青春と読書
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最終回
聞書き南相馬(みなみそうま) 第二部 <13>三度の春を迎えても 渡辺一枝
 南相馬市小高区は原発から20キロ圏内だが、昨年4月16日の警戒区域解除後に、避難指示解除準備区域と居住制限区域、帰還困難区域の三つに再編成された。解除の当日に私は小高区に入ったが、海岸寄りの地域は津波被害で失われた家も多く、元は人家や畑だったところは浅い海と化していた。町中は地盤の緩さのせいか地震の被害が大きくて、蔵造りと呼ばれる瓦葺きの見事な建築様式の家々が倒壊し、駅前通りの商店は傾いたり半壊し、道路は波打っていた。山側の地域は津波はもちろん、地震の被害も殆どなかったが、放射線量が高い。至るところ丈高く枯れた雑草に覆われ、人気の無い寺では桜が満開だった。
 解除の日、自宅の様子を見に戻る人たちで、道路には車の列ができていた。そしてこの日から帰還困難区域以外は日中は自由に家に戻る事ができるようになったが、宿泊する事はできない。電気は通じているものの、上下水道はまだ通じていない。小高神社では、震災によって壊れた鳥居や灯籠などを直して、7月には無事に相馬野馬追の祭事が行われた。秋が深まった頃から、町中の倒壊した家々の取り壊しが少しずつ始まった。年が明けて再度行ってみると、人気の無い駅前通りで、 赤、 白、 青の三色の斜め縞がぐるぐる回るサインポールを見た。床屋さんが営業していたのだった。毎朝仮設住宅から水を運び込んで、営業しているのだという。人が戻っていない町での営業再開は、利益を考えての事ではなく、先へ進む希望を掲げての事だろう。その先のケーキ屋さんの店先には「菓詩工房わたなべは、ここで再開します」と書かれた看板が立てられていた。決意を持って立てられた看板だった。

  鹿島区の小池長沼仮設住宅には、小高区からの避難者が何人かいる。今年3月19日、長野県からボランティアで来た理容師、美容師4人によるヘアーサロンがこの仮設住宅集会所で開かれた。私は椅子に座って順番を待つ人たちにお茶を出しながら、みんなの話を聞いていた。その中の一人が相浦さんのおばあちゃん(85歳)だった。
「家は小高だったけど、家も息子も流された。私ら夫婦は石神第二小学校に避難したけど、次の日には原発事故でゆめはっと(市民文化会館)に避難所が移って、そこで二泊、それから新潟の三条に避難した。三条に三ヶ月ほどいて、この仮設に入ったけど、じいちゃんが少しずつおかしぐなった。几帳面なしっかりした人だったんだよ。ちり紙もきちんと畳んで揃えて、ポケットに入れとくような人だった。こないだは『ばあちゃん、これなんだべ。食べられっか』って言うがら、見せてみって言ったら、自分の出したコロッコロの大便だった。薬飲んでっから、便秘すんだな」そこまで言って、おばあちゃんは急に口調を改め、「さっきはどうもすみません。暴れちまってご迷惑をおかけしました」と言った。ついさっき、連れ合いのおじいちゃん(89歳)がヘアーカットの順番待ちが嫌で帰ろうとした時に、それをなだめた係の手を激しく振り払った事を言っているのだ。
 おばあちゃんの言葉は続いた。「おとなしぐて暴れるような人じゃなかったんだけど、几帳面な人ほど、この病気になりやすいってお医者さんは言うんだ。外にも行かねぐなって、足腰も弱って、気難しぐなったんだな。じいちゃんが帰るって暴れたから、オラ言ったんだ。『じいちゃん、あんたの頭きれいにしてくれるって、遠い長野から床屋さんが来てくれたんだぞ』って。したら、ウンって言って座ったな。こんな病気んなっても、言葉がけ一つだな」
 津波で家も息子も失うという大きな衝撃と、その後の急激な環境の変化で、相浦さんは一気にアルツハイマー型認知症の症状が出てしまったのだろう。昼夜ひっくり返ったようなおじいちゃんの介護をするおばあちゃんも、心身ともに疲れがたまっていて安定剤、睡眠薬が欠かせない。
 志賀晴子さん(77歳)も小高に家があり、自宅の納屋は流されたが、母屋は数年前の改築時に盛り土をしてあったために無事だった。相浦さんと同じルートでこの仮設に落ち着いたのだが、昨年末にご主人が亡くなった。
「時々家に戻ってます。家に帰って暮らしたい。だけど、家に帰ってもどうやって暮らせるんだろう? 畑も塩を被って使えないし、除染しても元に戻るか判らない。この間帰った時、庭に咲いてた水仙を見て、嬉しくて、悲しくて、申し訳なくて ……。一人がこんなに寂しいもんだとは思わなかった ……」と涙ぐむ。

  前を向いて歩み出そうとする人もいるが、ただ立ちつくすしかない人たちもいる。誰もがきっと、叶わない事とは知りながら、震災前の生活に戻りたい、失ってしまったすべてを取り戻せたらと思っているのだろう。そして、三度目の春も過ぎてゆく。

※長い間ご愛読ありがとうございました。
 
プロフィール
渡辺一枝
わたなべ・いちえ●作家。
1945年ハルビン生まれ。
著書に『眺めのいい部屋』『わたしのチベット紀行 智恵と慈悲に生きる人たち』等多数。3・11の大震災以後、執筆活動と並行して、被災地でボランティア活動に参加している。
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