村山由佳さんの新刊『放蕩記』は、作家の夏帆とその母親・美紀子との長年にわたる確執が描かれ、帯に「半自伝的小説」と謳われているように、主人公の夏帆に、村山さんの体験が色濃く投影された作品です。
物語の冒頭近くには夏帆が新人賞の授賞式の日に、選考委員である一人の作家にいわれた言葉が書かれています。 〈おめでたい日に嫌なことを言うようだがね。すでに作家として名をなしている女性が結婚して主婦になるのと違って、主婦である女性がこれから作家になっていくというのは、いろんな意味で難しいことなんだ。……あなたがこれから作家として売れれば売れるほど、今のご主人と仲良くやっていくのはおそらく難しくなっていくよ〉。
デビューから村山さんを見守ってきた五木寛之さんをゲストにお迎えして、新作をめぐってお二人にお話しいただきました。
はじめての新聞小説
村山 小説すばる新人賞の授賞式の前、緊張しきっているときに、帝国ホテルの地下のティールームで、五木さんとお茶をご一緒させていただいたんですけど、そのときにお話ししてくださったことが忘れられなくて、『放蕩記』にも書かせていただきました。「いまの旦那さんと、もしかしたらうまくいかなくなるかもしれないよ」って。
五木 そんなこといいましたっけ?(笑)
村山 はい(笑)。私はそのときは、夫を立てていれば、大丈夫だろうと思っていたんです。それから十四年くらい経って、「ああ、やっぱり五木さんのおっしゃった通りだった」という日が来て ……。
五木 いやあ、立てられるほうの男も、つらいものなんですよ(笑)。感謝されるたびに神経を使ったり、「あなたがいればこそ、書き続けられる」なんていわれたら、男は居場所がなくなってしまう(笑)。なかなか難しいものですね。
村山 ものすごく仲の良い夫婦だったんですけど、結局、私の物書きとしてのエゴがすべてを台無しにしてしまった。彼には申し訳ないことをしたと思います。それでも、その決断がなかったら『ダブル・ファンタジー』も出てこなかったし、『放蕩記』もなかっただろうと思います。
五木 村山さんは、物書きとして自立してからどのくらいになりますか。
村山 一九九一年に『もう一度デジャ・ヴ』という作品でジャンプ小説・ノンフィクション大賞の佳作をいただいているのですが、小説家としてやっていこうと腹をくくったのは、小説すばる新人賞(九三年)をいただいてからです。
五木 そうすると、十八年ですか。これまでに、村山さんご自身が変貌を遂げるきっかけというか、節目となるような作品がいくつかあると思うけれど、世間の人たちが一番驚いたのは、やはり『ダブル・ファンタジー』でしょうね。
村山 そうですね(笑)。
五木 新作の『放蕩記』も、これまでにはなかった自伝的な要素があり、村山さんの仕事のなかに新しい道をつけた作品だと思いました。
村山 はい。自伝的なものを書いたのはこれが初めてです。『ダブル・ファンタジー』を自伝的と読まれることもあるのですが、それは私自身が謳っていることではないので。
五木 初出は地方紙の連載だったんですね。私も地方紙の連載をしてましたから、私が朝刊で、村山さんが夕刊と、重なっている時期があったかもしれませんね。
村山 『放蕩記』は、学芸通信社を通じて地方紙七紙に配信されていましたから、重なっていた新聞がいくつかあったと思います。
五木 新聞の連載小説というのは、月刊誌などの連載とはちょっと違う。それに、新聞は休刊日が少ないんだよね。
村山 そう、お盆もお正月もなくて!(笑)
五木 もうすこし休んでほしいと思うんだけど(笑)、とにかく締切りがひっきりなしにやって来る。ただ、新聞の連載小説を丹念に読んでらっしゃる読者は、全国紙より地方紙に多い気がしますね。
村山 連載中に読者の方々からたくさんのお手紙をいただいて、それはすべて大事にとってあります。新聞連載は初めてだったものですから、いろいろな意味で新鮮でした。
五木 でも、新聞連載が初めてというのは、意外だな。
村山 最初は勝手がちがうので少し戸惑いました。週刊誌の連載のときにはストックを作れずに、毎週毎週、原稿を渡していたのですが、そのことを新聞の担当の方にお話ししたら、「新聞小説は絶対そんなことはできませんからね。一カ月分、せめて半月分はいただかないと」といわれました。でも結局、一年間ストックを作れないまま(笑)。
