青春と読書
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作家生活20周年『天使の柩』刊行
インタビュー 「凡庸さに救われた」20年と、天使シリーズ最終章を語る 村山由佳 聞き手=池上冬樹
村山由佳さんの天使シリーズが完結します。
1993年、村山さんは『天使の卵 エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞しました。
19歳の歩太(あゆた)と27歳の春妃(はるひ)の切なく激しい恋を描いたこの純愛小説は、累計190万部の大ベストセラーに。
それから10年後、続編となる『天使の梯子(はしご) 』を刊行、さらには、
『天使の卵』のアナザーストーリー『ヘヴンリー・ブルー』を刊行と、
20年にわたって続いてきたシリーズの最終章が、このたび刊行される『天使の柩(ひつぎ)』です。
春妃を失って以来、心に深い痛みを抱えてきた歩太は、ある少女と出会います。家にも学校にも居場所を見いだせず、 暗闇のなかを生きる少女でした。傷ついた二人の魂はいつしか惹かれあっていきます。
作家生活20周年という節目の年に、ご自身が原点≠ニ語るシリーズに終止符を打った村山さん。
本作に込めた思いを、これまでの作家人生を振り返りながらお話しいただきました。
聞き手は、デビュー以来村山作品を読み続けてこられた、文芸評論家の池上冬樹さんです。



歩太を悲しみから解き放ちたい

──『天使の柩』がシリーズ最終作ということに驚きました。本当に終わってしまうんですか?

 どこかで終わりにしようと思っていたんです。もともとシリーズ化するつもりはなく、『天使の卵』できっぱり終わる予定だったんですが、デビュー10年目に直木賞をいただいたときに、読者の方たちに「ありがとう」という気持ちを込めて『天使の梯子』を書きました。『卵』では歩太が8歳年上の春妃と恋に落ちる。『梯子』では、もともと歩太の恋人だった春妃の妹である夏姫(なつき) を救いました。そうすると、歩太だけが取り残されてしまった。書ききれていない感じが残ってしまって、いつか最後の物語を書こうと思っていました。それでこのシリーズは終わりにしようと。
 ただ、シリーズ最終作ではありますが、この作品単体でも読めるものにしているんですね。だからこの作品から読んでいただいてもいいんです。他の作品を読まなくても大丈夫、話はわかる(笑)。

──しかし、シリーズの一ファンとしても、最終作とあえて謳わなくてもいいんじゃないかと僕は思ったんですけど。

 もう一つ、デビュー以来シリーズで続けてきた「おいしいコーヒーのいれ方」も、もうすぐ完結するんです。でも「おいコー」は、もし先を読みたいと言ってくださる方がいたら、いつかその後を書くことは可能かもしれません。一方で天使シリーズ、というよりは歩太に関して言えば、彼をもう、自由にしてやりたい。

──歩太の悲しみを解き放って、ピリオドを打ちたいと。

 そうですね。歩太は私のなかでとても大きい存在です、デビューさせてくれた人ですから。だから彼を闇のなかに置いたままにはしておきたくなかったんですね。この作品で光を当ててきちんと決着をつけましたから、もう私のすべき仕事は終わったなと感じています。

──でも、僕も含めて読者は、登場人物たちのその後を読みたい、一緒に年をとっていきたいという気持ちがあると思いますね。またいつか書いてほしいな。それに、これほど読者を獲得したドル箱を手放さなくてもいいんじゃないですか(笑)。

 ありがとうございます(笑)。もちろん将来、こういったテイストの作品をまた書くことはあるかもしれません。だけど、柳の下のドジョウを何匹もっていうのはカッコ良くないなと。それにこのシリーズを、最後の扉が閉まらないまま持っていると、新しい冒険もしにくいんですね。10年目に『梯子』を書いたので、20年目に『柩』を書いて、これでいいかなと思っています。

