青春と読書
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木内 昇 『櫛挽道守』刊行/『漂砂のうたう』文庫化
対談 時代小説の極意──「色気」そして「史実より想像力」木内 昇×浅田
次郎
木内昇(のぼり)さんの新作『櫛挽道守』は、櫛師一家の物語です。攘夷の風が吹き荒れる幕末の時代、木曽・藪原宿で、父の背中を追いかけ、少女が櫛挽職人を目指します。また、明治初期の根津遊郭を舞台とした直木賞受賞作『漂砂のうたう』がこのたび文庫になります。二作の刊行にあたり、時代小説の大先輩である浅田次郎さんをお迎えし、時代小説の魅力や、その表現方法の難しさなどを語り合っていただきました。

今と地続きの幕末の魅力

浅田 新作『櫛挽道守』は、舞台が幕末ですね。幕末はお好きですか。
木内 ええ、好きです。中学、高校の頃「佐幕(さばく)」と「勤王(きんのう)」が混然としてわかりにくくて、次から次へとその時代の本を読んでいるうちにはまってしまったという感じです。
浅田 元祖歴女(れきじょ)だね(笑)。まあ、幕末というのは、今の僕らと地続きの感じがあるからね。明治がいかにして招来されたか、その大元が幕末にあるわけだから、ほかの時代とはちょっと一線を画すんですよ。
木内 それ以前の時代は、御館(おやかた)様がいて、偉くなる出世道がはっきりしていましたよね。でも、幕末は誰に忠誠を誓うのかというと、自分自身になってきた。若い頃はそこに惹かれたんだと思います。浅田さんはどこから入られたんですか。
浅田 僕はね、当たり前の動機です。新選組ファンですよ。
木内 あっ、おじいさまが天然理心流の剣術をやっていらしたんですよね。あの新選組局長の近藤勇(こんどういさみ)の流派として知られている。
浅田 そうそう、そうなんですよ。
木内 直木賞の受賞が決まった日に、初めて浅田さんとお会いして、私、その話ばかりしてしまって……。編集者時代からその話をお聞きしたいとずっと思っていたものですから。
浅田 僕の母方の家は神主で、奥多摩の青梅(おうめ)の御岳(みたけ)山で旅館をやっていたんです。昔は宿坊(しゅくぼう)でしたね。幕末の頃、そこに年に何度か近藤勇が来ていたらしい。それが目録に残っている。僕の何代か前のじいさんは天然理心流の門人で、近藤勇に稽古をつけてもらったらしいんだよね。
木内 羨ましいです。じゃ、幕末ファンになられる前に、まず新選組ファンになられて。
浅田 そう。親近感を抱いてね。ただ、いつの時代も同じ数の若者たちが新選組ファンになるんです。でも、はやり病のようなもので、歳を重ねるうちに大体冷める。ところが百人に一人か二人冷めないやつがいて、ずっと引きずっているんですよ。僕はその一人です。
木内 新選組のどういうところがお好きだったんですか。
浅田 普通の人っぽいところ、人間くさいところ。彼らは落ちこぼれた侍か、侍になりたかった百姓かのどちらかだから、コンプレックスの塊集団なわけです。新選組のキーワードはコンプレックス。すべてその言葉で彼らの行動は説明がつくんじゃないかな。

有吉佐和子さん、お好きでしょう

浅田 ところで、今回の新作を拝読して思ったんですけども、木内さん、有吉佐和子さん、お好きでしょう。
木内 えっ! なぜわかるんですか?!
浅田 ズバリ賞ですか。
木内 ズバリ賞です……
浅田 うん。私の目はごまかせません(笑)。もう一つ、当ててみようかな。今回は「『和宮様御留(かずのみやさまおとめ)』、頭にあったでしょう。
木内 ああ、怖い。『和宮様御留』もそうですが、『華岡青洲(はなおかせいしゅう)の妻』のように凝縮した家族の話を書きたいというのがありました。今回は、調子というかリズムみたいなものに関して、有吉さんを意識して書いたんです。
浅田 なるほど。筋のいい人だね。
木内 いや、でも、それを見抜かれると、つらいです(笑)。
浅田 有吉さんは、すばらしい作家ですよ。僕はお会いしたことはなかったけれど、とても尊敬していてね。歴史を俯瞰(ふかん)する力がものすごくあると思う。
木内 私もそう思います。そして書かれたものにいっさい無駄がない。
浅田 無駄もないし、ぎゅーっと詰まった稠密(ちゅうみつ)感というのかな。あれは真似できない。
木内 あの枚数であれだけの内容が書けるすごさを感じます。何度読んでも、過剰じゃないのに、濃密で怖くなるくらい伝わってくる。特に歴史小説でその力を発揮されている作家だと思います。
浅田 有吉さんは、男の人を書かせてもとても上手です。僕は最初に木内さんの『漂砂のうたう』を読んだときに、その筋かなと思ったの。人間に焦点を当てて、その人の人間性の中から「色気」を引き出すことができる作家だと思ったんです。時代小説のキャラクターには色気ってとても大事なんですよ。
木内 そうですね。人物に色気があるかないかで作品の奥行きが変わってくると思います。直木賞の選考会では、私の木内昇という名前が、男女どちらかはっきりしない状態で読まれたと聞きました。そのときに浅田さんが「男性のような名前だけど作者は絶対女性だ」と指摘されたと。その理由を、作品中の男に色気があるからと言ってくださったと後から伺ってうれしかったんです。
浅田 そうそう、本当にそう思った。
木内 色気とか、しっとりした感じ、人間の湿気みたいなものを出したいというのは強く意識している部分です。
浅田 今、空前の時代小説ブームなんだけれど、書き手の原点をたどると、テレビドラマや映画のにおいのする人が多いんです。でも、そこから色気を引き出すのは難しいんだよ。やっぱりいかに昔のいい小説を読んでいるか、そこからスタートしていないとね。だから『漂砂のうたう』を読んだときに、これは色気のある小説だなと思って、僕は一押ししたんです。
木内 ありがとうございます。私も、ドラマのような書き割り感が出ないように気をつけてはいます。ただやっぱり、日常的ではない世界を書くのは難しいですね。ふだん着物を着ているわけでもないし、火鉢も使ってない。想像だけでリアリティをどう表現するか、毎回苦労するところです。

