青春と読書
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集英社文庫 2ヶ月連続刊行 東野圭吾『マスカレード・ホテル』『マスカレード・イブ』
『マスカレード・ホテル』を読む 異界の夜景  森村誠一
不可解な三つの連続殺人事件。それら現場に残された手がかりから割り出された次の犯行現場は、超一流のホテル・コルテシア東京だった。動機、ターゲットともに不明のまま、警察はホテルへの潜入捜査に乗り出す。エリート刑事・新田浩介と優秀なフロントクラーク・山岸尚美はコンビを組むことに。
不慣れなホテル業務に悪戦苦闘する新田と、それを厳しく教育する山岸──そうした中、怪しげな客が次から次にやって来て……。
ホテルを舞台に繰り広げられる東野圭吾さんの長編ミステリー『マスカレード・ホテル』が集英社文庫より刊行されました。そして尚美と浩介、ヒロインとヒーローが出会うまでの物語『マスカレード・イブ』が8月21日にいきなり文庫≠ニして刊行を予定しています。この「マスカレード」シリーズ2ヶ月連続刊行にあたって、〈『マスカレード・ホテル』を読む〉と題し、ホテル勤め(ホテルニューオータニ等)のご経験をお持ちの作家・森村誠一さんによる書評と、現職のホテリエお二人に伺った本作の読みどころをお送りします。


 古今東西、ホテル・ミステリーは多いが、本書は第一級の作品である。
 ホテルとミステリーは相性がよいが、東京の超高層ホテルを舞台に設定して、ホテルの組織、構成、各セクション、ホテルマンの心理、理念(ビジョン)、責任、使命、ホスピタリティ、接客の姿勢、客の心理などまで、ホテルマンになりきったように綿密に取材した作品は極めて稀である。
「ホテルに来る人間は客という仮面をつけている」
とは、まさに名言である。
 ホテルには、年齢、性別、職業、宗教、人種、国籍などを問わず、あらゆる人間が集まる。人が集まる場所はホテルに限らず、駅、劇場、デパート、病院、警察など多数あるが、いずれも目的を特定している。ホテルの客は特定していない。
 ホテルの客の主要目的は、
 一、寝室的利用
 二、家事的利用(冠婚葬祭)
 三、商業的(ビジネス)利用(商談、会議、発表、就任等)
 四、娯楽的利用
 であり、近年は反社会的利用(乱交パーティ、売春、博奕、暴力団の集会など)に備えて、ホテル側の警戒も厳しくなっているが、客のプライバシーに立ち入れない警戒網を潜り抜けて、秘密裡に行われやすい。
 本作品は、反社会的利用が主題となっており、ホテルと警察の稀な共同作戦が展開される。
 謎の数式によって連携される複数の殺人事件の中、第四の殺人が、この作品の表舞台「ホテル・コルテシア東京」を、その犯行現場として予告される。
 このあたりから謎が濃厚複雑になり、怪しげな客のエピソードが巧みな伏線となって積み重ねられていく。
 ホテルの主力商品は、
 一、ホスピタリティ(おもてなし)、二、プライバシーの確保、三、安全保障(セキュリテイー)、である。
 この三大商品をめぐって、ホテルと客の丁々発止の技術(テクニック)が繰り広げられる。この辺、プロのホテルマン真っ青のホテルの各部門(セクション)のサービスや、チームワーク、心構えなどが披露される。
 私が最終学校を卒業して大型シティホテルに入社したとき、総支配人からおしえられた言葉が、いまでも脳裡に刻まれている。
「ホテルの主要商品、ホスピタリティ(サービス)は、生産すると同時に消えていく。この仕事は自分一人でやったとおもうな。ホテル全社員のチームワークが、お客様を満足させる最高の商品となる。
 ホテルの有形商品である客室は、今日売り損なえば、家電機具や、車などのように、ストックして明日売り直すことはできない。今日売り損なった客室は、今日一日で消える一日限りの商品である」
 それとまさに同じ言葉が、本作品に鏤(ちりば)められている。
 ――お客様に喜んでいただけたとしても、誰か一人の功績というわけではありません。(中略)お客様に御迷惑をおかけするようなことがあった場合も、その者一人ではなく、ホテル全体の責任だと考えております――
 そして、このホテルに群集する客たちのエピソード。いずれも癖のある客である。
 視覚障害者の夫のために、先行してホテルの下見をする妻。
 ストーカーにまとわりつかれていると訴えた女性客が、実は離婚届を不倫中の夫に届けるためにチェック・インした。
 フロント・クラークに化けた捜査員に執拗に絡みついた客は、教育実習中、当時、高校生であった捜査員に侮辱されたとおもい込みホテルで再会した捜査員に、いやがらせをしていた ……。
 などの劇場的ハプニングや、アクシデントが、ホテルで客とホテルマンが初対面するフロントデスクから、婚姻部(ブライダル)(宴会部)へ移行していく。
 謎の予告数式が集束されて、想定犯行現場が煮つまってくるサスペンスに比例して、予告犯行現場が絞られていく。
 そして、あっと驚く意想外な結末に、読者は導かれ、爽快な読後快感(カタルシス)をおぼえる。
 ミステリーの読者は勘で犯人を当てる悪い癖があるが、この作品は、勘や読みだけでは絶対に犯人を当てられない巧妙な仕掛けが、精密機械のように組み立てられている。
 読者は初めから推理に参加し、一文字一行まで、犯人へ導く精密な布置と時系列に一拍の気も許すことなく、『マスカレード・ホテル』のアウトサイドの客(読者)として、犯人を追及しなければならない。
 本格推理は整合性を尊重するあまり、人間のにおいが薄くなりがちであるが、『マスカレード・ホテル』は、大都会の象徴のような煌(きら)めく超高層ホテルに去来集散する客と、彼らを接遇するホテルマンが醸しだす人間のにおいと、精密機械のような本格ミステリーが、この上ない形で融合し、読者を異界の仮面舞踏会(マスカレード)へと案内して行く。
 最後の一行が、人間の海であり、世界で最もミステリアスな都市東京の謎を、その夜景に表象している。
【東野圭吾 著】
『マスカレード・ホテル』
発売中・集英社文庫
本体760円+税
【東野圭吾 著】
『マスカレード・イヴ』
8月21日発売予定・集英社文庫
本体600円+税
プロフィール
森村誠一
もりむら・せいいち●作家。1933年埼玉県生まれ。著書に『高層の死角』(江戸川乱歩賞)『腐蝕の構造』(日本推理作家協会賞)『人間の証明』「牛尾刑事・事件簿」シリーズ、『悪道』(吉川英治文学賞)『深海の夜景』等多数。
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