青春と読書
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小路幸也「東京バンドワゴンシリーズ」最新作『オール・ユー・ニード・イズ・ラブ』
対談 にぎやかな茶の間の食卓風景がとっても好き 小路幸也×加賀まりこ
「東京バンドワゴン」は、東京下町で、明治から代々続く老舗古本屋〈東亰(とうきょう)バンドワゴン〉を営む大家族・堀田(ほった)家を描いた、小路幸也さんの大人気シリーズ。昨年秋にはテレビドラマが放送され、大変注目を集めました。
その待望の第九弾、『オール・ユー・ニード・イズ・ラブ』の刊行にあたり、亡くなりながらも幽霊となって大家族を見守り続ける堀田サチ役として、ドラマに出演された女優の加賀まりこさんをゲストにお迎えし、小路さんと作品についてたっぷりお話しいただきました。


昔は神田古書店界隈で
有名な本好き少女


小路 ドラマ「東京バンドワゴン〜下町大家族物語」(日本テレビ)での堀田サチ役、お疲れ様でした。この物語は、堀田サチの語りで進んでいくので、すごく重要な役回りなんですが、加賀さんのサチは僕のイメージともピッタリで、ナレーションも最高でした。
加賀 ありがとうございます。私は小路さんの『東京バンドワゴン』のファンで、シリーズの最初から全巻読んでいますから、サチの語りが重要だと私も思っていましたよ。ずっとサチさんの気持ちで小説を読んできたでしょう。だから、サチ役は全然気負わずにすっと入れました。
小路 そうなんですよね。加賀さんがこのシリーズを全部読んでくださっていると聞いて、僕はもうびっくりして。
加賀 ええ、書店で発見して、表紙もよかったし、面白そうだと思って買ってね。そしたら本当に面白くて、それからはこの家族がどうなっていくか、毎回楽しみにして、いつもわくわくしながら読んでいるんですよ。
小路 ありがとうございます。
加賀 そうしましたら堀田サチ役のお話をいただいて。ほんとにご縁って不思議よね。
小路 加賀さんはすごい読書家だとうかがってはいましたが、まさか僕の本を読んでくださっているとは。
加賀 私、本を読むのは大好きで。読むのが速いから一日一冊は読めます。
小路 じゃあ古本屋が舞台というのも、気に入っていただけた理由でしょうか。
加賀 ええ、それはもう。私は神田生まれの神楽坂育ちで、小中学校は千代田区に通っていたので、神保町の古書店はほとんど顔なじみ。でね、有名な話があるの。学校帰りに本屋さんに行って、ずっと立ち読みしていて、あ、おしっこしたくなったなと思ったら、図々しくも読んだところまでで折って帰るんですよ(笑)。
小路 やりますね(笑)。
加賀 書店のご主人もご存じだったと思うんです。本好きの少女が毎日来て読んでるなって、見て見ぬふりしてくださってたんですね。ところが、あるとき私が澁澤龍彦さん翻訳の『マルキ・ド・サド選集』を読んでいて途中で折ろうとしたら、それはダメだよと言われた(笑)。
小路 子どもの頃にサドを読んでいたなんて、すごい。まあ僕も小学生で江戸川乱歩のけっこうなエログロものを読んでいましたけど。
加賀 その当時のほうが今より不健全なものを読んでいましたね。純文学もずいぶん読んだし、小林秀雄も読んだし、何かすごく背伸びして生意気なものを読んでいた気がします。でも今は、小路さんの『東京バンドワゴン』のような、読んでいて楽しくて、気持ちがふっと落ち着くようなものが好きですね。

朝の食卓風景は
バンドワゴン名物


小路 加賀さんも神田界隈が生活圏で、下町の雰囲気もよくご存じだったわけですよね。
加賀 ええ。下町っ子ってみんなそうなんだけど、ほっておかれたんですよ。私もそうでしたね。小学校のときの同級生は、お豆腐屋さんとか、大体おうちが商いをやっていて、夕方になるとお母さんが「ご飯だよー」って声をかけて、みんな帰っていくのね。うちはサラリーマンだったので、お母さんにご飯だよと呼ばれなかった。だけど、その頃の日本って、お隣のおかずを見て、自分のお茶碗とお箸を持って隣んちでご飯食べたりしてましたからね。で、おばちゃんたちがよく子どもたちを叱ってくれましたよね。私はほんとにいい時代に生まれて育ったとつくづく思っています、今のこのご時世を見るにつけね。
小路 今はもう茶の間なんていう言葉が全然聞かれなくなっちゃいましたね。
加賀 ほんとに。だから私『東京バンドワゴン』の、大勢でにぎやかに話が飛び交う茶の間の食卓風景がとっても好き。うちなんかもどんどん人が減っちゃって、今は大人ばかり三人暮らしですけど、食卓って大事だなって思います。
小路 あの食卓シーンは毎回苦労するんです。誰が言ったと書かずに台詞だけでつないでいくので。
加賀 いや本当にうまいですよ。ドラマの脚本も書いていただきたかったくらい。
小路 いやそれは餅は餅屋に任せてということで。ただ、台詞回しは、僕はテレビドラマを書くつもりで書いているんです。話の切れ具合は大体一五分間隔で、細かく書いています。
加賀 だからテンポがいいのね。朝の食卓風景でもう一つ私がいいなと思うのが、いつもおいしそうなおかずが出てくるでしょう。レンコンの金平(きんぴら)とか季節野菜の胡麻和(ごまあ)えとか、まあ、よくご存じねといつも感心するの。読んでいるとお腹がすいてきちゃうくらい、おいしそうで、本当に豊かな食生活だなと思う。これ、私、明日つくってもらうわっていうおかずが絶対出てくるのね。
小路 そう言っていただけるとうれしいです。料理はある程度できますけど、全然勉強もせずに、ただ頭に浮かぶものを書いているだけなんですけどね。
加賀 それと花にもお詳しいですね。小説のところどころに、木々の様子や花の様子が詳しく書かれていて、季節の移ろいを感じさせてくれる。今回の新作にも「秋海棠(しゅうかいどう)」とかいう名前の難しい花が出てきていましたね。
小路 詳しく読んでくださって、ありがとうございます。花の名前に詳しいのは昔花屋さんでアルバイトをしていたことがあるからなんです。お客さんにいろいろ聞かれるので、一生懸命勉強したことがあって。そういう意味では人生ほんとに無駄なことってないですね。

