青春と読書
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集英社新書 『音楽で人は輝く ――愛と対立のクラシック』 刊行
対談 悲しいときにはブラームス、楽しいときにはワーグナー
 樋口裕一×青木奈緒
集英社新書の新刊、樋口裕一さんの『音楽で人は輝く――愛と対立のクラシック』は、ブラームスとワーグナーという二人の巨匠を軸に描いたクラシック音楽案内です。十九世紀後半のクラシック音楽界を二分したブラームス派とワーグナー派の対立の構図をきわめて立体的に描き、各作曲家の代表曲の案内に加え、作曲家と女性との関係を交えながら、後期ロマン派の音楽の特質を的確にとらえた楽しくかつ良質の入門書となっています。
樋口さんは、毎年ゴールデンウィークに開催される画期的なクラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」のアンバサダー(親善大使)としてクラシック音楽の普及に力を注いでおられます。同じく、アンバサダーを務めておられる作家・翻訳家の青木奈緒さんをお迎えして、クラシック音楽の素晴らしさや、「ラ・フォル・ジュルネ」の魅力について存分に語っていただきました。



秘めた恋のブラームス派と
華麗な女性遍歴のワーグナー派


青木 『音楽で人は輝く』を拝見して、ほんとうにおもしろく、わかりやすく教えていただきました。
樋口 ありがとうございます。
青木 わたしは、いろんなクラシックの曲をただ好きで聴いているだけなので、以前よく聴いていた曲とか、聴きたいなと思っていた曲でも、慌ただしい日常に紛れて忘れちゃうんですね。それをこういう形でまとめていただけると、あ、そうだ、こういう曲があったんだ、こういう曲も聴きたかったんだと、改めて刺激を与えていただきました。
樋口 そういうふうに読んでもらいたいと思って書いたので、そういっていただけるとうれしいですね。
青木 クラシック好きといっても、音楽史の専門書を手にとることはありませんし、読むのはせいぜいCDに付いているライナーノーツくらいなんです。この本のように、十九世紀後半の音楽を俯瞰して、全体を通して教えていただけるというのがすごくいいですね。
 しかも、誰と誰は幾つ違いで、どっちが先輩でとか、お互い好きだったとか嫌いだったとか音楽家同士の関係も書かれている。それから、ブラームス派の人たちは内向的で秘めた恋を貫こうとするタイプが多くて、一方のワーグナー派は華麗な女性遍歴をもっているとか、そんなエピソードもふんだんに描かれていて、とても楽しく読ませていただきました。
樋口 恋の体験や女性に対する態度というのは、単に下世話な興味ということではなく、ロマン派の音楽の本質にかかわっているんですね。生き方にしても音楽のとらえ方にしても、ブラームス派とワーグナー派はほんとうに対照的で、その辺がおもしろいですね。青木さんは誰がお好きなんでしたっけ?
青木 この中に出てくる人でいえば、シュトラウス・ファミリー(ヨハン・シュトラウス一世とその三人の息子、ヨハン・シュトラウス二世、ヨーゼフ・シュトラウス、エドゥアルト・シュトラウス)です。
樋口 なるほど。オペレッタが大好きだとおっしゃっていましたからね。
青木 はい。リヒャルト・シュトラウスも好きなんですけれど、この中でリヒャルト・シュトラウスはワーグナー派に入っていて、ああ、そうなのかと ……。
樋口 リヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」と「エレクトラ」は完璧にワーグナーの延長線上です。でも、「ばらの騎士」以降は作風ががらりと変わって、ブラームスに近くなるんですね。
青木 わたしは「ばらの騎士」が一番好きなんですけど、実は、子どもの頃はブラームスがすごく苦手だったんです。
樋口 ブラームスが苦手だという人、結構いますよね。
青木 わたしの場合は、父親がブラームスを大好きで、よく聴いていたんです。とくに、「交響曲第一番」の出だしで、ティンパニが連打されるところがありますよね。あれが苦手で苦手で(笑)。
樋口 力みまくっていますからね。
青木 あれって、ベルリンの壁を思い出させませんか。何か、ドーンとした壁をつくられている感じがするんです。
樋口 でも、それがいいんですけれどね。
青木 樋口先生はいつからそれがいいと思っていらしたんですか。
樋口 最初聴いたのは、多分小学六年生ぐらいだったと思います。
青木 その頃からブラームスの「一番」を?
樋口 最初に買ったのがたまたまあまり有名ではない「三番」で、それを聴いてまずすごいと思った。その次が「一番」かな。子どもには非常に格好いいんですよ、「一番」は。
青木 子どものわたしは、あの暗さに耐えられなくて。でも、後年実際にドイツに行くと、ドイツの気候というのは、まさにあの暗さだということがわかる。で、だんだん歳をとってくるとそれがよくなるんですね。
樋口 ブラームスの「四番」はどうですか。まさに古典ですけど。
青木 いまは「四番」が一番好きです。たまらなく好きになっていく自分を見ていると、おかしいな、歳をとったのかなと思うんですけど(笑)。
 ワーグナーは、いつ頃から?
樋口 中学の終わりから高校ぐらいですね。ブラームスとワーグナーは一貫して好きなんですけど、何かを好きになるかならないかというのは、出会う時期が大きいのかもしれませんね。もしそれ以前にワーグナーを聴いていたら嫌いになったかもしれない。
青木 子どもの頃に嫌いだったのがブラームスとドヴォルザークなんです。
樋口 ドヴォルザークも? それは珍しいですね。
青木 これもやはり父なんですけど、わたしが幼稚園とか小学生の頃に、父が大音量でドヴォルザークの「チェロ協奏曲」とかをかけていて、それが嫌で勘弁してほしかったんです。ところが、この歳になるとむやみと聴きたくなるんですから、不思議ですね。
樋口 そうですか。うちの子どもたちもそうであってほしいですね。どちらかというと、クラシックというのは変わり者や暗い人が聴くものだと思っているようですから。
青木 わたし自身そうでしたけど、小さいときにクラシックが耳に入っているので、きっといつか芽吹くときがあるんじゃないかと思います(笑)。