五木 それは心強い(笑)。
日本では明治の昔から新聞小説の伝統があって、新聞小説というのは、近代文学におけるひとつのジャンルなんです。先日ふと気がついたのですが、『金色夜叉』は読売新聞の連載小説で(一八九七〜一九〇二年、断続連載)、しかも、未完なんですね。
村山 そうなんですか。知りませんでした。
五木 中里介山の『大菩薩峠』も新聞連載でしたし(『都新聞』『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』『読売新聞』等)、藤沢桓夫(たけお)の『新雪』(一九四一・一二〜四二・四、『朝日新聞』)というメロドラマは、新聞が軍事色一色になっていくなかで、読者に随分安らぎを与えていたようです。掲載していた新聞社も、大したものですね。永井荷風の『ぼく東綺譚』も、まず私家版として発表された後、東京と大阪の朝日新聞に連載された。あの当時(一九三七年)に、色街の物語が新聞に載ったことにちょっと驚きました。
村山 本当ですね。検閲なんかもあったでしょうし。私の作品が、そうした新聞連載の歴史の一つとして残るに値するかどうかはまだわかりませんが、この『放蕩記』は新聞連載でなかったら生まれてこなかっただろうと思うところは、確かにあります。
月刊の小説誌の連載のときは、原稿用紙五十枚くらいをひとかたまりとして、細部まで丹念に見直してから編集者に渡すのですけれど、新聞連載ではそれが追いつかないときがある。そんな追いつめられた状態のときに、自分でも知らなかった抽斗(ひきだし)が突然開いて、忘れていたものがポコッと出てきたりするんですね。
五木 新聞小説は、担当者をはらはらさせて、綱渡りしていくくらいのほうが、面白いんですよ(笑)。
特殊から普遍へ
五木 他に、新聞連載ということで、苦しめられたことはなかったですか。
村山 担当者から「新聞小説ですので、これくらいにしておいてください」という規制がかかったこともありました。ベッドシーンなんか、特に(笑)。
五木 やっぱり、ありましたか。
村山 はい。女の子同士のキスシーンがあったのですが、「どうかここまでにしておいてください!」と(笑)。
五木 タイトルが『放蕩記』と迫力があるわりに、官能的な描写が抑制されていると思ったら、どうりで(笑)。
村山 五木さんが読まれた連載時のものから、本にするにあたって、書き足したんですよ。タイトル通り、もうちょっと放蕩しようかと(笑)。
五木 まあ、この作品が書こうとしている「放蕩」というのは、そういうところとはちょっと違うんだよね。ただ、官能的な部分は、短いながら非常に印象的でした。
村山 ありがとうございます。
五木 この中で、お父さんの伊智郎が、小泉という愛人とのベッドでのことを主人公に話す場面が出てきますね。娘と父親があそこまで踏み込んだ話をする、それ自体が読者にとってはショックだったろうと思うし、それを新聞連載で書くのは、さぞかし大変だったでしょう。
村山 「半自伝的」といっても、もちろんいくつかの虚構はあります。たとえば、作品の主人公には妹がいますが、私にはいません。ですが、作品中の母と娘の関係、父と娘の関係、幼少時代のエピソードなどについては、私自身のものと多く重なっています。
母と向き合うという問題提起が、私の中で生まれたのが『ダブル・ファンタジー』を書いている途中だったんですね。『ダブル・ファンタジー』の執筆中に担当編集の女性から「この主人公は、世代的にはまだ若い部類に入るのに、どうしてこんなに夫を怖れるんだろう? 夫の支配に大人しく従っているのはどうしてなんでしょうね」と訊かれて、うーん、と考え込んでしまったんです。私に置きかえて考えると、その夫との関係は、もしかすると、小さいときから母親を怖がってきた、私と母との関係と同じなのではないか、と。私と母との関係はちょっと特殊ですが、それでも普遍に通じるものがあるんじゃないか。それで『放蕩記』のようなものを書きたくなったんです。
