青春と読書
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連載
聞書き南相馬(みなみそうま) 第二部 <2>宮ちゃんの海、ヨシさんの山 渡辺一枝
 宮ちゃん(高橋宮子さん、75歳)は、原町(はらまち)区の道の駅のそばの仮設住宅に一人で住んでいる。宮ちゃんを初めて訪ねたのは、2011年もあと半月で新しい年を迎える頃だった。訪ねる前に同行の現地ボランティアの鈴木さんや荒川さんから聞いていたのは、宮ちゃんは娘二人を津波で亡くしたということだった。
 こたつを置けばそれでいっぱいの狭い部屋の隅に、仏壇代わりの三角棚が設えられていた。棚の上には、四つ切り大に伸ばした娘たちの写真が、それぞれ額に入れられて黒白二色のリボンをかけて飾られていた。写真の前には二人の戒名が記された位牌が一つ、そして臙脂(えんじ)色の小菊を生けた花瓶と、お鈴(りん)、線香立て、小皿に盛ったいなり寿司が置かれていた。仏壇の前で手を合わせる私の背に「お寺さんが合同位牌にしてくれたからね」と、宮ちゃんの声がかかった。ご主人を疾(と)うに亡くしていた宮ちゃんの子供は遺影の二人だけだが、下の娘には息子がおり、成人して埼玉で会社勤めをしている。宮ちゃんの身内はその孫だけになってしまった。
 お茶の用意をしようとした宮ちゃんを遮って鈴木さんが「宮ちゃんは座ってて。私がするから」と言うと宮ちゃんは、「あれまぁ、悪いねぇ。嫁御(よめご)にお茶入れてもらうようなもんだわねぇ」と、おどけたように言った。明るい声で朗らかそうな宮ちゃんだが、夜は強い睡眠薬を飲まないと眠れないのだそうだ。「こんなババが残って、若いものが逝ってしまってはぁ」と、宮ちゃんはため息をついた。
 年が明けてから、また宮ちゃんを訪ねた。その日もやはり仏壇には瑞々しい花が飾られ、供物のお菓子が盛られていた。正月に孫が来て泊まっていき、昨日帰っていったばかりだと言う。「『帰りたくない。ばあちゃんとこにいたい』って泣きながら帰ったよ。娘たちの一周忌の法要をお寺さんに頼んだから、孫にはその時にはお前が喪主なんだぞと言ったら、判ったって言ってた」被災地では一周忌を迎える家が多く、お坊さんも3月のひと月だけでは依頼された法要をこなしきれず、去年の11月からずっと法事が続いているという。宮ちゃんの家の法要は2月某日に15分間で執り行われるそうだ。しごく短い時間だが、宮ちゃんはそれでもその法事で気持にけじめを付けられると言う。「孫には、墓守はお前がしっかりするようにと話しておいたから、これで後はあの子がやっていってくれるだろ。私の役目は終わり。後は任せられる」そう言って宮ちゃんは、軽やかな笑顔を見せた。
 2月に訪ねた時には、亡くなった娘が成人式に着た着物を譲り受けていた人から「娘さんのかたみになるだろうから」ときれいに洗った着物を返されたと言って、見せてくれた。
 3月、環境学者の関口鉄夫さんと南相馬へ同行した帰りのことだ。彼も何度も南相馬に通っているのだが、海辺のガレキ置き場を通りかかった時にこんなことを言った。「僕が朝ここに散歩に来ると、必ず見かけるおばあさんがいるんです。そのおばあさんはいつもあの木の辺りに座って、ただじっと海を見てるんです」それはもしかすると宮ちゃんではないか、聞きながら私はそう思った。
 次に南相馬に行ったのは、桜が咲く頃だった。朝、手押し車を押しながら海の方から仮設住宅の方へ行く人がいた。宮ちゃんだった。関口さんが言った“毎朝海を見ているおばあさん”は、やはり宮ちゃんに違いない。宮ちゃんは、どんな思いで海を見ているのだろう。

 羽根田ヨシさん(82歳)は、原町区の自宅の近辺が計画的避難区域に指定され、去年の7月から30キロ圏外にある鹿島(かしま)区の借り上げ住宅に住んでいる。共働きをしている息子夫婦と一緒だ。たまに孫も来て泊まっていく。腰が曲がってしまったので外出の時には手押し車を使うが、趣味の詩吟で声を出し、『原発事故から命と環境を守る会』が提供する畑で野菜を作っている。毎日畑に出ているし、日記や手紙も書いている。だから元気で記憶力もいいし、肌の艶もいい。
 ヨシさんはカボチャ作りの名人で、かつて何度も品評会で賞をとっている。「私が作ってたのは九重栗(くじゆうくり)って品種で、カネコって会社の種を使ってたの。種をちり紙に包んで水でちょっと湿らせてビニールに入れて、腹巻きの間に入れてお腹で3日ばかり温めんのよ。4日目にそっと開いてみっと、ポチッとちっこい芽が出てんの。それを2粒ずつ植えるのよ」ヨシさんの育てたそんなカボチャを食べてみたいなと思った。
 ヨシさんは自分の土地の6反歩ほどの竹藪の竹を抜いてはヒノキの苗木を植え、ヒノキ山に変えたという。それによっても表彰されている。「だけど放射能浴びてしまってなぁ。山も泣いてるわな。淋しいな」ヨシさんの言葉が胸を打つ。

 
プロフィール
渡辺一枝
わたなべ・いちえ●作家。
1945年ハルビン生まれ。
著書に『眺めのいい部屋』『わたしのチベット紀行 智恵と慈悲に生きる人たち』等多数。
3・11の大震災以後、執筆活動と並行して、被災地でボランティア活動に参加している。
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