青春と読書
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『ジヴェルニーの食卓』
インタビュー モネ、マティス、ドガ、セザンヌ――“読む美術館”にようこそ。 原田マハ
原田マハさんの最新刊『ジヴェルニーの食卓』は、モネをはじめ、日本でも人気の高い四人の画家たちを描いた作品集。彼らと関わった女性たちの目を通して、美の巨匠たちのドラマチックな人生を蘇らせます。ご自身が「この作品を書いたから『楽園のカンヴァス』が書けた」と語る本作について、原田さんにお話を伺いました。


モネと私たちは同じ感覚を持っている

――収録されている四編には、「うつくしい墓」にアンリ・マティス、「エトワール」にエドガー・ドガ、「タンギー爺さん」にポール・セザンヌ、表題作の「ジヴェルニーの食卓」にクロード・モネと、十九世紀フランスで花開いた印象派と、それ以降の画家たちが登場します。なぜ彼らだったのでしょう。

 まず、なぜこの時代の画家たちを選んだのかという、そもそもの話があります。
 海外の大きな美術館に行ったことのある方ならおわかりだと思うのですが、印象派の部屋に入った瞬間、世界が変わる。自分の周りを取り囲んでいた膜が、一瞬にして、ぱっと破れるような独特の感覚を覚えるんですね。大きな美術館はたいてい、古代文明の展示から始まるんです。それを時代順に見ていくと、重厚なキリスト教美術があり、バロックの闇があり、戦争を描いた時代があり、長時間かけて歩いているうちに、だんだん重い気持ちになっていく。そしてようやく、私たちの時代に近い印象派に辿りつく。そうすると、安心するんですね。ホッとする。印象派は都市文化を描いた作品が多いので、画面には、適度に都市と自然がある。だから、私たちにかなり身近なものとして共感できるんです。
 印象派の画家たちが日本の美術に大変影響を受けていることも大きいですね。私たち日本人は、モネやドガと同じ感覚を持っていると言っていいと思います。
 もちろん、たとえばルネッサンス時代にも、天才はたくさんいました。ですが今回は、私たちにとって、もっと近い時代で勝負したいと思ったんです。十九世紀末はアートの歴史がガラッと変わった激動の時代ですから、やっぱりそこを小説で描いてみたいなとも。なおかつ、もっともドラマに満ち、この人たちがいなかったら現在のようなアートの世界はなかっただろうと思う四人を主軸に選びました。
 表題作で描いたモネは、日本にも好きな方がたくさんいらっしゃる画家です。そしてモネ自身も、浮世絵をはじめ日本美術を愛し続けた人です。だからこそ、日本人がこんなにも愛するモネの「睡蓮」が生まれた背景を、私たちは知っておくべきなのではないかと考えました。

――モネの人生は激動そのものだったことがわかりました。

 執筆中、何度も胸がいっぱいになりました。自分の苦しみをそのまま表現にぶつける画家もいますが、印象派はそうではなかった。モネは「睡蓮」に至るまでの数十年の苦しみをすべてカンヴァスの底に沈殿させて、澄んで美しいものだけを描いて、死んでいった。モネの生き方を知ってから「睡蓮」を見ると、深さや美しさがより一層、心に染み入るのではないかと思いますね。

――本書を読むと、画家たちの人生に触れると同時に、なぜ印象派が生まれたのか、その潮流がいかに現代まで影響を及ぼしているかなど、美術史の流れも学ぶことができますね。

 私はこの本のキャッチフレーズを自分で決めていまして、「読む美術館」なんです。読んで楽しむ美術館を完成させるために、画家たちと対話をしながらこつこつ一人で設計して、こつこつ一人で展示して(笑)。ですから、この本を読んで美術館に行ったような気持ちになってもらえたら嬉しいですね。さらに、実際に美術館に足を運んで絵と対話しようと思っていただけたら、これ以上の喜びはありません。

「うつくしい墓」は試金石だった

――アートを題材にした原田さんの作品といえば、画家のアンリ・ルソーの作品をめぐるミステリーで山本周五郎賞を受賞された『楽園のカンヴァス』があります。実は『楽園のカンヴァス』と同時期に、本書を執筆されていたんですね。