体内に残る江戸の風景と言葉

浅田 時代小説を書くに当たって、木内さんの年齢は相当なハンディキャップになると思う。僕が子供の頃は、今ある電化製品ってほとんどなかったからね。初めて蛍光灯がついたときは、部屋全体がカーッと明るくなって、もう拍手喝采でしたよ。木内さんの子供の頃にはもう、今ある電化製品のほとんどが身の回りにあったでしょう。木内さん何年生まれ?
木内 一九六七年です。
浅田 東京オリンピック(一九六四年)の後だね。結局、あれを目指して日本が急成長して、あっという間に電化製品や交通インフラが普及して、今の時代が整ったわけです。実は、東京オリンピックの頃と今とでは、大きく変わってない。一方で、その前の十年は全然違う時代だったという感覚が僕にはあるんですよ。
木内 そうなんでしょうね。
浅田 じいさん、ばあさんはうちでいつも着物を着ていたし、正月は日本髪を結ってる人がいっぱいいたし。うちは商売をやっていたこともあって、やたら門付(かどづけ)も来た。
木内 万歳(まんざい)とか、獅子舞とかですね。
浅田 そうそう。もうね、江戸時代そのもの(笑)。門付が、一日に三人ぐらい必ず来るんだよ。虚無僧(こむそう)を真似た門付芸人が家の前で尺八吹いてるわけだ。獅子舞も、正月だけではなく年がら年じゅう来てた。あと、僕がよく覚えているのは、新内(しんない)流し。必ず二人一組で来て、一人が三味線弾いて、一人が唄うの。
木内 へえ〜、見てみたかったな。
浅田 それに祖父母の口調は、まるっきり江戸風だったから、江戸時代の小説を書くとき、僕は自分の子供の頃のことを思い出せばいいわけです。木内さんにはそんな記憶はない。この差は大きいよね。
木内 浅田さんの時代小説には、台詞にしても人間描写にしても、とってつけた感じが一つもなくて、どうしてこんなにもありありと時代を再現できるんだろうと不思議にさえ思っていました。今日はそれを伺おうと思って来たんですが。
浅田 じいさん、ばあさんのおかげ(笑)。おばあさんなんて、お歯黒(はぐろ)を差してたんだよ。子供の頃は怖くてね。
木内 えーっ。それは羨ましすぎます。
浅田 お歯黒をライブで見たのは僕が最後じゃないだろうか。 

