夫の浮気が原因で離婚する夫婦と、その一人娘。ひょんなことから「家族解散前の思い出」として「岡田」と名乗る若い男とドライブすることに――(第一章「残り全部バケーション」)
新刊『残り全部バケーション』は、裏の世界で生きる「岡田」と「溝口」の男性コンビを主人公に、人生に起きる「小さな奇跡」を描く五章構成の連作長編小説です。刊行を記念して、著書の伊坂幸太郎さんにお話をうかがいました。
一作ずつトライした連作
――『残り全部バケーション』は五編からなる連作小説集ですが、第一章の表題作は二〇〇八年に書かれたものですね。
けっこう長い時間がかかってるんですよ。二〇〇八年に書いた「残り全部バケーション」は、アンソロジー向けに書いた短編だったんですが、ちょうど『ゴールデンスランバー』を書いた後だったんです。『ゴールデンスランバー』が書き下ろしだったせいもあって、エネルギーを使い果たしてしまって、「残り全部バケーションだ」という気分で(笑)。
――「残り全部バケーション」は、肩の力が抜けているというか、気持ちのいい“軽さ”みたいなものがありますね。
この頃はとくに、パズルっぽいというか、伏線がばっちり張ってあるかっちりした小説が僕らしいと思われていたので、そういう作品をまた書くことには意味がないな、と。これまでとは違うものを書きたかったんです。
――両親が離婚して家族がバラバラになる日に、お父さんのPHSに見知らぬ番号から「友達になろうよ」というメールがくる。まったく先の読めない展開です。
本当に「友達になってくれない?」というメールが僕のケータイにきたんですよ。いっしょにご飯に行こうって。子どもが生まれたばかりで出かけることもなかったし、友達もいないんで、うちの奥さんに「返事してもいいかな」って聞いたんです。そうしたら、「何人乗りか聞いて」と切り返されて。お前も行くんかい!(笑)と。小説に書いた、そのままでした。そんなことがきっかけだったんです。
――面白いですね(笑)。その後、一年に一作くらいずつのペースで書かれていますが、最初から連作で、という構想だったんですか?
それが、そうでもないんです。集英社から『終末のフール』(二〇〇六年)を出した後で、また何か出しましょう、という話になって、短編が集まったら、という約束はしたんですけど、「残り全部バケーション」以外の短編がうまく集まるかどうかわからなかったんですよ。これと同じような短編を書いて一冊にまとめようという気持ちはなかったので。それで、また一年くらいしてから、新しい雑誌(「紡」実業之日本社発行)を立ち上げるから一本書いてくれ、と言われて書いたのが次の「タキオン作戦」。これが、当時考えていた理想の短編なんです。いや、理想というか、こういうのなら書く意味があるかな、という。語り手の人称がバラバラで、映画のカットを積み重ねていくような構造になっています。これ、なんだろう? と思わせて、最後に答えが待っている。今度はこれにトライしてみよう、と思って書いた小説です。
――親から虐待されている小学生を、「残り全部〜」の岡田くんが奇想天外な方法で助けようとします。
児童虐待をテーマにした小説を読んだんですけど、現実の辛さをそのまま書くことは僕にはできない。だったら、虐待する大人に対して、絶対にありえないやっつけ方ができるんじゃないかな、と思ったんですよね。
――たしかに、すごい方法でした。「残り全部〜」と「タキオン〜」に溝口と岡田くんが出てきたので、ああ、この本は二人を軸にした連作なんだなとわかりましたが、この時点で連作の構想ができていたということですか?
いや、この時点でもまだ、まとまらなくていいや、と思っていたんです(笑)。でも、集英社で一冊にまとめる可能性はまだあるから、登場人物の名前は揃えておこうかな、くらいの気持ちでしたね。
書いた当時と評価が変わった「検問」
――初出を見ると、「タキオン作戦」が二〇一〇年執筆で、第三章の「検問」のほうが先なんですね。「残り全部〜」と同じ年の二〇〇八年。
そうでした。『ゴールデンスランバー』で山本周五郎賞をいただいたんですが、山本賞をいただいて、短編を書きましょうと言われまして。それがけっこうしんどかったんです。当時は短編を書くモードでもなかったし、気持ちの余裕もなかったから。だから、六〇点くらいでいいや、と思ったんですよね。
――六〇点くらいでいいや、というくらい気軽に書こうとしたってことですか?
本気で六〇点。誰かに「六〇点ですね」と言われる前にそう思っておいたほうがいいかなって(笑)。
――そんな(笑)。乾いたタッチの作品で、海外ミステリの短編のような面白さを感じました。
たしかに今年になって読み返したら意外といいかなって思ったんです。書いたときには、これってただ面白いだけの小説じゃん、という気持ちがあったんですけど。「検問」ってタイトルからしてやる気ないでしょう?(笑)
――シンプルで内容にピッタリですよ。語り手は拉致された女性ですが、どこか現実から乖離(かいり)しているような冷めた描写で、検問でのできごとも謎めいている。溝口と相棒とのかけあいも面白い。ちょっと変わった味わいの小説です。
ゴダールの有名な言葉に「男と女と一台のクルマがあれば映画はできる」というのがあって、困ったときにはこれだ、と。クルマが出てくるなら「検問」にすれば緊迫感が出て面白くなるはず。だったら検問だけで書いちゃえ――それで、検問で思いつくことをばーっと書いたんです。二日で書き終えました。今まで書いてきた作品で一番短い日数で書いたんですけど、書き終えてみて、こりゃダメだ、と。
――どこがダメだと思ったんですか?
