このたび集英社文庫より刊行された、江國香織さんの『抱擁、あるいはライスには塩を』は、東京・神谷(かみや)町の広壮な洋館に住まう柳島(やなぎしま)家の、三世代百年にわたる愛と秘密を描いた長編小説です。
柳島家に暮すのは、貿易商の祖父、ロシア人の祖母、誠実な父、まっすぐな気性の母、離婚して戻ってきた叔母、変わり者の叔父、そして四人の子供たち。この家族一人ひとりの語りを通して、柳島家の「世間」とは異なる姿──四人の子供たちのうち、二人は父あるいは母を異にし、彼らは大学にあがるまで学校に通わず家庭で教育されることなど──が細やかに描かれてゆきます。そして、各々の語りが時系列とは異なる順番で綴られることで、この家族の歴史の断片が少しずつ読み手に「記憶」として積み重ねられ、それぞれの抱える「秘密」が、ベールをはぐように明らかになってゆく、味わい豊かな家族小説です。
足かけ五年の歳月をかけて紡がれ、単行本刊行当時たいへん話題となった、江國さんの代表作のひとつとも言える本書の文庫化にあたって、作品にまつわる五つの質問にお答えいただきました。
質問一 本書は魅力的な家族小説であり、家族を構成する一人ひとりを細やかに描いた群像小説のようなおもむきもあります。このような作品を書こうと思われたきっかけは何でしたか。
こういう話が好きなんです。すべてを見ることはできないけれど、かけらなら見ることができる。そのかけらの方が、いわゆる全体像というものより、信用できると思っています。かけら好きが高じて、パッチワークみたいな小説を書きたいと思ったのだと思う。
小説の題材として、家族というのは底知れず魅力的です。閉ざされた空間なので、その家だけの時間が流れますし、同時に一人ずつは、外の世界の、それぞれべつの時空間も生きなくてはならない。家族には役割の名前がありますから、一つの家のなかで、一人が同時に複数の存在になります。母親であり妻であり娘であり姉である菊乃とか、子であり孫であり妹であり姉である陸子とか。そのことも、私にとっては物語的に、狂喜するほどおもしろいことです。
そして、時間。時間が主役であるかのような小説を書きたい、と思って私はこれを書いたのでした。
質問二 月刊女性誌での四年四ヶ月という長期連載を経て刊行された本書ですが、江國さんにとって、どのような位置づけの作品となりましたか。また、執筆中の思い出や苦労話をお聞かせください。
とても大きな一冊になったと思っています。自由に書くことができました。いつも自由に書けばいいじゃないかという話なのですが、どういうわけか、自由に書けるときと書けないときがあります。
この本に限らず、私にとってどうやらライフテーマであるらしい、子供時代、家族、恋愛、消えゆくもの、の四つを、全部書けたので嬉しい。
連載中、大きい誌面に凝ったデザインの頁にしていただけたことは思い出深いです。小説誌ではあり得ない幸福さでした。単行本の装丁もお願いした田幡浩一さんなしには存在できなかった小説だと思います。自由に書けたのは、彼のつくる頁が毎回ほんとうに自由だったからかもしれない。物語の空気感が呼応しました。
苦労話は──。私は立体が苦手なので、一家が暮す広い邸(やしき)の間取りや構造、日あたりや窓から見える景色を、把握するのが難しかった。
質問三 三世代、百年にわたる柳島家の姿が描かれた本書には、時代と個人との関わりが、江國さんの作品のなかでも、より色濃く出ているように感じます。小説と「時代」との関係を、江國さんはどのようにお考えですか。
人も、小説も、時代からは逃れられないわけですが、だからこそ、時代は物語の豊かな土壌だと思います。どんな時代にも、ものすごくたくさんの物語が埋まっている。
最近、自分が年を取ったせいか、知らない時代を、以前よりずっと近しく感じます。言葉も文化も外国より遠い気がしていた平安時代を、千年前なんてついこのあいだだなあと感じる自分がいて驚きますが、それはやっぱり、その時代に書かれた物語があるからで、物語の力なのだと思う。
この小説のなかでは、私が生れるすこし前の昭和、あるいは、生れてはいたけれど自覚的に経験できなかった昭和、けれど実質的には周囲の大人たちのなかに濃くあって、そのなかで育ったようなものだとすらある意味で言える昭和、を描写するのにいちばん力を入れました。
質問四 江國さんの小説では、子供たちの目線で描かれる風景が非常に鮮やかです。読んでいて、幼いころに経験したにおいや色、光の記憶がよみがえってきます。ご自身の子供時代は、どのようなものでしたか。それは小説に影響しているのでしょうか。
ぱっとしない子供でした。臆病で、屈託のある、困った子供だったと思う。世界に対して批判的でした。たとえば、大人を見れば、これだから大人はいやだ、と思い、子供を見れば、これだから子供はいやだ、と思った。一体、自分を何だと思っていたのかわかりません。嘔吐癖のあったところは、この小説の陸子に似ていますが、陸子のように賢いわけではありませんでした。
子供のころの、自分の身体をもてあます感じをよく憶えています。自分を世界の一部だと感じることができず、世界を前にして途方に暮れていた感じを。それが、小説には強く影響していると思います。私がどういう子供だったかということがではなく、かつて子供だったということがです。
あたりまえのことですが、すべての大人はかつて子供だった。そのことは、私にとって依然としてある種の驚異です。
質問五 本書の20章に「小説家──。それは社会の落伍者かもしれないが、魂の解放者という意味で、個人的には勝者ではないのだろうか。」という叔父・桐之輔の言葉があり、たいへん印象的でした。江國さんにとって、小説を書くとは、どういうことでしょうか。
うー? 難しい質問ですね。このセリフは、もちろん登場人物の感慨であって、私の感慨ではありません。むしろ、私は、小説家というのは勝者にも敗者にもなれない者だと感じています。
小説家というのは職業であると同時に性質だとも思っています。
職業としての小説家について言えば、その人の個人的な弱点や欠点が、武器とか強みとか魅力とかにもなり得る、という点が、他の多くの職業と違うと思う。だから弱点や欠点を温存してしまう可能性があって、温存が望まれる場合すらあって、それが桐之輔の言う「社会の落伍者」ということなのかもしれない。
私にとって、小説を書くことは、そこに行ってみることです。小説を読むときと、おなじです。
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【江國香織 著】
『抱擁、あるいはライスには塩を』(上・下)
発売中・集英社文庫
本体(各)600 円+税 |
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江國香織
えくに・かおり●作家。1964年東京都生まれ。
著書に『こうばしい日々』(産経児童出版文化賞・坪田譲治文学賞)『ぼくの小鳥ちゃん』(路傍の石文学賞)『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』(山本周五郎賞)『号泣する準備はできていた』(直木賞)『がらくた』(島清恋愛文学賞)『真昼なのに昏い部屋』(中央公論文芸賞)『犬とハモニカ』(川端康成文学賞)等多数。 |
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