青春と読書
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第35回すばる文学賞受賞記念エッセイ 受賞作『フラミンゴの村』
エッセイ 澤西祐典 フラミンゴのお礼参り
 すばる文学賞を受賞してから数日後、私は岡崎にある京都市動物園を訪れることにした。受賞した「フラミンゴの村」は、ベルギーの片田舎で一介の農夫の妻がフラミンゴに突如姿を変えるところから話が始まる。その着想を得るきっかけになったのが、他ならぬ京都市動物園のフラミンゴだった。
 雨の降り出しそうな空模様であったが、ビニール傘を片手に、家から一番近い芸術大学前のバス停から、動物園のある岡崎へ向かうバスに私は乗りこんだ。後方の左側の席に座り、傘を窓側にもたせかけると、バスは間もなく動き出した。
 すると、バスの窓越しに巨大なフラミンゴ(人の三倍はあろう!)が現われた。バスの中からでも、釣り上げられたように見上げなければ、その全貌を見ることはできない。町中にたたずむ、巨大フラミンゴ。と言っても、もちろん作り物である。
 そこは「ファニージェイ」という服屋で、巨大フラミンゴは店のひさしを突き破って物静かにたたずんでいる。さらにもう一羽、店先には普通サイズのフラミンゴが立っている。これだけ目立つにも拘らず、彼らの存在に気が付いたのは、「フラミンゴの村」の執筆も佳境に差し掛かってからだった。夜半過ぎ、威風堂々と立つ巨大なフラミンゴを見つけて、一人興奮を覚えたのは今でも忘れられない。
 動物園に向かうバスからそのフラミンゴを見て、私は執筆当時が懐かしくなり、鞄から手帳を出してくりはじめた。そこには未来の予定ではなく、その日あった出来事が短い言葉で綴られている。手帳を見れば、当時の記憶が鮮明に蘇る。
 応募の〆切は三月末だったのだが、大学院の研究が忙しく、一月の末に構想を練り、二月の頭にようやく執筆に着手できた。
 けれど、その後も執筆は順調でなく、二月八日、データが全消去(研究のデータも含む)し、メモリーのお葬式をした後、再度原稿に取り組むが、三月に入っても、予定の三分の一にも達していなかった。他人からすれば絶望的な状況であったろうが、「足が折れても走り続ける」がモットーの私は、ひどく楽観的だった気がする。本当の絶望は、まだここではないと感じていたからかもしれない。
 そして、三月十九日の夜、なんとか第一稿を書き終えるが、頭を酷使した代償か、翌日から四十度の熱を出す。さすがに、もう駄目かと絶望が脳裏を過(よぎ)った。一年先送りにするという甘い誘惑に歩みを止めそうになったが、完走しなかった際、人一倍後悔する性質(タチ)なのを知っているので、私は病床から死力を尽くして原稿の直しに取り掛かり、〆切の三月三十一日、郵便局の閉まる一時間半前になんとか原稿を提出した。それらの記憶が、手帳をなぞると如実に蘇ってきた。
 そう言えば、手帳には記してはいないが、執筆中に困ったことが一つあった。目に映るものが、ことごとくフラミンゴに変化(へんげ)してしまうことだ。フラミンゴ病と私は呼んでいたが、初期症状は赤かピンクのものを見ると、「フラミンゴ!」と無意識に念じてしまう。自覚症状が出たときにはもう手遅れで、末期になると色だけでなく、少しでもフラミンゴを連想させる形のものはことごとくフラミンゴに見える。
 実を言うと、動物園に向かう道中もその後遺症に悩まされていた。傘など、言うまでもなくフラミンゴである。立っている乗客用のポールもフラミンゴ、道端を歩く女性のヒールも、むろんフラミンゴ。果ては、紙袋からのぞくフランスパンがフラミンゴに見えた時には、もう笑うしかなかった。
 などと思っていると、あっという間にバスは目的地に着いた。京都市動物園は、平安神宮の東に、ひっそりと門を構えている。ゆっくり歩いても、大人の足では一時間で回れてしまうほどの広さしかないが、出かけたのは日曜だったので、家族連れで賑わう中、入場券を買ってわき目も振らずフラミンゴコーナーへと向かった。
 檻に近づくにつれて、鳥類特有の匂いが漂ってきた。フラミンゴに、お礼参りする。それが私の目的だった。彼らにとっては勝手にしろと言うかもしれないが、形だけでもお礼を述べる(念じる)つもりだった。
 フラミンゴの檻の前には、小学生ぐらいの子供を連れた中年の夫婦がいた。檻のなかでは、二十羽ほどのフラミンゴが二、三羽ずつまとまりを作って、気ままに歩いていた。ときどき立ち止まり、繊(しな)やかな首を鮮やかな羽に埋(うず)め、羽繕いしている。フラミンゴの見目(みめ)は、相も変わらず麗しかった。
 感嘆の息を吐きながら、私はふと檻の前の家族に目を転じてその母親を見た。フラミンゴの様子を楽しげに見守る家族、もしその母親が突如アレに化けて、首を突き出すように辺りを歩き回ったとしたら、そして、……。
 何とおぞましい。
 お礼もそこそこに、私はそそくさと逃げ帰っていた。将来の伴侶が、フラミンゴに変身してしまわぬよう、必死に願いながら。


 
【澤西祐典 著】
『フラミンゴの村』 
(単行本)集英社刊
2012年2月3日発売予定
プロフィール

澤西祐典
さわにし・ゆうてん●1986年兵庫県生まれ

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