黒村山≠経て生まれたヒロイン

──続編待望論者としてもう少し言わせていただいてもいいですか(笑)。僕はね、今回のヒロインの茉莉(まり)をもっと読みたいんですよ。茉莉、いいですよね。天使シリーズは他の作品でも、周辺の人物を使って歩太を浮かび上がらせていますけど、なぜ今回は、視点を茉莉という少女に置いたのでしょう。

 まず最後まで悩んだのが、歩太の視点で書くべきかどうかです。周りからはそういうリクエストもあったんですね。ただ、歩太の視点で物語を語り起こすとなると、『天使の卵』から続くこれまでの事情を、歩太の口から説明しなければならなくなる。それはどうなんだろうと考えました。すでに語ったことを再び語ることになるし、歩太自身が語れば語るほど、ナルシスティックな印象を読者に与えるような気もする。また、言葉にすると、伝えられるものがその言葉の範囲に限定される。それで、別の視点を用意したほうがいいなと。
 少女の境遇をどうするかについては紆余曲折ありましたが、少女という設定は最初から決めていました。ざっくり言うと、『天使の柩』は、村山版の映画『レオン』なんです。
 あの映画を観たのはデビュー2、3年後だったと思います。デビュー作の『天使の卵』が何しろピュアまっしぐらな作品だったので、その後はできるだけ違う球を投げようと試行錯誤していました。そんなときに、ピュアでありながらも、人間のドロドロした内面を描くといった複合型の物語作りはできるのではないか、そう気づかされたきっかけの一つが『レオン』だったのです。
 感情を忘れてしまったような孤独な中年の暗殺者と少女の間に、性愛とは異なる、恋愛とも言い切れないような、でも非常にストイックでエロティックな愛が生まれる。あの世界観を私なりに小説にしたいという興味がずっとありました。『天使の柩』でようやくそれが実現できた気がしています。

──先ほど仰った、境遇に関する紆余曲折というのは何だったんですか?

 最初は舞台を海外にしてみようと思ったんです。歩太が放浪の旅をしている途中に、外国人の少女に出会うというのはどうだろうかと。

──なぜ海外だったのでしょう。

 絵的に美しいかなと(笑)。それに、歩太への思い入れは読者の方の数だけあるでしょうから、異国の浮世離れした雰囲気を出した方が書きやすいのではと考えたんですね。
 もう一つ、『天使の梯子』を書き終えた後に、「天使の分け前」というタイトルを考えていたんです。「天使の梯子」というのは雲の切れ間から漏れてくる光のことで、もともと存在する言葉です。同じように、「天使の分け前」とは樽のなかから蒸発するお酒のことなので、造り酒屋の娘はどうかとか、プロヴァンスのワイナリーの娘はどうかと思いめぐらしていました。ですが、それって、もうミステリーや映画のタイトルになっているんですね。それでやめました。このタイトルを捨てて自由になったら、『天使の卵』以来のシリーズの舞台である石神井(しゃくじい)公園周辺に戻ってきたというわけです。

──僕はこの作品で、歩太の苦しみを初めて真に理解できたんですね。もちろん前作まででもわかっていたはずなんですが、茉莉という傷ついた少女を置くことで、歩太の表情がより深くなった。このヒロインが出てきたのは、自身の内面の黒々としたものを表出させたいわゆる黒村山″品──『ダブル・ファンタジー』や『放蕩(ほうとう)記』を書いたからだと思うのですが、いかがでしょう。

 まさに。ピュアな白村山≠セけだったら茉莉は出てこなかったと思います。実は『天使の梯子』は第一章を一度捨てているんです。最初、夏姫とフルチン(古幡慎一[ふるはたしんいち])の関係をカラダの関係から書き始めたんですね。そうしたら読者はそんなものを求めていないと当時のパートナーに言われて。黒村山を出現させないままの私だったら、今回の茉莉の境遇や彼女がさせられていることを書くなんて、あり得なかったと思いますよ。
 けれど歩太も30代になりました。綺麗ごとばかり書いていてもしょうがない。それに、例えば茉莉がとってしまうある行動は、彼女がどれだけの闇を抱えているかの一つの象徴なんです。そこをきちんと書かないと、歩太の闇とのバランスがとれないんですね。

