犯罪小説、青春小説、ブラックユーモアなど、多彩なエンターテインメント小説を発表している奥田英朗さん。
最新作『我が家の問題』は、傑作短編集『家日和』に続く六つの家族小説からなる短編集。新婚なのに帰宅拒否症の夫、結婚後初の里帰りをする夫婦、UFOを見たという夫、ランニングにはまる妻など、ごく平凡な日常をいとなみ、ささやかだけど悩ましい問題を抱える主人公たちが登場します。リアリティにあふれる彼らの姿を追ううちに、あたたかな読後感に包まれる本作の魅力についてお伺いしました。
――二〇〇七年刊行の短編集『家日和』で、ちょっと悩ましくてちょっと笑える家族の風景を鮮やかに描き、第二十回柴田錬三郎賞を受賞した奥田英朗さん。シリーズ第二弾となる『我が家の問題』では、さらに家族の微妙な問題をクローズアップ。その切実さ、可笑しさにはさぞかし取材や実体験の裏打ちがあるものと思いきや、ほとんどが想像なのだと言う。
奥田
僕はひとり暮らしだから、家族のことはよくわからないんですよ。自分にはないものだからこそ、一生懸命想像するというか。たとえば小津安二郎も、独身なのに家族映画ばかり撮っていたでしょう。あれに似ているのかもしれませんね。
そういえば、以前俳優のイッセー尾形さんと対談したとき、自分と似ていると感じたことがありました。イッセーさんは、いかにもいそうな市井の人物になりきって演じる方だから、普段からよっぽど人間観察をしているんだろうと思っていたんです。でも実際はめったに人と会わないし、出かけないんだとか。彼の原風景は、芝居だけで食べていけなくて肉体労働をしていた頃、ビニールシート張りの建築現場から見た、華やかな表通りなんだそうです。“常に自分はのぞいている側”という心情は、よくわかりますね。
半分女になって書いている!?
――本作に収録された六編のうち、専業主婦が主人公のものが二編、新婚のサラリーマンが主人公のものが二編、あとの二編は女子高生と作家が主人公。それぞれの家族の問題がピンポイントでとらえられているが、サラリーマンや作家はもちろん、主婦や女子高生が主人公の場合も“奥田さんは彼女たちの心の襞まで理解している?”と思うほどリアリティにあふれていることに、驚嘆してしまう。
奥田
姉が専業主婦なので、話をしていて“ああ、そうなのか”と思うことはありましたね。でも姉がいなくても、専業主婦の話は書いたと思います。想像力のスイッチみたいなものがあって、それが入るとだいたい形にできるような気がするし、書いているときはきっと半分女になっている(笑)。要は、登場人物に自分の物差しを押し付けなければいいわけです。自分の価値観でしか物事を見ないでいると、小説を書く際も登場人物の善悪が決まってしまって、彼らは自由に動いてくれない。性別も年齢も関係なく登場人物にはニュートラルに接しようと、いつも思っています。僕はテレビや雑誌をあまり見ませんが、時代が変わっても人間の本質はあまり変わらないと思いますしね。
――そんなニュートラル精神が発揮された主婦ものが、「ハズバンド」と「夫とUFO」。どちらも、今まで気付かなかった会社での夫の姿を知り、妻が悶々とする話だ。
奥田
どんなに嫌なヤツでも、仕事ができないヤツでも、ちゃんと奥さんがいたり友だちがいたりするでしょう? そういう人たちのいいところを探しながら書こうと思いました。「ハズバンド」の夫は仕事ができないヤツだったわけですが、自分は仕事ができないなんて、男は冗談でも認めない。認めたら身の置き所がないし、家庭の平和を保てないから、知らんぷりをし続けるんです。とはいえ、あまり仕事もないのにまだまだ会社員生活が続くというのも、つらいだろうなと。そしてそれを奥さんが知ったら、どんな気持ちになるだろうと考えていったんです。
「夫とUFO」で夫がUFOを見たと言い出すのは、男のロマン的なものじゃなくて仕事の大変さからくる精神的なものだから、一家のピンチとしては結構大きいかもしれない。でもそういうときこそ、家族が一致団結することもありますよね。
――新婚のサラリーマンが主人公の「甘い生活?」と「里帰り」については、“結婚してからわかること”に共感するあまり、苦笑を禁じ得ない読者が多いに違いない。
奥田
「甘い生活?」に出てくるような結婚披露宴に、実際行ったんですよ。新郎が編集者だったので、作家がたくさん呼ばれたんですが、バルコニーから手を振ったりする正統派の披露宴を見て、みんな“堅気の世界はこうなのか”と驚いていた(笑)。マスコミの人間には、真面目を恥ずかしがるようなところがあるから。ただ、こっちが違和感を覚えるときは向こうも感じているはずなので、向こう側に立って自分を見るという視点も必要じゃないかと思いました。