こういう小説だったら、いくらでも書けるじゃないかとそのときは思ったんですよ。でも、去年、東日本大震災があって、少し見方が変わりましたね。新しいこともやりたいけど、楽しめる小説はそれはそれでいいんじゃないか。だからいまの評価は八〇点くらいです(笑)。
――残りの二作は今年書かれたものですね。
あと二本書いて十二月に本にしようということで、二作はほとんど続けて書いた感じですね。
――第四章の「小さな兵隊」は岡田くんが小学生のときの話です。
もともと集英社の編集者と、小学生の話をやりたいねって話していたんです。今年出た集英社のアンソロジー(『あの日、君と Boys』集英社文庫)に書いた「逆ソクラテス」が小学生の話で、実は、「逆ソクラテス」に出てくる小学生を岡田くんにして、この連作に入れるのもアリかなと思ったんです。でも、編集者に却下されたんですよね(笑)。なかなかラクはさせてもらえません。
――小学生時代の話だけではなく、大人になってからのエピソードも入ってくるところも面白いと思いました。
これは一人称で書きたいと思っていたんですが、子ども視点で書くと、一人称で使う言葉が幼くなっちゃうんですよ。僕が好きな文章って、ふつうに僕の語彙で書いている言葉なので、回想にしているんです。
――回想といえば、五編の作品は時間軸で並んでいるのではなく、大胆に前後します。一つの作品のなかでも現在から過去へとさかのぼったりする。それは意識的なものですか?
そのときどきで面白い書き方を考えた結果ですね。でも、基本的には僕の小説のパターンの一つで、時間を前後させたりするのが好きなんですよ。
――たしかに。映画のカットバックのような感覚ですか?
時間が飛ぶと、想像で間を埋めるじゃないですか。それが楽しい。書かれていない「間」を想像力で補完していく作業が読書っぽいと思うんです。
ほかの短編とつながった「飛べても8分」
――最終章の「飛べても8分」は書き下ろしです。
先にタイトルだけ決めていたんですよ。「小さな兵隊」を書きながら、次の話も考えなきゃいけなくて。「小さな兵隊」はゴダールの映画からの引用ですけど、僕の小説のタイトルには引用がけっこうあるんですよ。でも、今回はオリジナルでいいタイトルを考えたい。オリジナルはオリジナルでも「××の○○」というパターンはやめよう。『終末のフール』とか『SOSの猿』とかも書いていますけど、もともと日本語のパターンなのか、小説のタイトルは「××の○○」が多いんですよ。座りがいいんですね。でも、今回は違うパターンにしたい。「飛べても8分」を思いついたのは、歩いていたときです。踏切待ちとかそういうときに「とんでもハップン」という言葉が頭に浮かんで、漢字にするといいな。でも、そのままじゃなくて「飛べても」にしたほうがもっと深く意味を考えられる。それに、ウィキペディアで「とんでもハップン」が英語のネバーハプンをもじったものだと知って、さらに面白いな、と。しかも、「飛べても」って悲観的ですよね。飛べたって八分もかかる。でも ……という気持ちを込めたいなと思ったんです。
――本当にいいタイトルです。親しみがある言葉なのに意外なムードが出てきて、どんな話か見当がつきません。
タイムリミットっぽい感じがありますよね。医者を出したいと思っていたこともあって、最初は病院から脱走する話にしようかと思っていました。最終的にはちょっと違う話になりましたけど。
――ネタバレになるので言えませんが、最後の盛り上がりもすばらしかったですね。
最後の展開は、『最強のふたり』という映画を見ているときに思いついたんです。なぜかはわからないんですけど、「友情」がヒントになったのかもしれません。
――映画を見ていてアイディアを思いつくことはよくあるんですか?
けっこうありますね。それも、飛び降りのシーンを見て、主人公に飛び降りをさせようとか思いつくんじゃなくて、感情がきっかけなんです。なんで僕はここで興奮したのかな、と感情をたどっていったときに思いつきますね。
――いままでうかがってきたように、「飛べても8分」以外は一編一編がそれぞれ時間をおいて書かれたわけですが、連作小説として違和感がまったくないことにも驚きました。それぞれに書かれたものでも無理なくつながる。伊坂さんのなかに一つの世界があるからではないでしょうか?
そういうとかっこいいですが、実際は冷蔵庫が同じだから、出てくるものが一緒なんですよ。「飛べても8分」がほかの短編とうまくつながったのもたまたま。さもプラン通りだぜ、みたいに見せていますけど。
――でも、完璧なプランがあってその通りに書かれたものよりも、結果的につながったもののほうがスリルがあると思いますね。作家の無意識が表れるような気がしますし。
そうなるといいと思いますね。設計図が最初からあるとつまらないと思います。
――『残り全部バケーション』は一作ごとに伊坂さんが新しいことに挑戦し、それが一つの大きな世界をかたちづくっています。一編ごとに、こうくるか、という楽しみがあって、なおかつ、一つの物語を読み終えた達成感もある。充実した作品ですね。
毎回、この一回きりのつもりでトライしていたものを集めたので、そういう意味では贅沢かもしれません。もともと、次はどんな作品を書くのかな、と思われる作家になりたかったんです。それが今回、一冊の本のなかでできたのは嬉しいですね。
聞き手・構成=タカザワケンジ
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【伊坂幸太郎 著】
『残り全部バケーション』 単行本・集英社刊 12月5日発売 定価1,470円 |
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伊坂幸太郎
いさか・こうたろう●作家。
1971年千葉県生まれ。著書に『アヒルと鴨のコインロッカー』(吉川英治文学新人賞)『死神の精度』(日本推進作家協会賞短編部門)『終末のフール』『ゴールデンスランバー』(本屋大賞・山本周五郎賞)等。 |
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