──茉莉は家族からある種の虐待を受けてきました。『放蕩記』で母と娘の確執を書き上げたことで、正面から少女の苦悩を書けるようになったという面もありますか。

 そうした境遇の少女を書けるようになったというよりは、そうした境遇の少女を救いたいという気持ちが強くなったのかもしれません。例えば今年の春に出した『天翔(あまかけ)る』にも、子ども時代に性的虐待を受けた女性が登場しますが、そうして繰り返し傷ついた少女に寄り添って、彼女たちを救う物語を書きたくなるんですね。
 それから私は『放蕩記』を書いたくらいですから、いわゆる一般的な母性神話は信じていません。だけど少女のなかにある女性性や母性は信じたい気持ちが、親子関係が破たんしてしまっている分だけ、余計に強い。茉莉を書きながらマリア・マグダレンのイメージが強く喚起されました。聖母マリアのほうではなくて、娼婦だったとも言われ、汚いこともすべて潜り抜けてなおかつ愛の人になっていくマリアです。

悲しみが溶け合って「幸福」になる

──「シンプル&エモーショナル」が村山さんの作品の良さだと僕は考えていて、特に天使シリーズはそれが際立っています。その上、今回はど真ん中に「幸福」がきました。最終作ということにも驚かされましたが、幸福をこんなに堂々と謳い上げる作品を書いたことにも、また驚かされました。

 ありがとうございます。池上さんにそう言っていただくとほっとします。救いを書こうとは思っていましたけど……幸福を書いていると言っていただけて、すごく嬉しいですね。

──救いは毎回、村山さんのテーマですよね。でもこの作品の真ん中にあるのは幸福なんですよね。最近、こんなに幸福を書く作家っていないですよ。みんな衒(てら)いがあるから。

 お話を聞きながら、『天使の卵』で小説すばる新人賞を受賞したときの選考委員だった田辺聖子さんの選評を思い出しました。「普通だったらもうちょっと斜めから書こうとするところを、この作者は重戦車みたいに真正面から向かってくる」って書いてくださって。20年もやっていると、もちろん私にも照れや衒いがないわけではないのですが、このシリーズはとくにそれが取り払えるんです。自分の原点だからですね。

──皆で食卓を囲むシーン、好きだなあ。ラストも素晴らしいですね。茉莉という困難な環境に育った少女の苦しみがていねいに書かれ、その少女が歩太の苦しみを掬(すく)いとる。二人の悲しみが溶け合って、幸福になる。読んでいて気持ちよかったです。

 どんなに傷ついても人は生活をしていかなくちゃいけない。だから傷にかさぶたを作る。そうすると痛むことはなくなるけど癒(い)えることもなくて、残ったままそこにある。歩太の傷は固いかさぶたになっています。一方茉莉はまだ生傷の段階です。
 そういう二人は、自分で自分の傷に向き合っても癒(いや)されないんだけれども、相手の傷をふさごうと手を差し伸べることで、結果的に自分が癒され、幸せを感じていく。大事な人のために何かできるという思いが、自分の価値を認めることにつながるんですね。この作品では、人は必ず他者を求めるもので、他者によってしか救われないということを真正面から、以前とは違う深度で書くことができたように感じています。

──この作品で一番書きたかった場面はどこですか。

 歩太と少女が最後に──まだ茉莉という形をとっていない時点から考えていたのですが──、桜の下で笑っていられる場面を書きたいと思っていました。とにかく光の当たるところで終わらせたかったんです。もちろん大前提として読者に届けるためではあるのだけれど、それ以前に、私はこの作品を歩太や茉莉のために書いたという気がします。

──これはネタバレになってしまうかもしれませんが、天使シリーズでは毎作クライマックスの一歩手前で、主人公たちが泣きますよね。慟哭(どうこく)する。これはなぜですか?

