二〇〇七年、『氷平線』で単行本デビューして以来、生まれ育った北海道を舞台に、その地で暮らす男女の情愛を描いて多くの読者を魅了している桜木紫乃さん。新刊の『ホテルローヤル』は、北海道・釧路郊外のラブホテルで生起するさまざまな境遇の人たちの人生模様を描いた七編からなる連作長編小説です。ご自身「大きな転機になった」というこの作品について、お話を伺いました。
父のかけ声で始めたラブホテル
――廃墟と化したラブホテルでヌード写真を撮る男女を描いた「シャッターチャンス」から始まり、四十過ぎの看板屋・大吉が己の夢を託してラブホテルを開業しようとする「ギフト」まで、全七編が倒叙的な構成になっていますが、この形は最初から意識されていたのですか。
七編のうち、最初に書いたのが「シャッターチャンス」で、そのときはまだ連作の意識はありませんでした。ただ、この「シャッターチャンス」の雑誌発表時のタイトルが「ホテルローヤル」で、デビュー前からこのラブホテルを舞台にした小説を書きたいとは思っていたんです。そして、次に書いた「えっち屋」(単行本では三作目)のときに、担当編集者と話しているうちに、最後はホテルの開業で終わるような連作にしたら面白いねということになって、それからゆっくりゆっくり一本ずつ書き継いでいきました。結局、完成まで足かけ三年かかりました。
――このホテルの名前は、ご実家でお父様が経営していたホテルと同じ名前だそうですね。
ええ。それまでわが家は床屋をやっていたのですが、わたしが中学三年生のとき、「ギフト」の看板屋の大吉と同じように父が突然ラブホテルをやるといい出したんです。それで、家族全員で「行くぞ」という感じで(笑)。
当然わたしも手伝いに駆り出されて、十五の歳から結婚する二十四歳まで、毎日、部屋の掃除などをやっていました。でも考えてみたら、十代後半って、自我が形成されるすごく大事な時期ですよね。ふつうなら、男女のことについても徐々に知っていくという形なのに、わたしの場合、ミステリーを後ろから読むような感じで、いきなり男女の最終場面を見てしまったわけです。なにしろ、掃除をしに部屋に入ると事後のなんともひどい臭いがする。まずそれに打ちのめされました。ですから、その頃は恋愛に対する憧れなどまったくなく、自分の将来について深く考える余裕もありませんでした。ちょっと特殊な思春期を送ったんだなとわかったのは、結婚して子どもを産んでからでした。気づくの、遅いですよね(笑)。
――その体験を昇華して小説にするには、やはり長い時間が必要だったのですね。
ええ。そこでの体験はずっと蟠(わだかま)りのようにあって、いつかきちんと向き合わなければいけないと思っていたので、「シャッターチャンス」のプロットが通ったとき、ようやくホテルを舞台に小説を書かせてもらえるんだと思って、喜んだ記憶があります。
――アダルトグッズの販売員が出てくる「えっち屋」の次に書かれたのが、「星を見ていた」(同六作目)。ミコという六十過ぎのパートの掃除婦が主人公ですが、七編の中でもいささか色合いの違う作品です。
あれを書いてから、気持ちがぐっと楽になりました。というのも、わたしはデビュー作以来ずっと「官能」ということに縛られていたところがあるんです。先ほどいいましたように、男女の最終場面から入ってしまったので、自分の官能に対する考え方は他の人とは少しずれているというか、性愛に対して特別な憧れもないし、物語の中でもうまく距離を取ることができなかったんです。ですから、初めて商業誌に応募した「雪虫」(オール讀物新人賞)は、わずか五十二枚の作品に四回も官能シーンがあって、これだけ入れておけばきっと誰かに読んでもらえるんじゃないかと思ったんです(笑)。それ以来、わたしにはそういうことが期待されているのではないかと、勝手に思い込んでいたかもしれません。
ところが、この「星を見ていた」は、ふつうの地味なお話で、わたしの周りでありがちだったことを素材にしたもので、官能的なシーンもない。でも、実はこういうものを書いてみたかったんです。出来上がって、自分が思う理想のお話に近いものになったという思いはあったものの、いままでわたしが出会った編集者の方たちの顔を思い浮かべて、こういう話は読みたくないといわれるんじゃないかと不安になりました。もしこれが駄目だといわれたら、物語に対する考え方をもう一遍変えなくてはいけないと、どきどきしながら出した原稿なんです。そうしたら、幸いにもきちんと受け入れてもらえた。嬉しかったですね。官能シーンを入れなくてはいけないという縛りから解き放たれた感じになり、小説を書くときの心もちも変わってきたんです。この「星を見ていた」は、自分にとって大きな転機になった一編です。
