青春と読書
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連載
聞書き南相馬(みなみそうま) 第二部 <3>失われた暮し=A借り物の暮し=@渡辺一枝
 石川さんの家は、福島第一原発から30キロ圏外の高倉(たかのくら)にあるが、ここは背後が山になっていて放射線量が高い地域だ。92歳の信一さんと87歳の梅代さん夫婦は、市内の福祉施設勤務の息子と三人で、ここに暮している。震災前には、孫(息子の長女)一家がすぐ近くに住んでいた。幼い時に母親をなくした孫娘を石川さん夫婦は親代わりになって育ててきた。その孫が結婚して曾孫が生まれると、共働きの孫夫婦を助けて、曾孫を預かったり保育園への送迎をしてきた。孫夫婦は、毎朝石川さんの家に曾孫を連れてきて仕事に出かけ、信一さんか梅代さんのどちらかが、保育園に送って行くのだった。夕方保育園に迎えに行って孫夫婦が仕事から戻るまで預かり、戻りが遅くなる時には夕飯も食べさせた。二人目の曾孫が生まれてからも続いていたその暮しを、原発事故は奪った。孫一家は、今は新潟に住んでいる。引っ越しの日、親代わりになって育ててきた孫娘は「ばあちゃんの側を離れたくない!」と泣き、幼い曾孫たちも梅代さんにしがみついて泣いたと言う。
 石川さんの家を訪ねたのは原発事故から半年以上後のことだったが、部屋の長押(なげし)には孫娘の結婚の時の写真や曾孫の七五三の写真が飾られ、部屋のそこここにおもちゃの自動車や人形が、つい今しがたまで遊ばれていたように在った。
「曾孫さんのおもちゃですね」と尋ねると、梅代さんは「そう、いつ帰ってきてもすぐ遊べるようにね。帰ってきた時おもちゃがみんな片付けられてたら、淋しいでしょうからね」と笑顔を見せたが、続けてすぐに「帰って来られませんよ。もうここには若い人は住まわせられません」と言い、唇を噛んだ。
 米作り農家だった石川さんは、年がいって農作業ができなくなってからは農地を人に貸し、庭の畑で梅代さんが自家用の野菜を作るだけになっていた。曾孫の世話が、老夫婦の生き甲斐になっていた。庭で採れたトマトやキュウリは曾孫たちのおやつになったし、曾孫たちは漬け物名人の梅代さんの料理が大好きだった。孫娘は「私の作るおかずより、ばあちゃんの作る方が美味しいって言うんだよ」と言っていたそうだ。
 原発事故後は、農地の借り手も無くなった。庭の畑で野菜を作ることもできない。福祉施設に勤める息子は、職員が減って手薄になった施設の勤務態勢のせいで、老いた両親とゆっくり顔を会わせることも少なくなった。幼い声を聞くことができなくなった家の中で、もともと寡黙だった信一さんはますます言葉少なになった。梅代さんは、自分の作った料理を美味しいと思えなくなった。いったんは新潟県長岡市の雇用促進住宅で暮してみた石川さん夫婦だが、3ヶ月で戻ってきてしまった。「この年になると、他所では暮せないです」信一さんの言葉に私は頷くが、だが、ここでの今が“暮し”と言えるのだろうか? 孫一家がすぐ近くにいたあの毎日こそが、“暮し”だったのではないか?

 仮設住宅の集会所で、鈴木とよ子さん(83歳)は着ていたベストのポケットに手を入れると、穴にリボンを通した五円玉を取り出して言った。「体一つで避難して何にもなかった時に、支援物資で頂いた服のこのポケットに、リボンを結んだ五円玉が安全ピンで留めてあったの。“あれ? 何だべ”と思ってもう一つのポケット探ったら、ほれ、これが入ってたのよ」と、今度は小さな巾着袋を出してみせた。巾着袋の中には大豆が3粒入っていた。とよ子さんは「どこのどなたか知らない方からの支援だったけれど“ご縁がありますように”“マメに暮すように”って言って下さってると思って、本当に嬉しかった。有難くって、今でも涙が出てくるよ。だから洗濯する時にはポケットから出して、乾くとまたポケットに入れて、いつでも身につけてるんだ」20キロ圏内の小浜(おばま)にあった家は津波に遭い、何もかもが流されて、「犬に投げつける土もない」とよ子さんを、五円玉と3粒の大豆が日々励まし続けている。
 とよ子さんは生まれも育ちも福島だが、敗戦の年の9月、東京の池袋に叔父を訪ねたことがある。高校生のとよ子さんは護国寺の高台から焼け野原にバラックが建つ東京を眺めた。すっかり忘れていた光景だったが、津波の後の光景に66年前のことがまざまざと蘇った。「東京は空襲受けても放射能は残らなかったけど、津波は放射能を置いてってしまったな。仮設にいつまでいられるのか判らないが、もうどこに行っても借り物の暮しみたいだな」もしかしたら今のとよ子さんにとって借り物でないのは、ポケットの五円玉と3粒の大豆だけかもしれない。
 東京は高層ビルの建ち並ぶ大都市になったけれど、福島にはどんな未来があるだろう? いや、福島にせよ東京にせよ、50基もの原発を抱えている日本そのものが、砂上の楼閣ではないだろうか? 不安を抱えた日々で私たちは“暮し”の実感が持てるだろうか?

 
プロフィール
渡辺一枝
わたなべ・いちえ●作家。
1945年ハルビン生まれ。
著書に『眺めのいい部屋』『わたしのチベット紀行 智恵と慈悲に生きる人たち』等多数。3・11の大震災以後、執筆活動と並行して、被災地でボランティア活動に参加している。
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