青春と読書
青春と読書
青春と読書
インタビュー 読者に届く光を描きたい 道尾秀介
人間の見えない心のひだを細やかに描きながら、いつも読者を新しい発見と驚きに誘う道尾秀介氏。六篇の物語から成る新刊の連作群像劇『鏡の花』にも、驚くべき仕掛けが施されています。その不思議な感覚に戸惑ううちにいつのまにか深い道尾ワールドに惹きこまれていく――。
第23回山本周五郎賞を受賞した『光媒の花』の姉妹編ともいうべき本作ですが、道尾さんご自身が「『光媒の花』とは全然違うことをやりたかった」と語るように、これまでにない未知の体験をしたような読後感が残ります。刊行にあたり、本作誕生までの道のりをお伺いしました。



誰もやらなかった手法で

――今回、『鏡の花』を読ませていただいて、途中で「え?」という疑問符が何度もわいて、読み進めるうちにどんどんその不思議な世界に惹きこまれていく、という未知の体験をしたように思いました。こんな物語、読んだことないなと。

 そう言っていただけるのが一番ありがたいですね。作家として、誰々の何に似ている、と言われるのが一番嫌ですから。それがどんなに大作家であっても。だから、『光媒の花』とは全然違うこと、なおかつ今まで誰もやっていないことをやりたかったんです。『光媒の花』は六篇の物語が現実世界でリレーのようにつながっていき、それが円環をなすという構成になっています。ところが今回は、まったく異なる手法を取っています。
 一つの物語では脇役であった人が、次の物語では主役になって主体が切りかわっていく、そこは共通させていますが、『光媒の花』のようにリレーでつながっていくのではなく、すべての物語が切り離されている。でも、最後には、すべてがつながるという構成になっているんです。

――なるほど。ただし、そうした作者の意図は、最初は読者にはまったくわかりません。まず一章を読み、次の二章に入った瞬間、まったく異なる世界が広がっていて、驚きました。

 そこで驚いてくれるとうれしいですね。僕がこの作品で考えたのは、鏡に映し出される、いくつかの「もしもの世界」です。その「もしもの世界」では、別の物語の中では平穏に生きていた自分の大切な誰かを、不慮の事故や病気で失ってしまう。愛する誰かを失ってしまう人生と、失わない人生とでは、どんなふうに変わってしまうんだろうかと考えて、それを書いてみようと思ったんです。
 大切な誰か一人が欠けると、別の物語ではすこやかな笑顔を見せていた人間が、まるで別人のような暗い表情を見せる。愛する人を失うことで人生そのものまで変わってしまうんだということに、書きながら気づきました。
 各物語の中で、僕自身が主人公と共に大切な人の死に向かい合い、癒えるはずのない喪失感を共有するのはつらいことだったけど、その先の光を信じていたから書き進められたんです。

読み返すたびに涙の出る
ラストシーン


――道尾さんの作品ではいつも「光」がキーワードになっている気がします。

 いつも光を書きたいという気持ちがあります。それは作品によって〈救い〉と呼ばれたり、〈希望〉と呼ばれたり、時には〈懐かしさ〉というものであったりするんですが。
 光がないと絶対に影はできないでしょう。影があるということは、どこかに光があるということで、主人公たちにもそれを信じてほしいし、読んでいる人にも信じてほしいんです。「やっぱり嘘じゃなかったでしょう」というのを、作品の最後には見せたいんですね。
『光媒の花』は、光をどんどん受け渡していく。この人からあの人に、最後は読者に渡す、そういうスタイルでしたが、『鏡の花』は光が細切れになっていて、そもそも、そこに光るものがあるということに主人公たちは気づいていないし、見えてもいないんです。でも、喪失感の中でもがく、みんなの願いや気持ちが、最後には光に届いてくれる。

――濃い影の部分がしっかり書き込まれているからこそ、最後の大団円の中で満ちる光が感動的なんですね。ラストシーンは本当に心に深く残ります。

 あのシーンは僕も読み返すたびに涙が出てしまうんです。『光媒の花』の光は夕陽のイメージです。眩(まぶ)しいほどの夕陽、そしてその光がだんだん遠ざかっていく切なさ。それに対して『鏡の花』の光は朝陽のイメージなんです。眩しさがどんどん広がって昇っていくイメージ。僕の中にはその光が最後に読者にも届いてほしいという思いがいつもある。届かないと書いている意味がない。「ああ、面白かった」で終わってしまわないものを書きたいんです。