この本の担当編集者が“夫とはそれぞれの実家に別々に帰省する”と言ったのがヒントになったのが、「里帰り」です。僕は岐阜生まれですが、名古屋とかあちらのほうは親戚付き合いや冠婚葬祭を勝手にできないようなところがあって、ちょっと嫌だなと思っていたから驚いた。でも、考えてみれば親戚付き合いとは互助システムみたいなもの。だから最近は僕も、たいていのことにはお付き合いするようになりました。歳をとって度量も大きくなったし(笑)。その一方で、騎馬民族が条件のいいところに移住していくのと比べると、日本人は土地やお墓に縛られすぎじゃないかとは思いますけどね。
登場人物を裁かないのがモットー
――女子高生が主人公の「絵里のエイプリル」の問題は、六編中一番シリアスかもしれない。両親が離婚を考えていると気付いてしまった絵里は、どうすればいいのか親友たちに相談をはじめる。
奥田
父親がどれぐらいの頻度で家で夕飯を食べるかとか、両親の寝室はどうなっているかとか、よその家のことはあまりわからないもの。特に子どもは自分の親がすべてだから、知ってびっくりすることは多いと思います。といっても、僕はあまり深刻な話が好きじゃない。どこかで耳にした言葉なのですが“深刻なことにはほほえみを持って”という、この考え方が好きなんです。問題の原因を言い当てたからといって、その人が救われるわけではないと思っているし、だからこの話の終わり方も、そういう感じになりましたね。
――本作の最後を飾る「妻とマラソン」は、『家日和』収録の「妻と玄米御飯」に登場した、売れっ子作家・大塚康夫一家が再登場。彼は妻がランニングにはまった理由を、心にすきまができたからではと考えるが ……。
奥田
まず、“友だち夫婦”の場合、夫のほうの仕事がうまくいってどんどん成功の階段をのぼっていったとしたら、専業主婦である妻は取り残されたような気持ちになるのではと考えたんですね。プロ野球選手の妻みたいに最初から“陰で支える”と役割が決まっていたら、そのままの主従関係で行くのでしょうが、そういうタイプじゃなくて、“有名人の奥さん”とちやほやされるのに乗るほど図々しくもない人だったら、つらいだろうなと。そのうえ息子たちに手がかからなくなったら、何をしたらいいのか。それで妻がランニングにはまるという設定にしたのですが、僕自身もランニングが日課。走っているときは何も考えなくていいし、執筆中心の生活の区切りにもなっているので、ある意味、逃避行動のように感じるときがあるんです。でもやっぱり、何より人間は、頑張れることが欲しいんだと思いますね。
――全六編を読み終えて思うのは、世の中はいろんな思いを秘めたいろんな人がいて成り立っているということ。そしてその悪戦苦闘する姿は、とてもいとおしいということだ。
奥田
ふつうは成功者に名声が集まるものですよね。しかし、その周囲には正当に評価されない人たちがいっぱいいる。そういう人たち全員の言い分を聞きたいし、書いてみたい。犯罪加害者の親とか、切り捨てられがちな人の気持ちに興味があるんです。でも、それに善悪の判断を下すことはしない。“こういう言い分の人がいる”ということを書くだけで登場人物を裁かないのが、僕の小説のモットーかもしれません。自意識たっぷりに人を裁く陶酔型とは真逆の、覚醒型の作家なんだと思います。
聞き手・構成=山本桂子
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【奥田英朗 著】 |
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『我が家の問題』
7月5日発売・単行本
定価1,470円 |
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奥田英朗
おくだ・ひでお●作家
1959年岐阜県生まれ。
雑誌編集者、プランナー、コピーライターを経て、1997年『ウランバーナの森』でデビュー。
著書に『邪魔』(大藪春彦賞)『空中ブランコ』(直木賞)『家日和』(柴田錬三郎賞)『オリンピックの身代金』(吉川英治文学賞)『純平、考え直せ』等。
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