族を巡るドラマに力を注ぎました。ミステリー好きではない読者にも楽しんでもらいたいですし。

──前半は弁護士の話術のテクニックなどもよく分かって楽しめます。

 裁判での技術などをまとめた本も読んで勉強したんですけれど、本当にテクニックは重要のようです。おかしな聞き方をすると逆に突っ込まれたりもするので、弁護士の仕事は経験値がかなりものを言ってきます。調べていくうちに自分が思いつかないような面白いプロフェッショナルな技術がたくさんあったので、そのあたりは盛り込んでいきました。
 特に最近は裁判員裁判で一般の人が立ち会うようになりましたから、弁護士と検察のやりとりが、よりドラマチックな訴え方に変わったと言います。今までは専門家同士、記号のやりとりみたいな部分もあったけれど、裁判員がいることによって、ハリウッドの法廷もののような迫真性に富むドラマ造りができるだろうと考えました。

──新米弁護士のお給料の低さなど、弁護士業界の意外な裏側も分かります。

 今は本当に大変みたいですよ。学費がかかるため、法科大学院の進学率も低くなっているとか。そこを卒業したことと同等になる試験もあって、そちらの受験率が高くなっているとか。知られていないことが多いですよね。

好敵手となる、加害者の弁護士と被害者の娘

──さて、裁判の過程で本條は弁護する被告人が嘘をついているのではないかと疑念にかられ、ボスの信頼を失う。本来弁護士は疑わしい点があったとしても、被告人のことを全力で守らなければいけないという。

 若手弁護士に取材をさせてもらった時に、それに類することを尋ねました。この人は怪しいなと思うこともあるし、まだ何か隠しているんじゃないかと感じることもあるらしい。でも、できる限りのことをしていくのが仕事だと。
 主人公も法科大学院でそういうことは勉強しているはずだけれども、実際に事件に遭遇した時、学んだことが役に立つかどうかはその場の胆力によりますよね。その葛藤については読者を引き込むように、一生懸命書いていきました。

──本條の気持ちがぐらつくのは、やはり香菜の存在が大きいですよね。彼女は裁判で殺された父親が貶められることに耐えられず、真実を知ろうと独自に真相を調べ始める。香菜はどういう存在だと想定していましたか。

 好敵手です。通常、弁護士が争う相手は検察官だったり同業者だったりする。でも同業者同士が競い合うのは当たり前。そこで、まったく違う存在が好敵手となって、お互いが成長していく話にしようと考えました。
 弁護士は身分証明もできるし、いろいろなつてがあって当たり前なのに、そうではない二十歳を超したばかりの香菜が知恵をつけて、自分のライバルであるかのように独自に調査していく。その姿を見ると、自分は恵まれていて、弁護士として当たり前の仕事しかできていないと感じるはず。自然と相手を見る目だって変わってきますよね。そうやって少しずつ二人が近づいていく過程について、いろいろな場面を考えるのは楽しかったですね。無料相談の日に事務所を訪ねてきた香菜と務のやりとりは、テニスの試合で思いきり二人が打ち合っていると感じられるよう、かなり力を入れて書きました。

──加害者の弁護士と被害者の娘という、絶対に仲良くなれない関係の二人ですよね。

 そこが今回の面白いところだと思うんですよね(笑)。しっかり狙い通りに書けたかなと思います。

──事務所のボスの高階や同僚のしっかり者の女性弁護士など、周囲のキャラクターも丁寧に描かれていて楽しかったです。本條が見下していた事務所の事務員の田中さんの意外な一面などが分かるのも、実にいいですよね。

 そう思ってもらうために一生懸命書いていきました。女性弁護士を登場させたのは後半の展開を考えてのことですが、主人公を鍛えてくれる強い女性を登場させたら読者も喜んでくれるんじゃないかという狙いもありました。

──「ダブル・フォールト」というタイトルからして、最初からテニスをイメージされていたのですか。

 好敵手という関係を思いついた時に、ネットを挟んで対峙する二人のイメージが浮かびました。法廷のことを英語でコートと言いますし。サーブは二回打てるので、失敗してもやり直せるという意味もこめて選びました。

──ただ、真実は非常に残酷です。

 この点は最初から重要になると考えていました。残酷な部分もないと意味がないと思うんですよね。現実そのものが厳しくもあるので、それを受け止めていかないと生きていけない。最近は弱い人が多くて、壁にぶつかると学校を休むとか会社を辞めてしまうという印象があります。でも現実を直視しないと、次のやり直しの二本目のサーブも打てないと思うんです。そうやって人は成長していくしかない。だから、読者にも前向きに本を閉じてもらえるようにしたつもりです。

──真実を明かせばみなが幸せになるとは限らない時、正しいことは何なのかを考えさせられます。

 法律の示す正義もあるし、それとは違うところで実際に生活している人たちの正義というものもある。だから弁護士も悩むわけです。でも、明らかにしていかないと気が済まないことは多いですよね。墓場まで持っていく話だってあるとは思いますが、特に人の命が失われた時には、解決するためにというよりも、突破口のひとつとして、周囲の人間は現実を見つめ直し、やり直すしかない。ミステリーを書いている身として、毎回同じように事件が解決して「はい終わりました」という話を作ることには興味がないんです。いい意味でも悪い意味でも余韻を残しつつ、多くを考えてもらいながら、それでも読んでよかったなと思ってもらえる作品を書いていきたいですね。

聞き手・構成=瀧井朝世
【真保裕一 著】
『ダブル・フォールト』
10月3日発売・単行本
本体1,500 円+税
プロフィール
真保裕一
しんぽ・ゆういち●作家。1961年東京都生まれ。著書に『連鎖』(江戸川乱歩賞)『ホワイトアウト』(吉川英治文学新人賞)『奪取』(山本周五郎賞・日本推理作家協会賞)『灰色の北壁』(新田次郎文学賞)『エーゲ海の頂に立つ』『猫背の虎 動乱始末』『アンダーカバー 秘密調査』等。
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