第35回すばる文学賞は、澤西祐典さんの『フラミンゴの村』が受賞しました。小説の舞台は、十九世紀末のベルギーの片田舎。ある日突然、主人公の妻がフラミンゴに変身するという奇天烈な出来事から物語が始まりますが、その奇妙な世界がいつの間にかリアリティをもって読者を引き込んでいく、完成度の高い作品です。
澤西さんは現在、京都大学大学院に在学中で、芥川龍之介を研究する傍ら、純文学サークルを立ち上げて活動をするという、根っからの文学青年。その澤西さんがもっとも影響を受け、作品を愛読しているのが小川洋子さんです。憧れの小川さんを前に少々緊張気味の澤西さんですが、小川さんの巧みなリードで徐々に緊張がほぐれていきます。
なぜフラミンゴだったのか?
小川 『フラミンゴの村』を読ませていただいて、まず感じたのは、新人とは思えないほど、すでに自分はこういう小説を書きたいんだというイメージがきちんと確立している作品だなということです。それを技術があるといってしまうと身も蓋もないのですけれど、澤西さんは、受賞後のインタビューで「作中で魔法を一回使」うとおっしゃっていますね。あれを読んで、ああ、なるほど、技術じゃなくて魔法なんだなと思ったのですが、その「魔法」というのは、フラミンゴに変身するという仕掛けのことですか。
澤西 読んでいる人が、現実的な世界だと思って読んでいるうちに、いつの間にか寓話的な世界に入り込んでしまう ――それを気づかせない仕掛けというような意味を込めて、「魔法」という言い方をしたつもりです。
小川 うまいのは、その魔法をやたらに使わないところですね。この作品では、女性がフラミンゴになる以外の部分は、村の地道な日常生活が描かれていて、実は、突拍子もないことは何一つ起こっていない。だから、物語の中の村人たちも、フラミンゴへの変身という最初の驚きがだんだんに冷めていって、自分たちの日常生活をいかに取り戻していくのかという意識が強くなる。その中でいろいろな人たちが右往左往して様々なことが起こるわけですが、一所懸命になればなるほど歯車が狂っていく。そうした人間の滑稽な姿をそのまま描写されていますね。
澤西 はい。困難に陥ったときに、集団としての人間がどう動くかというのが主題の一つとして最初にありました。
小川 私、いま滑稽という言葉を使いましたけれど、私たちがその滑稽さを笑えるのかというと、笑えないんですよね。「彼らはただ、生きることが課す要請に逃げることなく立ち向かおうとした」という言葉が出てきますが、そうやって人生が求めてくる義務を一所懸命果たそうとすればするほど、惨めになったり、落ち込んだり、嫌になったり、滑稽になったりしてしまう。だから、一行読んでクスッと笑えるようなユーモアではなく、もっと根本的に、人間は滑稽な生き方しかできないのだという意味で、非常にユーモアにあふれた小説だと思いました。
澤西 ユーモアを出せているかどうかは別にして、物語の中の人たちが必死に生きようとしている姿ときちんと向き合おうという意識は持っていました。
小川 私はこの中で、フラミンゴと見紛うばかりの見事な刺繍が施されたマントをつくっているリターという少年が好きなんですね。決して情緒的な小説ではないのですが、あの少年が見せるウエットな感情が、物語の世界の中に違和感なく溶け込んでいて、いいキャラクターですね。
ところで、変身の対象としてフラミンゴを選ぶについて、紆余曲折はあったのですか。
澤西 まず、変身譚を書いてみようというのが最初にありました。芥川龍之介の『馬の脚』やガーネットの『狐になった奥様』、それからカフカの『変身』などを参考にして、少しユニークな味付けができないかを考えました。
次には、何に変身させたらいいかですね。白鳥の死の直前の鳴き声がもっとも美しいという伝承を気に入っていたので、最初は白鳥にしようと思ったのですが、すでに『白鳥の湖』という有名な変身譚があるので、それではおもしろくない ……と、いろいろ考えて、じゃあペリカンにしようと。
ところが、それを友達に話したら、いや、フラミンゴのほうがいいといわれたんです。もともと夜のロマンチックなシーンが頭の中にあったので、なるほど、ペリカンよりフラミンゴのほうが妖艶さというか、艶やかな感じを出せるなと思い、友達の案を採用させてもらいました。
小川 この作品は、まさにフラミンゴであるところがつぼなんですよね。おそらく、書かれている途中、ご自分でもフラミンゴにしておいてよかったなと思う場面があったのではないですか。
澤西 特に、最後のシーンはフラミンゴでなければ書けなかったと思います。
小川 たしかに、ペリカンだと、ちょっと三枚目っぽくなりますよね。種明かしはしませんが、あのラストは、魔法の落ちつき先としていい場面に到達しましたね。
物語とは何かを
考えさせる小説
