青春と読書
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連載
聞書き南相馬(みなみそうま) 第二部 <5>「仮設病」 渡辺一枝
 仮設住宅に住む人たちの多くは、仮設入居の前に何カ所かの避難所生活を体験している。例えば津波で家を失い最寄りの避難所に入ったが、原発事故後に原発から半径30キロ圏内の屋内退避指示が出されると、当初の避難所から30キロ圏外の学校を利用して設けられた避難所に移り、春休みが終わって学校が再開されるからと、また更に別の避難所に移動することになったりしたからだ。30キロ圏外の鹿島区には仮設住宅も次々と建てられたが、入居は75歳以上の高齢者が優先された。本来が住居ではない体育館などでの避難生活は、お年寄りにはいっそう困難だろうとの配慮からだ。だからごく早い時期に出来た仮設住宅と後から建てられた仮設とでは住民の年齢層が違っている。その後に建てられた小池長沼応急仮設住宅には子供の姿も見られるが、他では子供の姿はほとんど見られない。
 入居条件として、原発から半径20キロ圏内で津波で家を流された75歳以上の人ということが優先された小池第三応急仮設住宅には、98歳を最高齢に、95歳、93歳、92歳の方々も含めて80歳以上の人が多く、53歳の蒔田利浩さんはここでは一番若い。蒔田さんはお母さんのフサコさん(79歳)とこの仮設に住み、市から委託されて集会所の管理人をしている。他の仮設集会所の管理は、委託された業者がやっているところが多く、ここのように仮設の住人がやっているような例は少ない。蒔田さんは原町区小浜にあった家を津波で流され、奥さんを亡くされている。ここの仮設住宅で、集会所の管理を蒔田さんがやっていることの意味は大きい。委託業者にはない視線が、蒔田さんにはあるのだろう。蒔田さんは入居者の日常に細やかに目を配り、相談にも乗り、入居者もまた息子のような年齢の蒔田さんを頼りにしてもいる。

 その日私は、仮設暮らしのお年寄りが今必要としているのは何かということを知りたくて、蒔田さんから話を聞くためにこの仮設住宅を訪ねた。
 集会所で蒔田さんと話していると、住民の板倉さん(78歳)がふらりと立ち寄った。何という用事がなくても、ここでのしばしのお喋りが息抜きになっているようだ。板倉さんは奥さんと二人でこの小池第三応急仮設住宅に昨年の6月初めから住んでいるが、息子たちは別の仮設にいるという。
 板倉さんの家は小高区の村上にあったが、そこにあった約80戸の家のほとんどが津波で流されたという。村上では70人くらいが亡くなったそうだ。「津波が昼でよかった。夜だったらもっと多くが死んでたよ」と板倉さんは言った。そんな言葉を被災から一年半経って初めて聞いたが、それだけの時間が流れたから言える言葉だったのかもしれない。村上では多くは農家だったが、請戸漁港から船を出す漁師も4軒あったそうだ。請戸は浪江町にあり、そこはまだ許可なくして立ち入りは出来ない。小高区はこの4月16日に警戒区域解除になりいつでも入れるが、家が流されなかった人たちも戻って住むことはまだ出来ない。一部の地域に電気は通じるようになったが上下水道がまだ繋がらず、除染も手付かずだからだ。除染廃棄物の仮置き場も決まらない状況なので、除染のしようもないのだ。
 そんな話の後で蒔田さんが「奥さんはなにしてるの? 留守?」と訊ねると「部屋に居るんだ。めまいしてるって」と板倉さんは言う。めまいは今日だけなのかと聞くと「いやぁ、いっつもだ。夜眠れねえからな。何しろ狭いっぺ。おならの音まで聞こえっからな」だから板倉さんの奥さんも睡眠薬を飲んでいる毎日だという。蒔田さんも「明け方の静かーな時に、他所の家のイビキの音で目が覚めたりするもんな」と続けた。薄い壁一枚隔てただけの密集環境だ。板倉さんはこんな生活からくる頭痛やめまい、不眠を「仮設病」と言ったが、それは端的にこの暮しの困難さを言い表していると思った。蒔田さんは「そうだな、『仮設病』だな」と応えた。
「だけど、板倉さんは偉いよ。酒を止めたもんな。タバコとパチンコは止められないけど、ま、それは仕方ないな」と蒔田さんが言うと、板倉さんは照れたような笑みを見せた。以前は相当量を飲んでいたらしいが、今はぴたりと止めたという。仮設暮らしで酒量が増えた話はこれまで聞いていたけれど、断酒したと聞いて私も感心した。そしてそれをさりげなく讃える蒔田さんの一言が、板倉さんの励みにもなっているのだろうと思った。
 そんな話をしていると空のペットボトルやポリタンクを持って、夫婦連れがやって来た。ここだけではなく南相馬の各仮設の集会所の台所には浄水器が設置されていて、飲料水は自由に汲んで行っていいことになっている。蒔田さんは「水汲みに来たの? お茶して行かない?」と夫婦に声をかけた。仮設に居る人たちに一番必要なのは、蒔田さんのような存在だろうと私には思えた。
 
プロフィール
渡辺一枝
わたなべ・いちえ●作家。
1945年ハルビン生まれ。
著書に『眺めのいい部屋』『わたしのチベット紀行 智恵と慈悲に生きる人たち』等多数。3・11の大震災以後、執筆活動と並行して、被災地でボランティア活動に参加している。
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