五千円は大金です
――ご実家のホテルはまだ営業されているんですか。
いえ、つい先日廃業しました。もうなくなってしまいましたが、ホテルの名前を「ホテルローヤル」と決めたことからこの小説が動き始めた気がしますし、実名を使ったことで、わたしの中のお焚き上げも済んだ気がする(笑)。本当にこの一冊はあの場所に書かせてもらったのだと思います。その意味では、父に感謝しないといけませんね。たまたま今回は七つの話ですが、本当はホテルに関わった人たちの数だけ物語があるのだと思います。書き終えたいまは、長年心のどこかにしこりとしてあったものにケリがついた感じですし、フィクションという形で書けたことに満足しています。ああ、あの家に育ってよかったなと。
――ホテルローヤルの栄枯盛衰は、巧まずして疲弊する地方経済の様子を象徴しているように思います。ことに印象的なのは、「バブルバス」(同四作目)の、舅の同居で寝室を失った夫婦が、たまたまお盆のお布施五千円が浮いたので、意を決してラブホテルに行くという場面です。
年収四百万で同居の父親と子どもが二人。夫婦の性生活もままならない。あそこを読み返して泣きました、自分が書いていて泣くのもかっこわるいと思いながら(笑)。でも、わたしもサラリーマンの女房ですからよくわかりますけど、地方産業が地盤沈下している現在、五千円というのは大金なんですよ。自分で本を出しておいてこんなことをいうのもなんですけど、新刊の本などもなかなか買えなくて、結婚して二、三年目ぐらいのときにどうしても読みたくて、誕生日のプレゼントに夫からシドニィ・シェルダンの『真夜中は別の顔』の上下巻を新刊で買ってもらったときは、すごく嬉しかった(笑)。
――やはり、これからも北海道という土地に根ざして書いていかれるのでしょうか。
景色と人というのは欠かせないものだと思います。人だけ書いていても小説にはならないし、景色だけ書いていても小説にならない。それは、デビュー前からずっと肝に銘じていたことです。わたしの場合、見たことのない景色を空想でつくり上げることは難しいので、どうしても釧路をはじめとする自分が暮らしてきた北海道が舞台になることが多いんですね。そういう土地を舞台に置いて、そこから知っている人間を全部一回外す。そして、新たにキャラクターを持ってきて組み立てていく、そんな感じです。
――今回の作品が転機になったということですが、今後はどのような作品を考えているのでしょうか。
特別にこれこれを書きたいというのはないのですが、デビューまでずいぶんかかりましたから、自分が書いたものを読んでくださる人がいるということだけで、とても嬉しいんです。ちょっと、優等生的ないい方で気恥ずかしいんですけど、たとえ世界中に一人しか読者がいないとしても、その一人に喜んでもらえればいい、本当にそういう気持ちで書いています。いま自分ができることを精一杯やって、それを少しでも読者に伝えることができたらいい。これからも、そういうお話を一つ一つ出していければいいなと思っています。
聞き手・構成=増子信一
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【桜木紫乃 著】
『ホテルローヤル』 単行本・集英社刊 2013年1月4日発売 定価1,470円 |
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桜木紫乃
さくらぎ・しの●作家。
1965年北海道生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。著書に『氷平線』(「雪虫」収録)、『風葬』『凍原』『恋肌』「硝子の葦』『ラブレス』『ワン・モア』『起終点駅』がある。 |
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