――その光を導く象徴として、この二つの小説には蝶が出てきます。

 僕のイメージの中では、『鏡の花』に出てくる蝶は、『光媒の花』のラストシーンで飛び去っていく、あの蝶なんですよ。『光媒の花』の場合は、蝶は必ず同じルート――蝶道――を通るというように、蝶は世界がつながり合っている円環の象徴でしたが、『鏡の花』では、願いの象徴として登場しています。蝶といえば子供のときから追いかける存在なわけです。食べ物でもなければ、遊ぶものでもない、ただひたすら追いかけるもの。そこが、願いと通じるんですね。

設計図を優先させない書き方

――道尾さんは、ご自身が読みたいものを書くのだといつもおっしゃっていますね。

 基本はそうです。読者はもちろん大切ですが、他人のためにこんな大変なことはできないです。特に『鏡の花』を書いているときには、設計図を優先させない書き方に徹しました。主人公となる視点人物が替わっていくごとに、こんな過去を持ち、こんな年代の人ならどんな言動をするだろう、どんな思いを抱えるんだろうと、先に考えていたプロットより、その時々の揺れや動きを優先させて書いたんです。だから最初のプロットはかなり捨てました。
 でも結果的にすごくいいものができたと思っています。小説を書くとき、何部売るとか、こういう人たちを泣かせるとか、若い人にアピールをするんだとか、そういう枠があると面白くならないんですね。結局小説を書いていて、作者である僕が心底自然だと感じられないことを一行でも書くと、やっぱり作品として全く面白くなくなってしまう。それは設計図よりも優先されるべきなんです。

――作品の中の主人公、つまり道尾さん自身が、自分のつくった枠からはみ出ていくんですね。

 ええ、それは各章、書きながらありましたし、先を想定しないで一篇ずつ書いていくので、どんどん枠が変わっていきました。
 書き手の側から言えば、最初に設計図をつくってその通りに進めた方が安心は安心なんです。でも、設計図を固めちゃうと、着想以上のものが絶対にでき上がらない。着想を超えるものをつくらないと、作品をいくつ書いても同じレベルということになってしまう。それじゃ伸びません。設計図をつくる能力って、それほど成長しないですからね。

――設計図に頼らず、物語の行き先はその都度自分に問いかける、ということですか。

 そうですね。僕は基本的に自分が知らない感情は書けないし、書かないようにしています。知識というのは付け焼刃(やきば)でもそれっぽく見せることはできるけど、小説の中で、頭だけで考えた、人に対する見方とか、自分が感じたことのない感情を書いたりすると、人生経験のある人には一発でばれちゃうんですよ。僕が唯一自信を持っているのは、生身の人間とたくさん付き合っていることぐらい。でもそれは付け焼刃ではないです。多くの人と深く関わり合うことで、いろんな感情の種を育ててこられたと思っています。

輪郭を無限に広げた小説を

――ミステリというジャンルには謎解きや答えが不可欠ですが、道尾作品の最大の魅力は、いつも答えの出ないもの、目に見えない何かを追いかけていることにあるような気がします。

 人間って何だろうということが知りたくて読み始めたのに、読み終わったらもっとわからなくなっていた、僕自身そういう小説が好きなんです。僕の小説もそうあってほしいし、それが読者に受け取ってもらうものの一つであってほしい。
 けれど、ただ、それだけじゃ面白くない。僕としては、もっと大きな、読んでいる人まで引っくるめて、もっと広い裾野の作品をつくりたいんですね。一つの物語を遠くから眺めて楽しむのではなくて、輪郭を無限に広げて、読んでいる人までそこに入れてしまうというものを書きたいんです。

――作者がつくった円環の続きとして、読者の人生もそこに入り込んでくるような小説ですね。

 そうです。しかもそれを、地の文でも台詞でも語らせたくない。それを言葉で書いてしまったら元も子もないですから。読んでいる人に気づいてほしいんです。
 その意味では、もしラストシーンの朝陽が自分にも当たっていると感じてもらえたなら、この作品は成功だと思うし、主人公たちが浴びている朝陽を外側から眺めているイメージなら失敗だと思います。作品に込めた光が読者まで届くことを願っています。


聞き手・構成=宮内千和子

 
【道尾秀介 著】
『鏡の花』
9月5日発売・単行本
定価1,680円
プロフィール
道尾秀介
みちお・しゅうすけ●1975年東京都生まれ。2004年『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビュー。07年『シャドウ』で本格ミステリ大賞、09年『カラスの親指』で日本推理作家協会賞、10年『龍神の雨』で大藪春彦賞、『光媒の花』で山本周五郎賞、11年『月と蟹』で直木賞を受賞。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.