青春と読書
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連載
聞書き南相馬(みなみそうま) 第二部 <6>決めたからには、笑って生きる 渡辺一枝
 南相馬市現地ボランティアグループの六角支援隊は、隊長の大留隆雄さんを最年長に、メンバーは50〜60代の男女だ。唯一の20代が、のぞみちゃんだ。のぞみちゃんが支援隊の活動に参加するようになったのは、彼女のおばあちゃんが、「うちの孫にも何かさせて欲しい」と連れてきたのがきっかけだった。のぞみちゃんは高校卒業後にうまく就職先が見つからず、共働きの両親や姉が仕事に出ている留守を祖母と守りながら、家事手伝いをしていたのだ。
 私が初めて南相馬へ行ったのは震災後5ヶ月経った昨年の8月だったが、その時に支援隊メンバーに若い女の子がいたので驚いた。それがのぞみちゃんなのだが、避難しなかったのかと聞いた私に、彼女は答えた。「震災後近くの大甕小学校に避難したが、そこも危険だということで中学校に避難先が変わった。原発が爆発した後、30キロ圏外に避難ということになって用意されたバスにみんな乗って、丸森のヒッポに行った」
 丸森町は宮城県南だが、福島に並んで放射線量が高いという記事を読んでいた記憶があったので、「ヒッポには何日くらい居たの?」と驚きを隠して聞くと、のぞみちゃんは「3ヶ月。ヒッポにいた間にタップリ放射能を浴びてきた。南相馬の方が放射能は低かったんだよね。知らされなかったもん」と答えた。以来、私の頭の中には丸森ヒッポという地名が、強く印象付けられていた。ヒッポは筆甫と書くが、音の響きから、かつてはアイヌの人たちが暮らしていた地ではないか、とも思った。友人の娘さん夫婦がそこに住んでいることを知ったのは、昨年の暮れだった。無農薬で大豆と米を作り、みそ工房を営んでいるということだった。

 丸森町筆甫に太田さん一家を訪ねたのは、今年の5月の半ば過ぎだった。阿武隈急行の梁川駅まで、友人の娘さんの未弧さんが迎えに来てくれた。そこからヒッポまでは広葉樹の山中を行く道で、体が緑に染まるようだった。早苗の田圃ではカエルが鳴いていた。木立の間からは時折、渓谷の澄んだ流れが見えた。果樹園の柿の木は、除染のために表皮がすっかり剥がされて、白々とオブジェのように枝を伸ばしていた。若葉が日を照り返していた。
 東京の杉並区で生まれ育った、未弧さんの旦那さんの太田茂樹さんは大学院で環境社会学を学んだ後に、豊かな自然の中で、循環型の暮しをしたいと考えて17年前に丸森ヒッポに移り住んだ。練馬区出身の未弧さんもまた、自然の中での暮しを求め丸森を訪ね、茂樹さんと出会い、結婚して子どもも生まれた。「山の農場&みそ工房SOYA」を営んで、町内外にネットワークを築き、暮してきた。茂樹さんが丸森を選んだのは、福島第一原発からも女川原発からも50キロ以上離れていたことも理由の一つだったという。ここでの暮しに溶け込み、子どもたちも“丸森っ子”として元気に育っていた。茂樹さんは過疎高齢化の進む地区をなんとかしようと、Iターン、Uターン者と地区の人たちとの繋ぎ役も務めてきたが、原発の事故後、数家族が地区を離れ、移住相談もまったく途絶えたという。
 事故直後、未弧さんは五年生の長男、三年生の長女、一年生の次男と保育園児の次女を連れて東京の実家に避難したが、茂樹さんは残った。二人は、考えに考え悩んだ末に、丸森を離れず、ここで子どもたちのために最善を尽くして生きることを決意した。そして新学期が始まるのに合わせて、未弧さんは子どもたちを連れて丸森に戻った。
 太田夫妻は「考えに考え悩んだ末」の選択によって、ヒッポでの新たな一歩を踏み出したといえるだろう。小学校の除染を求めて活動し、自らもスコップを持って作業にあたった後で、同じ思いを持つより多くの人が繋がる必要があると考えた茂樹さんは、県内の人たちに呼びかけて“子どもたちを放射能から守るみやぎネットワーク”を立ち上げ、代表になった。その活動の一環として、京都大学原子炉実験所の今中哲二さんを招いての講演会も開催したという。地区で放射能汚染マップを作り、食品用の放射線測定器を購入して食の安全を守り、子どもたちの健康調査、損害賠償請求をしてきたという茂樹さんだが「一番グサリときたのは、『自分の子どもも汚染地区から避難させずに、“子どもを守る”なんてよく言えたもんだ』という言葉です」と言う。事故の直後に長崎大学(当時)の山下教授が言った「笑っている人には放射能の影響は来ない」という言葉をどう聞いたかと尋ねると「あれは信じられません。でも、ここで生きると決めたからには、私は笑って生きます」と答えが返った。
 のぞみちゃんたち南相馬の被災者が避難生活を送った旧筆甫中学校の校舎は、鉄筋二階建てで設備も整っていた。校舎の端には、避難生活を送る被災者のために茂樹さんたちが建てた風呂場が残っていた。茂樹さんは過疎のために廃校になったここを、地区の高齢者のための福祉施設や、再生可能エネルギー施設などに転用して、地域のこれからに繋げていこうと呼びかけも始めたそうだ。
 
プロフィール
渡辺一枝
わたなべ・いちえ●作家。
1945年ハルビン生まれ。
著書に『眺めのいい部屋』『わたしのチベット紀行 智恵と慈悲に生きる人たち』等多数。3・11の大震災以後、執筆活動と並行して、被災地でボランティア活動に参加している。
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