小説家に大切なのは
史実よりも想像力


木内 浅田さんの小説は、江戸なり明治なりの時代の空気が再現されているとともに、町人であったり武士であったり、登場人物ひとりひとりが見事に描き分けられています。そして人物の身分や背景、生き方が、過剰な説明をしないのにポッと出てくる表現や台詞の一つに集約されている気がするんです。どうしたらそんなふうに書けるのでしょう。
浅田 うん、そこは想像力で書いていますね。小説家というのは、どんなに調べ物をして、どんなに取材を重ねても、それによって自分の想像力というものが縮小してしまってはいけないと思うんだよ。史実と想像力とどっちが大切かといったら、小説家は想像力のほうでしょう。だから、もちろん取材が土台になるんだけれど、取材してきたものを切り捨てる度胸も小説家には必要なんですよ。
木内 そこの按配(あんばい)が難しいんです。時間をかけてたくさん調べ物をして、それをどこからどこまで使うのかいつも迷ってしまいます。説明なり史実を書かないと読者に伝わらないんじゃないかとも思ったり。
浅田 最後までそれと格闘したのが司馬遼太郎さんだね。司馬さんは、小説を書いているのに、必ず途中に解説が入ってきちゃうから。
木内 「余談だが」と、長い解説に入っていく。司馬さんの小説に結構あります。
浅田 あの司馬流を決して見習ってはいけないんだ。あれは司馬さんだからできたこと。有吉さんは、そこのところの表現がとてもうまいと思うんだね。『和宮様御留』を読んだって、どこにも説明はないのに、宮廷の仕組みや、中山道の道中がよくわかるんですよ。
木内 本当にそうですね。私もつい説明を入れてしまいそうになるんですが、それによって一瞬物語から意識が離れてしまう気がするんです。浅田さんの小説のように、ワンフレーズで年齢からその人の風貌、性格までがわかるような域にはとても達していないので、どうしても、何年生まれで、何々髷(まげ)で、どういう着物を着てという説明を加えてしまいがちです。
浅田 ちょっと偉そうなこと言うけど、まず手始めに、括弧(かっこ)は絶対使わないって誓いを立てたらどう? 一寸と書いて、括弧約三センチと書くやつ。僕は使わないようにしてるんだよ。
木内 そうですね。見たことないですね。
浅田 括弧の中のたった数文字で、読者は現代に引き戻されてしまう。作家はリアリティを追求しようと書いているんだけれど、実際は、作品のリアリティを壊していると思う。括弧を使わず読者に伝えるにはね、「一寸」という数詞を省けばいいわけ。
木内 あ、そうか。その一寸のかわりに、尺度になるような、目安になるようなほかの言葉を持ってくればいいんですね。
浅田 そうなんだよ。時代小説に限らず全ての小説に言えるけど、最近は数詞がすごく多い。「三十メートル先の角を曲がって二百メートルほど行くとたばこ屋がある」とかね。描写のリアリティを追求をすることによって、読者の感じるリアリティを壊しているということに思い至らなければいけないと思う。
木内 私もそうした説明を、わかりやすくするために、読者に確実に伝わるようにと試みていたんですが、逆だったんですね。今日は本当に勉強になります。

マンウオッチングがやめられない

浅田 最後にもう一つ、街で木内さんがやっていることを当ててみようか。例えば僕は地図マニアで、しょっちゅういろんな時代の地図を見ている。だから散歩しながら、明治やら江戸やらを歩いている気分になっているんだ。
木内 だから浅田さんの登場人物は、よく街を歩くんですね。その描写によって当時の街の様子が伝わってきます。
浅田 で、木内さんは、いつもマンウオッチングしているでしょう。
木内 !! 当たってます!
浅田 すれ違った人にかつらかぶせてみたり、ちょっとかっこいい男を発見したら、入れ墨を彫って袖まくらせてみたり。年中頭の中で、目の前の人を動かしてるんじゃないかと思うよ。
木内 そのとおりです……。ついじーっと人を見て観察してしまうので、よく「感じが悪い」と言われます。時代物の登場人物って、職業や身分によって体つきや立ち居振る舞いが違ってくるので、少しでも参考にしようと思って、人の動きや仕草を観察するのが癖になっているんです。
浅田 観察はとっても大事なことですよ。普段の観察眼というのは自分の中に蓄積されていくから、必要な時に引き出せるんです。江戸時代であっても、人間の根本は、そう変わるものではないからね。
木内 はい、私もそう信じて書いています。
浅田 『櫛挽道守』、とてもいい小説だと思いました。でも木内さんには、この小説で発揮した力の十倍くらいの力が、まだ眠っていると思っているんですよ。僕が直木賞で評価したのは、『漂砂のうたう』の出来栄えはもちろん、あなたの可能性なんです。文章もうまいし、リズムもあるし、書く人間に色気もある。これからも貪欲にいい作品を書いてください。
木内 ありがとうございます。今日はいろいろ見抜かれていて、怖いくらいでしたが、励みになる言葉をたくさんいただきました。試行錯誤の連続ですが、易きに流れず、書いていきたいと思います。

構成=宮内千和子

『櫛挽道守』
12月5日発売・単行本
定価1,680円

『漂砂のうたう』
発売中・集英社文庫
定価620円
プロフィール
木内 昇
きうち・のぼり● 1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て独立。著書に『新撰組 幕末の青嵐』『新選組裏表録 地虫鳴く』『茗荷谷の猫』『浮世女房洒落日記』『笑い三年、泣き三月。』『ある男』等。2009年に第2回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞受賞。11年に『漂砂のうたう』で第144回直木賞を受賞。
浅田次郎
あさだ・じろう● 1951年東京都生まれ。著書に『地下鉄(メトロ)に乗って』(吉川英治文学新人賞)『鉄道員(ぽっぽや)』(直木賞)『壬生義士伝』(柴田錬三郎賞)『お腹召しませ』(中央公論文芸賞・司馬遼太郎賞)『中原の虹』(吉川英治文学賞)『終わらざる夏』(毎日出版文化賞)等。最新刊は『黒書院の六兵衛』。
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