青春と読書
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巻頭インタビュー
真保裕一 地震に見舞われた江戸の人々の力強さ、懸命さを描く
真保裕一さんの新刊『猫背の虎 動乱始末』は、幕末の江戸を舞台に若い町方同心・虎之助の活躍を描いた時代小説です。真保さんにとって時代物小説の第三弾となる本書の刊行を記念して、読み所や本作に込めた思いなどを語っていただきました。


――『猫背の虎 動乱始末』が刊行されます。真保さんにとって時代物の第三弾。前二作は、明智光秀や細川政元といった実在の武将を描いた歴史小説でしたが、今回は町奉行所の同心を主役にした伝統的な江戸物ですね。
 はい、江戸の小役人です。通称小役人シリーズ(講談社刊の『連鎖』『取引』など)でデビューした物書きとしては、当然の選択でもあります(笑)。
――舞台は幕末で、安政の大地震(一八五五年)を真正面から描いているわけですが、これはやはり、東日本大震災があったからでしょうか。
 実を言うと、最初は別の話を書こうと思い、飯盛女(宿場の遊女)のことを調べていたんです。その中である資料を読み、「投げ込み寺」を知りました。安政地震で吉原が全焼し、遊女の死体が次々と寺に投げ込まれた、と。その後、たまたま別の資料を読むうち、当時の老中らが次の将軍を誰にするかで対立していた事実を知りました。地震のほかにも、黒船が来て開国を強く迫られていた時期でもあったというのに、幕閣はお家騒動に忙しかったわけです。
――足の引っ張り合いだけして、何も決められない今の政治家と、どこか似ている気がしますね。
 そのとおり! いつの時代も政治家というやつは、自分の地位を守ることばかり優先して、庶民を顧みようとしない。無性に腹が立ってきましてね。その辺りのことが、ほとんど知られていない。誰も書いてないなら、自分で書くしかない、と。
――何もしない政治への強い義憤が、執筆の動機になった、と。
 とは言いましても、昔と今の政治家を罵倒するための小説なんて面白くも何ともありません。地震に見舞われた江戸の町で、しっかと地に足をつけて生きていこうとする人々の力強さや懸命さを描きたい、と思いました。今回の震災でも政府の動きは後手に回ってばかりで、現場の人々が雄々しく難事に立ち向かっている。本当なら、過去の出来事から多くを学べているはずなのに。どうも昔から、政治家は頼りにならないという哀しい伝統があるようです。
――主人公・虎之助は若い町方同心ですが、一章ごとにもう一人の主人公と言えそうな町人に次々とスポットが当てられていきます。
 そこが今回一番苦心したところです。出版界では今、江戸を舞台にした時代物のシリーズがあふれています。その中であえて江戸物を書くからには、どこかで自分らしさを強くアピールしていく必要がある。そこで、若い同心が奮闘する物語でありながら、全体を通してみれば、いくつもの多彩な読み所がある構成を考えました。
――長編小説でありながら短編の趣もあり、捕物帖のようでありながら市井ものでもある。なかなか贅沢な作りになっていますね。
 全体を貫く謎の背後にもうひとつの謎を併走させて、同時にラストで一気に解決させ、しかも主人公虎之助の成長物語にしながら恋物語もまじえ、それぞれの事件があちこちで絡んで人物も交錯し、さらにはユーモア・ミステリーの味付けも忘れないという、実に凝った組み立てにしました。いやはや、綱渡りのようなものでしたが、我ながらよくできたものだなあ、と感心したくなります。
――言われてみると、確かにそれぞれの事件が絡み合っている部分もありますね。読んでいる時には、気になりませんでしたが。
 そこは小難しくならないように、と工夫をしました。短編小説の味わいを強くして、ひとつひとつの話を楽しみつつ、虎之助を取り巻く人物たちを知ってもらえるように配慮しました。ですから、話を組み立てるのは大変でも、読んでいただくうえでは、苦労はまったくないはずです。
――「猫背の虎」と呼ばれる主人公・虎之助の造形も、物語に入っていきやすい、ひとつの理由のように思えました。
 地震に見舞われた江戸が舞台なので、辛く悲しい話もあります。ですので、せめて虎之助を描く場面では、ほっとできる、微笑ましいシーンを作りたかった。そこで、母親と出戻りの姉二人にいつもうるさく言われ、猫背ですごす同心、という設定にしました。これは、自分でも気に入ってます。彼女たちのおかげで、かなり救われた部分があると思います。
――亡くなった父親は名物町廻りでも、虎之助はまだ当番方で、地震後に臨時の市中廻りを任されます。
 調べてみると、地震のあとに臨時の市中廻りが置かれたという記録がありました。混乱する町中で、救助に手を貸し、喧嘩の仲裁にあたり、お救い小屋の指揮を執ったりしたようです。まさに使いっ走りの小役人といったところでしょうか。今回、虎之助を描くうえで最も気をつけたのが、彼の奮闘ぶりを語っていくのは当然としても、手柄を立てさせないことでした。
――主人公の同心に手柄を立てさせない、ですか?
 はい。事件を解決へと導きますが、彼の目から見た解決は、犯人を逮捕することではない。世の中が丸く収まれば一番、と考える人なんです。やたらと成果主義ばかりが幅を利かし、ギスギスとしがちな昨今だからこそ、目立ちやすい手柄を超えた、奥行きある視点を大切にしたいと考えました。それと、当時の同心も、快刀乱麻の活躍ばかりをしていたわけではない。
――でも、犯罪人を突きとめ、しょっぴくのが、奉行所の務めなわけですよね。
 百万人に迫る人口があったと言われながら、江戸の警察官としての役割を持つ町廻りや火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)は、計百人にも満たない人数しかいなかった。それは、差配(さはい)や名主(なぬし)といった町役人(ちようやくにん)がいて、多くの諍(いさか)いを収めていたからでもあるんです。奉行所は、町方自治の手伝いをしていたにすぎない。最後に主人公が手柄を持っていくような話では困る。もっと町方に寄り添う話にしたかったんです。
――第三章の「風聞始末」で、幕閣への批判が少し出てきますね。
 ここを難しくならないように、と心がけました。実は、忍(おし)藩の下屋敷が打毀(うちこわ)しにあったのも、幕府を批判する読売(まだ瓦版という名称はなかった)がすぐ出回ったのも、その始末に同心が動いたのも、すべて当時の読売に書かれていました。もちろん、そこにミステリーらしき裏事情を勝手にこしらえましたが ……。そうやって、当時の読売を参考にさせてもらった部分があります。
 安政地震の直後には、多くの読売が出回りました。被害を報道する意味だけでなく、地震にまつわる物語を庶民が求めたせいだと思います。苦しんでいる人がいるから、自分も負けてはなるまい。戯作者が庶民の思いを汲み取り、綴っていった結果でもあったのでしょう。現代の戯作者の一人として、当時の読み物に負けないよう、心を込めて書いたつもりです。


構成=増子信一

 
【真保裕一 著】
『猫背の虎 動乱始末』 
(単行本)集英社刊
2012年4月5日発売予定
定価1,680円
プロフィール
真保裕一
しんぽ・ゆういち●1961年東京都生まれ。
著書に『連鎖』(江戸川乱歩賞)『ホワイトアウト』(吉川英治文学新人賞)『奪取』(山本周五郎賞・日本推理作家協会賞)『誘拐の果実』『灰色の北壁』(新田次郎文学賞)『エーゲ海の頂に立つ』『覇王の番人』『天魔ゆく空』等。
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