小川 小説を書き始めるときのもっとも根本の問題として人称をどうするかということがありますが、この作品では、語り手を一人称の「私」にしていますね。最初から迷いなくこのスタイルだったのですか。
澤西 応募原稿を書いていたときにはもう迷いがなかったのですが、その一年ほど前に第一章だけ書いたことがあって、そのときは三人称にするか一人称にするか、少し迷いがありました。この作品を最終的に「物語」というところに回収するには、登場人物の語りよりもう一次元上の語り手を設定して、その語り手の掌の上で収まるようなかたちにするのがいいと気づいたんです。そう思った瞬間、「私」に決まりました。
小川 たとえば、カフカの『変身』は三人称ですね。三人称にすることで、虫になったザムザの内面を描くことができる。ところが『フラミンゴの村』は、直接の事件の体験者ではない第三者的な「私」が語り手ですから、フラミンゴになった女性の内面は一切出てこない。変に擬人化されず、フラミンゴ以外の何ものでもないというのが、この作品を成功に導いたと思うのですけれども、途中で、フラミンゴになった側の気持ちも書きたいという迷いに駆られることはなかったですか。
澤西 それはありませんでした。男のぼくが女性の心理を根本から理解することはできないと思っています。だから、中途半端に書くのだったら、いっそ書かないほうがいい、と。
小川 そこは、ある意味上手な逃げ方をしましたね。よく新人賞などの選評で、「女性が書けていない」とかいう批評がありますけれども、それをうまく免れている。でも、これだけ女の人を書かないでも許される小説って、あまりないですよね。
澤西 これは、小川さんが対話集の中で話されていたことですが、物語の世界を日常から離陸させるには、言葉をしゃべらない動物を持ってくるとうまくいく。しゃべらないことで観察者としての冷静な自分を保てる、と。その言葉も頭にあり、意識してフラミンゴの内面や女の人の心理を書かないようにしました。
小川 彼女たちはフラミンゴになった途端に完全に言葉を失ったのですね。言葉を失って、コミュニケーションがとれない存在になっている。これもこの小説の重要なポイントだと思います。
その意味でも、語り手の「私」を登場させたのはうまい選択であったし、最初にメーテルリンクの『青い鳥』を引き合いに出して、「空想に頼まずとも、 ……語るべき事実がある」という説明が置かれているのも効果的ですね。あの説明があることによって、これから述べることは奇妙な出来事ではあるが事実なのだ、と読者に示した上で、しかし同時に、これは手帳をもとにした「私」の空想とも考えられるという複雑な構成が、すんなり受け入れられるようになっている。
澤西 語り手の「私」がこの事件を事実だと思っていることが、すごく大事な前提なんですね。その前提があってはじめて、「私」も最後には登場人物の一人になって物語の中に回収されていく。そこだけは絶対に外さないように、徹頭徹尾意識して書いていきました。
小川 ものを書く人間の立場からすると、物語って何なのかを問いかけてくる小説でもあるんですね。ここには、語り手の「私」の背景は一切出てこない。この人がどういう家庭環境の人なのか、どういう出自の人なのかはまったく関係なく、ただ語るためだけにここにいる。作家の本来の役目もそうなのではないかということを考えさせられますね。
澤西 そこまでは考えていなかったのですけれども(笑)。
読まれたがっている
物語を持つ
小川 私が新人賞をいただいたのは、自分にとってはついこの間なんですけど、もうあっという間に二十年くらい過ぎてしまって(笑)。そのとき、「受賞後第一作は受賞作よりいい作品でないと載せませんよ」と、念押しされたのをよく覚えています。
もう次回作を用意されていますか。
澤西 まだ具体的なかたちにはなっていませんが、なるべく虚構性の高いものを書こうとは思っています。たとえば、芥川の『羅生門』も、一応『今昔物語』の世界に拠ってはいますが、芥川の頭の中にあった世界をそれらしく仮構しているだけなんですね。そういう虚構性の高い舞台がすごく好きで、だれも見たことのないフィクションの世界をリアリティをもって描きたいと思っています。
小川 十九世紀末のベルギーの片田舎という、いまの日本人がだれも見たことがない場所を持ってくるのと、芥川が『今昔物語』を持ってくるのとは同じですね。
澤西 そうしたもので自分なりのカラーを出せればいいと思っていましたから、『フラミンゴの村』からスタートを切れたのは幸運でした。小説の舞台は何であれ、芥川のように作者から切り離されたテキストで、なおかつ一個一個の完成度が高いものを書くということを、いまのところの目標にしています。
最後にひとつお伺いしてもいいでしょうか。小川さんの小説を初期のころから順に読んでいくと、『シュガータイム』の辺りから、物語の呼吸、文章の呼吸が少し変わってくるように思えるのですが、何かきっかけみたいなことがあったのでしょうか。