下町のホームドラマ

加賀 小路さんのご実家はどういう感じなんですか?
小路 うちは五人家族でして、父が製紙工場で働くいわゆるブルーカラーで、社宅だったんです。工場の大きな敷地があって、そこに住宅がいっぱいある。だから、周りは全部同じ工場の仲間だったので、ある意味ではとても下町に近い。
加賀 あらそう。じゃ隣近所、仲良し。
小路 全部仲良し。誰かんちに行ってずっと遊んで、そのままご飯食べて帰ってくるという感じで育ったので、東京の下町の雰囲気って何となくわかるんです。それとね、僕らは、テレビが各家庭に入ったときの最初の子どもだったんです。ちょうど小学校の一年生ぐらいのときに、ようやくうちにもテレビが来て。
加賀 皇太子のご成婚(昭和三四年)の頃?
小路 いえ、僕、昭和三六年生まれなので、テレビが普及しだした四〇年代ですね。
加賀 あ、そうか、そうか。私なんて街頭テレビの時代からだから。力道山の時代よ(笑)。
小路 僕らは、テレビっ子と呼ばれた最初の世代なんですよ。うちなんかは茶の間に床の間があって、その床の間にぼんとテレビが置いてあった。
加賀 ああ、大事に置いてあったよね。
小路 茶の間で家族そろってテーブルに座って、みんなでテレビを見る。そういう時代だったんですね。父と母、二人の姉と僕の五人で、テレビドラマをよく見てました。
加賀 その家族構成だと、やっぱり見るものがドラマになりそうね。野球とかはあんまり見なかったんですか。
小路 いや、父は野球が好きでよく見てましたよ。
加賀 チャンネル権が、どうしてもおやじにあるからね。でも私も野球も相撲も大好きで。あの頃、昭和三三年の日本シリーズで、稲尾が四連投したときなんて、並んでチケット買って外野席で見ましたもの。
小路 うわー、すごい。
加賀 お相撲も大好きで、場所中はテレビを見に飛んで帰ってましたね。テレビで見るだけじゃ物足りなくて、実際国技館に見に行きましたよ。ためたお小遣いでね。私のお小遣いじゃ、二階席の遠いほうしか買えなかったけど。でも、じゃあ、小路さんは東京の下町は全然知らないの?
小路 僕が『東京バンドワゴン』で書いている下町というのは、完全にテレビドラマで見た下町なんです。
加賀 へえ、そうなの。すごい想像力。ドラマってたとえば何?
小路 向田邦子さんの『だいこんの花』とか、ほかには『ありがとう』、『肝っ玉かあさん』、『時間ですよ』、それと家族形態でベースにしたのは『寺内貫太郎一家』です。
加賀 ああ、そうですか。我南人(がなと)がロッカーというのも面白いですよね。ああいう人が一人いるとドラマが盛り上がるし。
小路 ええ。この小説はホームドラマにしようと思って書いたんですね。で、ホームドラマなら、当然頑固おやじがいて、きっとかっこいい息子、かわいいお嫁さんもいるだろうと、ぽんぽん決めていった。そのとき、頑固じじいだけじゃ話が動かないな、どうしようと考えて、あ、ロッカーがいればいいんだと思いついて我南人を入れたんです。
加賀 そして死んだおばあちゃんが幽霊として語り部となっている。それもものすごく斬新。ああ、面白いなと思って、次はいつ出るんだろうと待ち遠しくて。
小路 ありがとうございます。