 なんででしょうね(笑)。確かにそうですよね。涙は内面を浄化してくれるものですし、このシリーズには、泣く場面を作っていいという気持ちがあるんです。

──直球OKなんですね。

 はい。他の作品だとついひねってしまって、泣かない方法でなんとかできないかと考えるんですけれど、天使シリーズに関しては、登場人物たちがふさわしいタイミングで泣けるように、読者がそれを自然に受け入れられるように、そこに向かって書いているような気もします。

──以前村山さんは、『遥かなる水の音』に収録されている沢木耕太郎さんとの対談で「読者にどれだけのカタルシスをもたらすことができるかが、私のカタルシス」と話しています。いまはどうですか?

 考える作品と考えない作品はありますね。でもやっぱり涙は一つのカタルシスで、自分のカタルシスが読者のカタルシスになり、あるいはその逆もあったりと、シンクロしていく気持ち良さは書いていて感じます。

──その対談では、村山さんが黒村山≠出したことで、その後「白村山的なものを待ち望んでいる読者のために、さあ、差し出そうとなったとき、つら構えは相当ふてぶてしくなっているだろうなという気はするんですね」とも言っています。

 そんなこと言ってる?!

──言ってます(笑)。「『作家なんてしょせん人でなしである。いいかげん腹をくくれ』と言われている気がした」。だから自分は「明らかに前と違っている」と。変わりましたか? どう変わりました?

 作品を重ねて変わってきた面もありますし、実生活でも歳を重ねて、ふてぶてしくなりました(笑)。昔よりずっと気持ちの振幅が激しくなっているんですね。デビュー直後から長く鴨川で生活していた時代に比べて、むしろ些細なことに囚(とら)われるようになっているし、一方で、人間関係に救われる経験も増えている。日々くさくさしたり、人を恨んだり凹(へこ)んだりするのは精神的に大変ですけれど、小説家にとってはそのほうが幸せなんだなとこの頃は思うようになりました。

最良のデビューに、最良のピリオド

──『天使の卵』でデビューされて今年で20年。自身の原点である小説すばる新人賞の選考委員もつとめられています。ちょっと意地悪な質問ですけど、新人が『天使の卵』を引っ提げて出てきたら、村山さんはどう思いますか?

 ほんとに意地悪(笑)。うーん……、次にこの人は何を書くんだろう、と思うかな。自負も含めて言うならば、なかなか綺麗に閉じた作品ではある。ではあるけれども、完結した世界を書いてしまって、この先が開けていくのだろうかと不安を覚えるでしょうね。

──先ほど田辺聖子さんの選評を挙げられましたけれども、僕が一番印象に残っているは五木寛之さん。「よくこれだけ凡庸さに徹することができると感嘆させられるほどだが、ひょっとすると、そこがこの作家の或る才能かも知れないのだ」と。

 あれは強烈でした(笑)。なんでこんなに持ってまわった嫌味を言われないといけないんだろうと当時は思って。その先に「尖った才能というのはほどほどのもので、鈍さはその上をゆく才能だ」と続くんです。どういう意味なんだろうとずっと考えてきましたが、20年を振り返ってみると、見抜かれていたなと思います。真正面からの直球勝負って、衒いを覚えて、する人があまりいない、できる人がいないんです。でも私は、その気になればできちゃう(笑)。

──デビュー当時から才能があると言われていながら行き詰ってしまう人っているんですね。一方で最初は普通だな、凡庸だなと言われていた作家がその後、一生懸命書き続けていたりする。書き続ける原動力ってなんでしょう。

 私の一番の強みは、自分の書きたい世界が、それほど苦労なく、読者の求める世界と重なってきたことだと思うんです。私のなかに、人とつながれる端子がたくさんある。大学時代、友人と街を歩いていて、「由佳が『この曲、何?』って気にした曲は絶対ヒットするね」と言われたことをよく覚えています。みんなが好きなものが好き、というのは要するに凡庸だからなんですが、いま考えると、この凡庸さが私を救ってくれました。
 自分が書きたいものを書いたら幸いにも売れて、たくさんの読者がついてきてくれた。尖った才能は、ある一部の人たちには深く届くかもしれないけれど、たくさんの人にはなかなか伝わりにくいことがありますよね。私は凡庸さと負けん気の両輪でこの20年間走ってきたように思います。

──20年やっていると、昔ラクだったことが難しくなる、あるいはその逆の変化はありますか?

