青春と読書
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エッセイ 風景と記憶の断層 椎名 誠 
 作家よりも写真家をめざしていた。いや、だいそれた言い方だった。
「なれるものなら」という注釈が最初につく。
 モノのはずみでモノカキのほうになってしまい、いろんな雑誌の仕事をやっている若い頃に、写真と文章の両方の連載ルポを依頼されたことがある。テーマは自由だった。
 そこでぼくは、気持ちとしては写真のほうに力点をおいた毎月の取材旅に出た。そのときの連載タイトルを『風景進化論』というものにした。それは停滞なくすすみ、やがて一冊の本にまとまった。考えてみれば、これもだいそれたタイトルだった。自分でつけておきながら、当人がそのテーマをどのくらい自分でこなしていたか正直なところはなはだ曖昧だったからだ。
 それから三〇年ほどの年月がすぎ『小説すばる』で、また同じタイトルの『風景進化論』という連載をはじめた。今度は写真よりも文章のほうのウェイトが大きかった。
 三〇年のあいだに写真家的な仕事が相当に増えてきて、ぼくは喜んでその方面の仕事をやってきた。今は作家七割、写真家三割ぐらいの仕事配分になっているようだ。
 人生を重ねるにつれて眺めてきた風景の数も圧倒的に増えた。同時にある年齢まで記憶に大きかった風景で知らぬ間に消滅していったものもそうとうある。知らぬ間であるから、写真にでも撮っていなかったかぎり永久に消滅したままだ。
 過去のそういった記憶の風景がどんどん消え去っていくのは、ぼくの頭脳のなかの記憶の細胞がどんどん消滅していっているからだろう。古い記憶の風景をどんどん消滅させるような、新規の刺激的な記憶の風景が圧力をもっておしかぶさってきているのを感じる。
 どの人にも「記憶の風景の断層」というものがあるような気がする。小さな頃の記憶の風景はそのあとに堆積してくる夥(おびただ)しい風景の記憶に押し潰され、圧縮され、化石のようになっていく。
 三〇年ぶりの、同じようなコンセプトをもった取材の仕事で、ぼくはどのくらい、過去の記憶の風景と、それを補完する人生の思い出みたいなものを発掘できるか試してみようと思った。
 そうして考えたのが、自分のなかにある人生最初の記憶の風景だった。圧縮されて化石のようになっている「それら」は、みんなモノトーンで、動きがなかった。まさに古いアルバムのなかの古い写真を見るような沈黙と静止の風景で、ややもするとこまかく千切れて風に吹き飛ばされてしまいそうな、あやういものばかりだった。
 一番古いものは、ぼくが大きな下駄をはいて石垣のあいだの石階段を降りていくという断片的なもので、それと同じような「記憶の地層」にあるのは、広く長い廊下を歩いていく前を大きな人が横切っていく風景だった。
 後に兄と姉にそんな話をすると、それはあんたの生まれた世田谷の家だろう、と二人は言った。ぼくは都会にしてはえらく大きな家に住んでいた。大家族で、父も母も「たぶん」若くて元気な筈だったが、そういう大切な人の記憶は跡形もない。
 でも、その石段と広く長い廊下が、ぼくの人生の最初の「記憶の風景」なのだった。どちらもえらく心もとない、寂しい風景だったが。
 計算してみるとそれはぼくが三〜四歳の頃見ているものだった。
 風景は知らぬうちに変わっていくけれど記憶が進化していくということはない。ぼくの場合は、そのあとに新潟の荒れた海の風景が積み重なっていく。恐ろしい大きな波がいくつも押し寄せてきていて、白い濡れた海岸のいたるところに大きな肉片がころがっていた。後にそれは叔母が住んでいた柏崎の海岸らしいとわかった。
 海岸にころがっていた肉片は「くじらの肉だよ」とそのとき誰かが教えてくれた。誰なのかわからない。たぶん叔父だろう。
 それから映画の予告編みたいに、いろんな記憶の風景がごちゃごちゃになって押し寄せてきて、ぼくはもうそれらを年代順に記憶の断層として積み重ねていくことはできない。
 浅草の遊園地があらわれたり、本所深川の運河に浮かぶ丸太のいかだが浮かんできたり、目の前の丸テーブルの巨大なカツドンだったり、きれいなんだか恐ろしいんだかわからないようなお盆の灯籠の列があらわれたり、夜空を音もなく回る観覧車があらわれたりする。
 夜空の観覧車は記憶のなかの風景としてはめずらしく動いており、少しだけ色もついていた。それは記憶の順を飛び越し、子供の頃に見た深川の運河から連想して出てきた今からほんの二〇年ぐらい前のものだったりする。ぼくはえらく不機嫌な女とそのあたりの知らない居酒屋から出てきて、もう殆どその女から逃げ出そうとしていながら、しかたなく並んで歩いていた。
 運河沿いの大きな倉庫の角をまがったとたん、その観覧車が夜空を輪切りにするように回転していた。終始怒っていた女は、そこでようやく沈黙し、緊迫した空気が夜の闇のなかに溶解していくのを感じた。
 今度の取材では、その同じ場所をたずねたい、と思っていたが、そこだけではなく、東京中の風景は殆ど変わってしまっているのを知った。
 風景はそういう意味ではまったく一方的であり非情である。そうではあろう、となかばわかっていての取材だったから、諦めもついたが、あらためて知ったのは、わたしたちが普段なにげなく見ているありふれた日常の風景なんて、本当は不安になるほどモロくはかなく、うたかたのものでしかない、ということの確認であった。
 学生の頃にアルバイトで一年、サラリーマンとして一〇年ほど通い、自分で映画のプロダクションを作ってやはり一〇年通った銀座などは、今は三カ月行かないでいると変化してしまうような気がする。
 二〇代の頃に見ていた銀座通りにはまだ都電が走っていた。ぼくはそこを毎日下駄をはいて金属問屋の倉庫に通っていたのだ。その風景は、もう絶対に戻ってくることはないだろう。
 でもその記憶をもとに、作家としてのぼくはそれらを今から五〇年ぐらい先の風景におきかえ、異次元世界としてSF小説に書いたりした。過去と未来が混沌として一体化したような世界を舞台に作ったのだ。それは「記憶の断層」から飛び出して、まだやってこない遠い未来の記憶をもとにしている。
 頭のなかの未来の記憶は、ぼくだけしか知らない風景である。そういうものをなんとか無理やり作りだしていけたのは、これまで積み重ねてきた記憶の断層があったからなのは間違いないのだけれど。


 
【椎名 誠 著】
『風景は記憶の順にできていく』
(集英社新書)
発売中・定価798円
プロフィール
椎名 誠
しいな・まこと●作家。
1944年東京都生まれ。著書に『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)『岳物語』『アド・バード』(日本SF大賞)『砲艦銀鼠号』等多数。近著に私小説「岳物語」シリーズ最新刊『三匹のかいじゅう』がある。
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