書きながら、忘れていたことや、思い出したくなくて封じ込めていた母との思い出をひとつひとつ検証して、それを個人的な愚痴にはせずに、どうやったら普遍に届くように書けるんだろうと。悩みながら書くのが、苦しくも楽しかったです。
五木 『ダブル・ファンタジー』の執筆が、やはり大きかったんだろうなあ。
村山 はい。『ダブル・ファンタジー』と『放蕩記』は、血の繋がらない双子みたいな関係なんじゃないかと思います。ちなみに、兄に、母の印象や父との関係を訊いてみると、私とは全然違うんです。同じ家族なのにこうも違うのか、と驚いてしまいました。
五木 小説では、妹は要領がよくて、母親の強烈さをうまく受け流して小遣いなんか貰ったりする。主人公は、妹のように処すことがどうしてもできない。たとえば、友達とテニスに行くためのお金が欲しいといいだせずに、結局友達にうそを吐いて断ってしまう。そういう主人公は、読んでいて、痛い感じですよね。
村山 私も書いていて痛かったですよ(笑)。連載中、読者の方々からお手紙を頂戴したことを先程お話ししましたが、なかには年配の方もいらっしゃって、直筆のお便りをくださるんです。そこには〈決して明るい話ではないのに、読まずにはいられない〉とか、〈自分も、形は違いこそすれ、母親を愛せず、そのことにすごい罪悪感を覚えていた〉というようなことが書かれていました。母と娘というのは、うまくいっていようが、そうでなかろうが、父と息子とは違って、もっとなまぐさいというか、独特の繋がりがあるんだな、と思います。
五木 ぼくら男からすると、母と娘の関係というのは窺い知れないところがあって、想像するだけですけれども。
『愛を乞うひと』という映画がありますね。
村山 観ました。一人三役の原田美枝子さんの演技がすごかった。娘に暴力をふるい、罵倒し続ける母親 ……あの映画は、ラスト近くで、娘は老いた母親を赦すんですよね。
五木 『放蕩記』も、実は赦した後の物語なんですよ。途中までは出口が見えないんだけれども、終盤、母との関係が結び直される。あそこで、読む側は少しほっとする。歌謡曲と一緒で、予定調和的な形で物語の円環を閉じることも必要なんです。読者が明るい結末を欲しがっているときには、それに対してきちんと礼を尽くさなきゃいけない、というのがぼくの感覚なんですが。
村山 あのラストは私の願いなんです。小説のあの瞬間は、まだ私には訪れていません。でも、いまおっしゃったように、「自分が読者だったら」と考えたときに、たとえ大団円にはならなくても、せめて一筋の光が見たいだろうなと思って、ああいう終わり方を選んだんです。
悲しみに寄り添う心
五木 『ダブル・ファンタジー』の後、村山さんの次回作はどんなものだろうと注目していた読者にとって、今度の『放蕩記』は意表を衝くものだと思います。そして、この物語から家族のあり方をつぶさに追って読もうとしていた読者は、驚いたでしょうね。
村山 小説は、ハウ・トゥものと違って、すぐに生活の役に立つわけではないけれども、漢方薬のようにじわじわと効いてくるようなところがあると信じていました。ところが、三月十一日の東日本大震災以降、いままで疑いもなく信じていた言葉の力や効能が、フッと遠くへ行ってしまったような気がしたんです。いま書いているこの言葉が、あの場所で苦しんでいる人たちに届くのだろうか、と。
五木 『岩手日報』『福島民報』『石巻日日新聞』 ……、被災した地方にも地方紙がたくさんあって、各新聞とも、発行するだけで大変です。そうした被災地で発行されている新聞で、自分の小説が避難中の人たちに読まれるのかと思うと、書くほうも意識が違ってきますから。
村山 逆に被災地の方から励まされるようなこともあります。小説を読んでいるときだけ現実から逃れることができる、というお便りもいただきました。若い読者に向けて連載している「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズとか、現実に対する実用性からは遠いもののほうが、逆に救いになるんです、という言葉をもらって、その言葉に救われる私がいました。言葉が力を失ったのではなくて、発する側の問題なんじゃないかと思い知らされましたね。