バイキング形式で楽しめる
「ラ・フォル・ジュルネ」


 お二人がアンバサダーを務めておられる「ラ・フォル・ジュルネ」は、一九九五年にフランス北西部の港町ナントで誕生したクラシック音楽祭。従来のクラシック音楽祭の常識を覆す画期的な催しで、毎年、テーマとなるジャンルや作曲家を設定して、朝から晩まで複数の会場で同時並行的にコンサートが開かれる。そのコンセプトは「一流の演奏を低料金で提供することで、明日のクラシック音楽を支える新しい聴衆を開拓」するというもの。来場者の多くはクラシックコンサート初心者で、子どもたちも数多く参加している。二〇〇五年からは日本でも開催されるようになった。

青木 日本では、クラシック音楽というと、どうしても高級なものという感じで眺めてしまうところがありますよね。
樋口 偉い人が聴かせてくれるという感じですね。でも、ラ・フォル・ジュルネはまったくそうじゃない。
青木 高いチケットを買って、かしこまって聴くという一般的なコンサートの雰囲気と、ラ・フォル・ジュルネは全然違いますね。
樋口 作曲家と演奏家と聴衆とスタッフと、みんなが一緒に楽しむのがラ・フォル・ジュルネなんです。
青木 アーティストも楽しんでいる感じが伝わってくるというのは、ちょっとほかにはないんじゃないですか。
樋口 ことにナントでは、クラシック初心者の人たちが中心になって大騒ぎ、大喜びしている。それを見て感動しましたね。
青木 これがものが立ち上がる勢いなんだなと、どきどきするような気分を味わいました。
 ただ、日本でも開催することになったときに、あの雰囲気を再現できるのか、最初はすごく心配でしたけど。
樋口 ぼくもほんとうに心配しました。
青木 ところがいざ蓋を開けてみると思いの外うまくいって、うれしかったですね。しかも年を追うごとに定着していって、一昨年あたりからは、この催しがすっかりひとり立ちして、東京だけでなく、金沢とか地方にも広がっている。日本のゴールデンウィークの催しの一つとして定着した感じで、うれしいですね。
樋口 お客さんも日本中から来ているんですよね。ぼくの知り合いでも九州や新潟から泊まりがけで来ています。
青木 皆さん、はまっちゃうんですよね。
樋口 演奏が素晴らしいですからね。各会場の仕掛けもすごいし、いろんなところで同時に演奏をしているから、どれを選んでいいかわからないという躁状態にならざるを得ない。休憩時間をつくりたいんだけれど、休んでいる間にどこかで素晴らしい演奏をやっていて、それを聴き逃してしまうのが悔しいから、休まずにひたすら聴き続ける。
青木 普通のコンサートだったら、どこかの会場に入って、初めから終わりまで聴くわけですね。食事でいえば、レストランのお任せでフルコースをみんなでいただく感じですけど、ラ・フォル・ジュルネは、あちこちのホールで同時に演奏がおこなわれていますから、自分が好きなものを自由に選べる、いってみればバイキング形式ですね。
 ある曲が好きならば、その曲ばかり違う演奏家で聴くこともできるし、ある作曲家のシンフォニーを一番から九番まで通して聴くこともできる。