古いものの中にある
普遍性を伝えたい


加賀 シリーズの新作『オール・ユー・ニード・イズ・ラブ』もよかったですよ。私ね、話の主役はきっと若い研人(けんと)君や花陽(かよ)ちゃんに行くんだろうなと思ってたの。だから、ああ、やっぱりと思いながら楽しく読みました。研人君が高校に行かずにミュージシャンになるためにロンドンに行くんだと言い出して、堀田家にひと騒動が起こる。これを大人たちはどうするんだろう。彼を納得させるのは大変だろうなと思って読んでいたの。
 そうしたら、最後に研人君がマードックさんに連れられて国立博物館へ行くでしょう。あれはものすごくグッドアイディア。詳しくは本で読んでいただきたいけど、若い彼を納得させるものをそこで見せるのよね。あのシーンが好きですね。
小路 僕もずっとミュージシャンになりたくて、結局、なれなくて作家になっちゃった人間なんです。でも、作家になってからいろいろとミュージシャンの方とお話しする機会に恵まれまして。何者かで生きるためにはどうしたらいいか、何を考えたらいいのかということを、いろんな方にお聞きしているんです。自分の持っている何かだけで生きていくということを職業にする人間。それは一体何だろうということを知りたいと思って、話を聞いてきた。それをこの物語でもきちんと書かなきゃだめだろうという思いがあって、今回、研人を表に出してちょっと語らせてみたんです。
 実は研人をミュージシャンにさせてイギリスに行かせようという展開は、最初からずっと頭にあったんです。
加賀 音楽業界でロンドンに行くというのは、確かに昔はありましたよね。今行って、それほどインスパイアされるのかどうかわからないけど。
小路 そう、今はそういう時代じゃないんですが、それをあえてここでやってみようかなと。僕は結構古くさいことばっかり書いてますけど、でもそれは今だって普遍的に通じるものなんだということをきっちり書きたいからなんですね。
加賀 まあ、私も二〇歳で全部放り出してパリに行っちゃったし、行ってみて、その時間は決して無駄ではなかったしね。
小路 ええ、知ってます。ものすごく潔いというか男前というか(笑)。パリではトリュフォーとかゴダールと交流があったというお話も読ませていただきました。
加賀 あの頃は、どこかゆえなき自信があって、もう二〇歳で女優はおしまい、なんてね。だって普通の家に育ったのに、あるとき貯金通帳を見てびっくり。二〇歳でこんなにお金を持っているなんて普通じゃないわと思ったの。やたら週刊誌がうるさく書くのも嫌で飛び出して、パリで思い切り発散してきたという感じです。たまたまホームステイ先が社交界で有名な方の家だったので、普通会えないような人にもいっぱい会えたし、いい体験だったと思いますよ。それで、貯金を使い果たして帰ってきた(笑)。
小路 やっぱり男前です(笑)。僕は今五三歳なんですが、そういう昔の感覚を今の人たちに伝えられる最後の世代じゃないかなと思うんです。戦後のことも戦中のことも、父や母、あるいは祖母や祖父から聞いているし、あの頃の日本の空気を幼いながらも感じ取って知っている。そういうものを小説の中できちんと表現していきたいなと思っているんです。その意味でも『東京バンドワゴン』は大事にして、ずっと書いていこうかなと思っています。
加賀 ぜひ。ぜひ読みたいです。続けてください。私はね、今までのシリーズでは『マイ・ブルー・ヘブン』が一番好きなの。私と、あ、サチさんと堀田勘一(かんいち)の馴れ初めを描いた巻ね。あの巻では『東京バンドワゴン』の土台の部分がわかるし、疾風怒濤のようにドラマが動いて、とても面白く読みました。
小路 ああ、そうですね。ただその勘一も小説の中で歳をとっていってるので、何歳まで生きられるか。
加賀 そうね。今回で八六歳か。でも、元気な人って不思議に元気ですからね。私の知り合いでいうと、画家の堀文子(ふみこ)先生。九五歳なのに、頭なんかもうすっごいクリア。ばりばりよ。だからそれは大丈夫。ぜひ続けて書いてください。
小路 そうですね。とりあえず勘一は九〇までは確実に生きてもらうつもりですので、私もあと五、六年、いや七、八年は頑張って書きます(笑)。

構成=宮内千和子
【小路幸也 著】
『オール・ユー・ニード・イズ・ラブ 東京バンドワゴン』
4月25日発売・単行本
本体1,500 円+税
プロフィール
小路幸也
しょうじ・ゆきや●作家。1961年北海道生まれ。著書に「東京バンドワゴンシリーズ」をはじめ、『空を見上げる古い歌を口ずさむ』(メフィスト賞)『Q.O.L.』『東京公園』『夏のジオラマ』「探偵ザンティピー」シリーズ、「スタンダップダブル!」シリーズ、『蜂蜜秘密』『娘の結婚』『札幌アンダーソング』等多数。
加賀まりこ
かが・まりこ●女優。1943年東京都生まれ。62年「涙を、獅子のたて髪に」で映画デビュー。最近ではドラマ「花より男子」シリーズ等、映画「スープ・オペラ」「神様のカルテ」等、2013年、自身では初の新橋演舞場での舞台「さくら橋」に出演する等、幅広く活躍中。著書に『純情ババァになりました。』等。
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