青春と読書
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連載
聞書き南相馬(みなみそうま) 第二部 <7>引き裂かれたコミュニティ 渡辺一枝
 南相馬市の現地ボランティア、六角支援隊の根本内さんに「友達の一人に寺の住職がいて、僕はそこの檀家じゃないんだけど、すごく気が合うのよ。今度紹介しますよ」と言われて、鹿島区にある勝縁寺を訪ねた。ご住職の湯澤義秀さんが、奥様と一緒に迎えて下さった。
 初対面の挨拶のあとで私が、つい今しがたまで仮設住宅で環境科学者の関口鉄夫さんの『わかりやすい放射能の話』という講演会と、それに合わせての移動喫茶を済ませてきたところだと言うと、湯澤さんは「放射能もだけど、津波で打ち上げられたヘドロが3、4センチの厚さになって、それが乾いて粉塵になって舞ったでしょう。長い時間をかけて海底に堆積したヘドロには、相当に有害物質が含まれているのじゃないかと思うけれど、政府も県も検査したのかしないのか。相馬では米も作ってるけど、新地、相馬、原町と化学薬品工場が多いんだよね。ヘドロの有害物質の被害も、とても心配だ」と言った。根本内さんは「そうだなぁ。津波が真っ黒い壁になって押し寄せてきたけど、あれは海の底をひっさらったヘドロだもんなぁ」と言う。その目で津波が押し寄せるさまを見た根本内さんの言葉は、とてもリアルだった。根本内さんは、原町区の萱浜に家が在り、彼の家は無事だったが、集落の多くの家は流された。そして3・11以後、彼はどこにも避難せずにそこに住み続けている。
 湯澤さんは鹿島区で津波被害にあった地域は、居住制限区域に指定されたので、被災者は元の場所に家を建てる事はできないだろうと言う。「町場へ建てるよりないなぁ。放射線量が高い場所しか空いてないしなぁ。しかたないなぁ。こうなっちまったんだから、こうしていくよりないなぁ」と言いながら、傍らの紙袋を引き寄せた。「これ、今朝採ってきたの。ホンシメジ」と袋の中から根元に土がついた大きな株を取り出した。数日前には大きな松茸を採ったが、放射線量を測ったら1キロで720ベクレルあったと言う。今朝採ったホンシメジはこれから測ると言うが、相当な数値だろう。決して口に入れる事はできないのを承知しながら、「ホンシメジだぞ。うまかろう」と、本当に美味しそうに地の言葉で湯澤さんが言うと、根本内さんも「うまいどぉ。松茸なんてもんじゃなかろう」と応えた。春には山菜、秋には茸、海からの恵み、これらのことごとくが奪われた暮しがフクシマだ。
「一番辛かったのは、どんな事でしょう」と湯澤さんに聞くと、「行方不明者の死亡認定がされるようになって、生活維持者が亡くなった場合は500万円、そのほかは250万円の災害弔慰金が出る事になってからだなぁ。仕事もなくなって収入がないから食べて行けない。遺体は見つかってないけど、葬式をしようかって相談が来るようになった。捜してやる事もできないで、死んだことにしてしまっていいだろうかって相談されるんだけど、それに答えられないんだよ。ご家族が決める事ですってしか言えないんだ。原発から30キロ圏内は東電から毎月1人10万円の慰謝料が出るけど、圏外はそれがないでしょう。30キロ圏内外で、醜い争いが出てきてしまった。『いつまでも東電から金貰ってないで、働け』なんて言うようになったりね。それまでは被災者同士『大変だったね』なんて言いあってたのに」。南相馬市の行方不明者は2012年5月時点で3名となっているが、実数はこれよりはるかに多い。家族が死亡届を出した時に、行方不明者は遺体のないままで死者に数えられるようになるためだ。湯澤さんは、「コミュニティが、ズタズタに引き裂かれた」と言った。30キロ圏内の原町区や小高区では、こうした問題は起きていないと言う。

 震災から5ヶ月経った2011年8月の終わりの南相馬で、現地ボランティアの大留さんから「今一番忙しいのは墓石屋だよ」と聞いた事があった。私自身も、仮設住宅で暮すお年寄りから「お彼岸の前に、お墓をちゃんと直しておきたい」と聞く事もあった。墓石が倒れたり、割れたり、流されてしまった墓を元のように直したいというばかりでなかった。墓所の土地ごと津波でさらわれて何も無くなってしまったので、別の土地で改めて墓を建てたいという言葉も聞いた。「墓」は、死者を葬ってある場所、墓石はその印だと思っていた私には、それは思いがけない言葉だった。湯澤さんにそう言うと、「200年以上も昔に、富山から移り住んで、荒野を苦労して開墾して田畑を作って暮してきた、その先祖があるから自分たちがあるので、先祖を敬うからこそですよ。先祖供養の墓ですよ」と、答えが返った。歴史は、過ぎた時間ではなく、土地に刻まれた人の暮しに流れている。こうした歴史を引き継いでのコミュニティが「ズタズタに引き裂かれてしまった」のが、鹿島区の現状の姿だった。
 
プロフィール
渡辺一枝
わたなべ・いちえ●作家。
1945年ハルビン生まれ。
著書に『眺めのいい部屋』『わたしのチベット紀行 智恵と慈悲に生きる人たち』等多数。3・11の大震災以後、執筆活動と並行して、被災地でボランティア活動に参加している。
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