青春と読書
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連載
聞書き南相馬(みなみそうま) 第二部 <10>ペットが居ればこそ 渡辺一枝
 鹿島区にある千倉応急仮設住宅に、松本正枝さん(75歳)を訪ねた。正枝さんは娘と娘婿との3人でこの仮設住宅に住んでいる。松本さんの家は昨年4月に警戒区域解除になった小高区にある。震災前には、そこで娘夫婦と社会人の孫娘、高校生の孫息子の、一家5人で暮らしていた。娘夫婦は自宅に併設した店で、自動車の整備および販売業を営んでいた。
 2011年3月11日に大きな揺れがあった時、孫娘を除く4人は自宅に居た。幸い家は無事で、余震が続く中、棚から落ちて散ったものなどを片付けていたが、家に居るのも危険だからと、4人は小学校に避難し、その夜は車の中で過ごした。孫娘も勤務先の大熊町からやっと戻ったが、12日には原発から20キロ圏内に避難指示が出たので、各自、毛布1枚ずつ持って、家族全員で川俣町の小学校に避難した。その夜も車中で一夜を明かし、翌13日に教室内に避難した。次から次に避難者がやって来たので、それぞれがやっと寝られるだけのスペースしかなかった。「あれはきつかったけど、それでもおにぎりが一個ずつ配られたり、ありがたかったですね」と、正枝さんは言う。その間にも娘婿の関東在住の友人たちから、危険だから避難して来いと電話がたびたびかかって来た。14日、避難先で「教室の後ろの戸は閉めて絶対に開けないように」と指示が出た。後になって判ったが、3号機の爆発があったからだった。その日にまた娘婿の友人からの電話を受けて、15日の朝早く、その友人のいる千葉に家族全員で行った。
 工業高校2年生だった孫息子は、避難先の高校に編入し、卒業後は千葉の大学に入学して寮生活を送っている。孫娘は避難後2ヶ月経った時に勤務先と連絡が取れ、原町区の支店勤務となり一人暮しを始めた。正枝さんは8月に、この仮設住宅に一人で入居した。娘夫婦は孫息子が大学に入るまで千葉に残り、昨年の4月から正枝さんと仮設での同居となった。そして娘夫婦は原町区に土地を買ってそこで商売を再開した。正枝さんは「息子(娘婿)はとてもしっかりしていて、社交的だし、とってもいいの。私は安心です」と何度も言った。
 また正枝さんは、集会所ではボランティアなどが来て手芸や体操、ヨーガなどを教えてくれるし、入居者たちとお茶を飲んでお喋りもできるから幸せだとも言った。同じ集落からの人はいないが、入居者たちはみんなとても仲がいいと言う。被災前の暮しから考えればきっと不自由なことも多いだろうが、正枝さんは「除染だっていつ済むか判らないし、いつになったら戻れるか判らないから、もうそのことは考えないの。ここで娘夫婦と一緒にいるから幸せ。時間が経つと、辛かったことも忘れてしまった」と、笑って言った。
 正枝さんと私はこたつに入って話していたのだが、私の足先に触れるものがあって、それは時々動く。反対側にもまた、同じように動くものがあった。もしかして猫? と思い、そっとこたつ布団をめくると虎猫が丸くなっていて、もう一匹の黒い猫がこたつから出て来た。正枝さんに、避難する時、猫たちはどうしたのかを尋ねた。
「虎猫のトラちゃんは部屋に居たからこたつに入れて餌をたくさん置いて、黒猫のマクは外に逃げ出してしまったので、庭にタップリ餌を置いて避難したの。15日に千葉に避難する時に家に寄って、トラちゃんを連れて出たけど、マクはどこにも居なかった。千葉に居る時は、借りた部屋で猫を飼ってるのが判ったらいけないと思って絶対外に出さずに、隠して飼ってたの。8月にここに来る時、ここはペットが居る人の仮設だったから、トラちゃんは連れて来たの。それから一ヶ月位して家族が自宅を見に行った時に名前を呼んだら、このマクが痩せてひょろひょろになって寄って来たんで、連れて帰ったんだ。昼間は私は一人だけど、この子たちが居るから淋しくないの」
 この千倉の仮設住宅の一部は、ペットを飼っている人のためのものだ。私は以前にも、支援物資を持ってこの仮設に来たことがあった。その時にとても印象に残ったことがある。集会所の前に置かれたベンチにおばあさんが二人腰掛けて、なにやらとても楽し気に話し込んでいた。声をかけて聞くと、二人は被災前の住まいはまったく別の地域で、ここに来て友達になったのだと言う。そして「もう私は、この人と離れたくないの」「そう、恋人みたいに大好きな友達なの」と言って笑いあっていた。二人とも犬を連れていた。
 正枝さんの言う「幸せ」に、私はペットの存在の大きさを思った。家族内だけのことでなく、入居者の互いにとっても、ペットの存在は大きいだろう。犬の散歩の折には挨拶を交わし合うだろうし、猫を介して交流も深まるだろう。そしてまた私は、ペットを連れ出せなかった被災者の心中をも思った。
 
プロフィール
渡辺一枝
わたなべ・いちえ●作家。
1945年ハルビン生まれ。
著書に『眺めのいい部屋』『わたしのチベット紀行 智恵と慈悲に生きる人たち』等多数。3・11の大震災以後、執筆活動と並行して、被災地でボランティア活動に参加している。
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