五木 そうですね。小説という形式に限らず、言葉、文章にしても、結局、書き手がそれを実態があるものと信じるか信じないか、だと思います。たとえば宗教において、神だとか仏だとかの存在や、死後の世界、天国や地獄のことは、だれも実際に見た人はいないわけです。それでも宗教を必要とするのは、「信じる」という人間が持つ不思議な力がいかに強いか、ということなんですね。「いくら信じようがそれは妄想なんじゃないか」といわれたとしても、信じれば、その人にとっては確実に「ある」んです。新聞小説なども、だれかが読んでくれていると信じていないと、毎日毎日書けないでしょう。
村山 五木さんは『悲しみの効用』のなかで、「慈悲」の「慈」の前向きで明るいイメージに対して、「悲」はどこか湿っていて印象が暗いと思われているけれども、実は「悲」という感情は、そばに寄り添って、その人の痛みを自分の身に引き受ける「共感共苦する心」なのだと書かれています。
『放蕩記』には、救いようのない話もたくさん出てきますが、私の場合と形はちがっても、母親を愛せなかったり、愛しているのだけれども複雑な思いがあったり、そういう人たちのそばに、あの物語が少しでも寄り添っていけるのではないかと信じたいですね。あなたと同じじゃないかもしれないし、あなたのことを完全に理解しているわけでもないけれども、こういう悲しみを持っている人間は、きっとあなただけじゃない、という寄り添い方ができたらいいなあ、というようなことを、『悲しみの効用』を読ませていただいたときに、思っていました。
五木 こちらがきちっと信じて書いたことは必ず伝わる。そんなことは甘いよといわれるとそれまでだけど、やはり信じるしかないんです。
村山 『放蕩記』にも書いたのですが、兄から「お母ちゃんはお前のことを、ちゃんと愛せてなかった」といわれたことがありました。普通なら、ずいぶん傷つく言葉なのでしょうけれど、それを聞いたときに、私はものすごく救われる思いがしたんです。そう思っていたのは、私だけじゃなかったんだ、自分一人の思い込みじゃなかったんだ、ということがわかって、それはもう、雲間から射す光のようでした。どんな言葉が救いになるかは、人によって本当に違うんだ、と思いました。
五木 十九世紀の小説は、闇のなかに光を求めるものだった。裏と表ほどに異なって見えるドストエフスキーとトルストイが、実は双方とも、闇のなかに光を求めて書いていた。それは、ユーゴーでも、デュマでも、ディケンズでも同じです。国民のエネルギーを作家や詩人が背負う時代があったんですね。そうした黄金時代の国民作家の小説と、いまの小説とはまったく違います。我々はそうしたところで細々と小説の営みを続けているわけです。それでもなぜ書いているのかというと、さっきもいったように、信じるということに尽きるように思うんですよ。
村山 書き手が信じるということですね。
五木 自分が信じていることは、誰からどんなことをいわれようとも、否定できませんからね。
最後にもう一つ。『放蕩記』を読んでいると、どの登場人物も肯定的なんです。どの人も愛すべき人ばかり。主人公の同棲相手の七歳年下の大介なんか、大人物だよね(笑)。こういう人とは接したくない、という人間は一人も出てこない。村山さん自身が、基本的に肯定的というか、光のなかに生きていこうとする人なんでしょうね。
村山 能天気なんでしょうか。自分では、こういう母親にだけは、なんて思いながら書いていたんですが ……。
五木 いや、愛すべき人だと思うな。他人から見るとね(笑)。
村山 そうなんでしょうね。もし友達のお母さんだったらきっと、面白いお母さんでいいな、と思えたのかもしれません。いつか私にも、小説と同じ「赦し」が訪れることを信じたいと思います。
構成=増子信一
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【村山由佳 著】
放蕩記 (集英社)
2011年11月25日発売予定
定価1,680円 |
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