小川 それは、おそらく年月の自然な流れなのだと思います。具体的に文章が変わっていったかどうかは自分ではわかりませんが、物語の素材をどう探していくかについては、考えが変わってきたことはたしかです。新人賞をいただいたのは二十六歳のときでしたが、当時の私は澤西さんと違って、物語とは何かを提示するような作品がまだまだ書けていなかった。受賞後に、自分はどういう小説を書きたいのか、どういう小説を書くべきなのか、物語とは何なのかということを書きながら考えていったんです。それで、自分の内面を探っていくよりも、自分という小さな舟に乗って外の世界に漕いでいったほうが書けるのだということに徐々に気がついていくんですね。
ですから、私は最初から自覚的に自分の外側に物語の素材を求めていったわけではなく、最初はやはり物語の種は自分の中にあると思っていました。それを一所懸命探していたのですが、三十歳を過ぎて、もう四十歳近くになってからではないですかね、自分がいかにちっぽけな人間か気づいて、自分の中の物語に見切りをつけたのは(笑)。
澤西 そこで、自分の中に降りていかなかったのですね。
小川 自分には降りていくほどの価値がない、自分がどんなに滑稽な人間かということに気がつくんです。澤西さんはすでに、その滑稽さに気がついていますよね。
澤西 ぼくは二十何年生きていて、自分の中に人に語るべきものは何もない、だから私小説めいたものは書けないということで、ずっと外に題材を求めていたんです。もう少し経験を積んだら、自分の中に降りていくつもりではいたのですが、一向にそうならないので、自分でも驚いています(笑)。
でも、小川さんは舟で外に出ていっても、根はずっと小川洋子さんですよね。
小川 そうなんでしょうね。自分は小さな舟の中で一所懸命オールを漕いでいるだけで、それ以外のことができないんです。手漕ぎなのでスピードにも限界があって、とてつもないことが起こったからといって、急にスピードを上げるわけにもいかない。きっと自分の筋肉が動かせる範囲でしか動かしていないのでしょうね。
これは、『寡黙な死骸 みだらな弔い』の文庫のあとがきにも書いたことですが、小説を書くということは、洞窟に文字を刻むことではなくて、刻まれた文字を読むことであると思っているんです。若いころはどうしても洞窟に刻もうとするんですよね。でも、いくら懸命に刻んでもあまりおもしろいものができない。そのときパッと後ろを見ると、そこにすでに刻まれていたものがあって、そっちのほうが何千倍も魅力的だったりする。それを解読するほうに回ったほうが物語のためだということに気がついたんです。
澤西さんも、『フラミンゴの村』を書き終わったいまは、不安な空白を感じられていると思いますけれども、まだまだ読まれたがっているものが待っているはずですよ。
澤西 でも、正直不安です。果たして次が見つかるのかどうか。
小川 私、二十年間やってきましたけど、不思議ですね、必ず見つかるんです。それは自分に才能があるからとか自分が努力したからではないのですね。やはり待っている人がいるというのが大きいんです。真っ暗な家に帰るより、待っている人がいる家に帰るほうが幸せなのと同じで、書き手として書くべき何かが待っているという、曖昧だけれども確かなテレパシーを感じていれば、次は必ず見つかるんです。
澤西 はい。ぼくにも待っているものがきっとあると、信じています(笑)。
※3月号では、『サラの柔らかな香車(きょうしゃ)』で第24回小説すばる新人賞を受賞された橋本長道さんと、作家・京極夏彦さんとの対談を掲載予定です。
構成=増子信一
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【澤西祐典 著】
『フラミンゴの村』 (単行本)集英社刊
2012年2月3日発売予定 |
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小川洋子
おがわ・ようこ●作家。
1962年岡山県生まれ。
著書に『妊娠カレンダー』(芥川賞)『博士の愛した数式』(読売文学賞・本屋大賞)『ブラフマンの埋葬』(泉鏡花文学賞)『ミーナの行進』(谷崎潤一郎賞)『原稿零枚日記』等。
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澤西祐典
さわにし・ゆうてん●京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程在学中。 1986年兵庫県生まれ。 「フラミンゴの村」で第35回すばる文学賞を受賞。 |
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