 シンプルこの上ないテーマで200枚程度の中編小説を書くのが難しくなりました。もっと大きなテーマに挑戦したくなるし、隙間を埋めたくなってくる。もう少し枯れてきたら、小品や佳品と呼ばれるような佇まいの作品を書きたくなるのかもしれませんが、自分の作家的体力を信じられる間にやっておきたいことがいまはまだたくさんあるんです。

──いまの村山さんが『天使の卵』でデビューするとしたら、どこか変えますか?

 うーん、どうでしょう……。やっぱり変えないでしょうね。あれは私にとって、結果論かもしれませんが、最良のデビュー作だったと思います。最初から受け入れてもらえたことも、その後反動で振り子が振れて黒村山≠ェ出現したことも全部含めて、最良のデビュー作でした。

──そのくらい愛着のあるシリーズをなぜ終えてしまうのか……。ついついその話に戻ってしまいます(笑)。

 いま、最良のデビューだったと言いましたが、それと同じように『天使の柩』は最良のピリオドだったと、後で思うような気がするんですね。20周年というタイミングで打ったこのピリオドが、私の第2期か第3期かはわからないですけど、次の一歩を踏み出す契機になるだろうと。ピリオドを打つと同時に、新たに錨(いかり)を上げる心境です。

──黒村山、白村山と言っていたものがこの作品で合わさって、新しい一つの村山由佳になった印象を受けますね。

 そうですね。もうどっちでもいい感じですね(笑)。これからもエロエロ、ドロドロの小説を書くことはあると思います。ただそれでも、頭のどこかで常に救いのある物語を求めるような気がします。

──救いや赦(ゆる)し、罪と罰というのは、村山さんの一貫したテーマです。先ほどマリアの話も出ましたが、キリスト教が出てくる作品も多いですね。例えば次は、茉莉ちゃんがフィリピンの母親に会いに行く話はどうでしょう。フィリピンはキリスト教で宗教が絡んできます。

 そこまで考えて下さったんですか(笑)! ちなみにフィリピン人との混血である彼女の名は語感で決めたんですが、茉莉と付けたので茉莉花(まつりか)(ジャスミン)に言及しようと調べたら、フィリピンの国花であることがわかって。それからフィリピンの言葉の一つ、タガログ語では、ジャスミンのことをサンパギータと言い、「君に愛を捧げる」という意味があると知りました。図らずも茉莉のキャラクターに重なって、導かれているなと、書いていてぞくっとしましたね。

──やっぱり続編を書けということではないでしょうか。10 年後、よろしくご検討ください(笑)。今日はありがとうございました。


構成=砂田明子

 
【村山由佳 著】
『天使の柩』
11月5日発売・単行本
定価1,575円
プロフィール
村山由佳
むらやま・ゆか●作家。1964年東京都生まれ。立教大学文学部卒。会社勤務などを経て、1993年『天使の卵 エンジェルス・エッグ』で第6回小説すばる新人賞を受賞。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。2009年、夫以外の男性との性愛に溺れていく女性を描いた『ダブル・ファンタジー』で柴田錬三郎賞、中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞をトリプル受賞。2011年、初めてとなる半自伝的小説『放蕩記』で母親と娘の愛憎を克明に描き大きな話題を呼んだ。その他『遥かなる水の音』『花酔ひ』『アダルト・エデュケーション』『天翔る』など著書多数。
デビュー以来続いている「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズは、“勝利”と年上のいとこ“かれん”が繰り広げるハートフル・ラブストーリー。これまでに通算18巻目までが刊行されており、最新作は『地図のない旅』。
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