 そうなんです。この四編は二〇〇九年から二〇一二年にかけて「すばる」に発表した作品ですが、最初の、マティスを描いた「うつくしい墓」は、『楽園のカンヴァス』の前に書きました。小説でアートを真正面から書くのは初めてのことで、大きなチャレンジでしたね。
 私は作家になる前、美術館でキュレーターなどをしており、アートに密着した生活をずっと送ってきました。毎日毎日アートを見る生活のなかで、アーティストとの対話を重ねてきたんですね。もちろん、マティスやモネと実際に会ったわけではないのですが、彼らとの対話が、自分のなかに歴然と蓄積されてきたという実感を持っていました。そうした実感を、自分の作品にどのように表出していくのか、作家デビュー以来、ずっと考えてきたのです。
 たとえば美術史では、史実と異なることは一切書き記してはなりません。研究者は、それをやったらおしまいなんです。私自身が美術史を専門にやってきて、そういうセンシティブな部分や事情がわかるだけに、小説として書くとき、ある種のハードルをどう越えるか非常に迷いましたし、悩みました。
 でも、今後、作家を続けていくには、いつかアートそのものを書かなくてはいけない、だからどうしても、ここでジャンプしなければならなかったんですね。「うつくしい墓」は、私がアートを書いていく上での試金石だったと思います。

――ジャンプをしてみていかがでしたか。

 思い切って高く飛んだら、深く潜ることができた、という感覚です。短編ということもあり、短期間に非常に深いところまで到達して、一気に書き上げましたね。
 潜ると、どんどん見えてくるんです。マティスはピカソと出会ったとき、こう思ったんじゃないか、こういう表情をしたんじゃないか、そういうことが鮮明に見えてくる。もちろん、全部、私の想像なんですけど、私しか知り得ないマティス、私しか書き得ないマティスが立ち現われてきました。これまで絵を通して行ってきたアーティストとの対話が、小説でもきちんと成立して、本当に楽しい執筆体験でした。
 そして書き終えたとき、許された、と感じたんですね。書いてしまった、という思いもあったのですが、一方で、書いたことを許されたと。誰に許されたのか。読者なのか、画家たちなのか、美術史家なのか ……。結局は作家である私のエゴ以外、何ものでもないのですが、書いていいのだと自分なりに思えた。
 同時に、やらなければならない仕事の一つを成し得たという安堵の気持ちも湧きました。そうした手ごたえを得られたからこそ『楽園のカンヴァス』を書くことができたのです。

アーティストをさりげなく支えた女性たち

――周囲の女性たちの視点から、四人の画家を描いている点も、本書の大きな特徴です。

 画家を主軸に据えて書くというのも考えたんですね。ですが、印象派はせいぜい百年前、マティスなどは六十年前にまだ生きていた人で、そんなに昔の話ではない。生々しい過去なんです。そういう距離感のなかで、たとえば「ドガの心臓が波打った」とか、あまりにもフィクショナルな直截的な表現をするのは避けようと。むしろ、そばに寄り添っていた女性たちをもう一人の主人公にしようと考えたのです。

――マティスの家政婦や、ドガの友人だった画家メアリー・カサットなど、登場する女性たちもバラエティに富んでいます。「タンギー爺さん」は、画材屋兼画商だったタンギーの娘の手紙で構成されていますね。

 あの作品は二重、三重構造になっていて、自分でも、なかなかテクニカルなことをしたなって思っています(笑)。
 セザンヌにもっと近い人、たとえば奥さんの立場から描くこともできたんですね。でもこの作品では、もう少し離れた場所に視点を置きたかった。二重、三重の壁を作ることによって、セザンヌが光のなかにふわっと浮かび上がるような印象を生み出そうと考えたんです。アーティストは決して一人で存在していたわけではなく、家族やモデル、友人、ライバル、画商など、たくさんの人に支えられていました。タンギーの娘のように、遠くから、さりげなく支えた人たちも多くいた。そうした存在を知ってもらいたいと思いました。
 物語に登場する画家を支えた女性たちは私自身でもあり、モネやマティスを愛して美術館を訪れるすべての人でもあります。読者の方にも、そんなふうに重ね合わせながら読んでいただけたら嬉しいですね。


聞き手・構成=砂田明子

 
【原田マハ 著】
『ジヴェルニーの食卓』
単行本
3月26日発売
定価1,470円
プロフィール
原田マハ
はらだ・まは●作家。1962年東京都生まれ。マリムラ美術館、伊藤忠商事、森美術館設立準備室勤務後、フリーのキュレーター、カルチャーライターに。『カフーを待ちわびて』(日本ラブストーリー大賞)でデビュー。著書に『楽園のカンヴァス』(山本周五郎賞)『旅屋おかえり』等多数。
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