樋口 いろんな選び方ができて、どれもすべて感動を与えてくれる。
青木 だから自分なりのスケジュールというか、時間割をつくり出すとはまってしまって、それも楽しいですね。
樋口 楽しいけど、上手に組み合わせようとするとパズルみたいで、大変です。ともかく、聴き逃すまいと、朝から晩まで時間割を埋めていくんです。
青木 でも聴き終わったときは、昼夜連続の歌舞伎の通し狂言を一挙に見ちゃったみたいな疲労感がきっとありますよね。
樋口 ええ。でも充実感もあります。ただ、朝の最初に何を聴いたのかを覚えていない。何かすごいのをやったぞという感動だけは覚えている。
青木 そこまで好きな方も楽しめるし、「いいよ、一曲で」という人も楽しめる。お仕着せのフルコースじゃないところがいいですね。
樋口 みんなで一緒につくっている感じがするんですね。たとえば、企画者であるルネ・マルタンさんが、まったく知らない演奏家同士を組み合わせて、「さあ、やれ」というんですけど、演奏家もびっくりして困っているわけですよ。でも、いざやってみると楽しかった、ぴったり合ったということがよくあるみたいですね。あらかじめ用意されたものをやるんじゃなくて、まさにいま・ここでしかできないことをやる。そこもラ・フォル・ジュルネの素晴らしいところです。

人生の第一は音楽です

青木 また本のほうに戻りますけど、ブラームス派とワーグナー派の違いというのは、どこか茶道の流派に似ているところがありますね。ブラームスが昔からの型から入るのに対して、ワーグナーは、型よりも、とにかく一服おいしくいただくということを主眼に置いている。
樋口 なるほど、おもしろい発想ですね。
青木 樋口先生はどちらかといえばブラームスタイプだと思っていたんですけど、ワーグナーが一番お好きなんですよね。
樋口 本来の自分の姿はブラームスに近いんですけれど、理想としてはワーグナーに憧れるんです。
青木 女性への接し方もワーグナーだったら、樋口先生のお宅は崩壊してしまうのではって心配したんですけど(笑)。
樋口 いえいえ、ワーグナーのような女性遍歴はありませんよ(笑)。ぼくは「トリスタンとイゾルデ」が大好きなんです。高校・大学生の頃は、最初から最後までしびれて聴いていました。
青木 高校生ぐらいで「トリスタン」にはまる男の人っていますよね。わたしにとって、そこが到達できない音楽の世界なのですが(笑)。
 最後にお聞きしたいんですけれども、樋口先生が、一番楽しいときと一番悲しいときに聴きたい曲って何ですか。
樋口 これまでの人生で激しく絶望したことが一度ある。どういう絶望かはいいませんけれど(笑)。そのときはワーグナーを聴けなかった。ワーグナーは大好きなんだけど、半年ぐらいは一切聴けなかったですね。
青木 そのときに拠り所としてすがった曲は何ですか。
樋口 まさにブラームス。
青木 ブラームスの何を?
樋口 やはり「クラリネット五重奏曲」かな。室内楽で暗い曲だから余計落ち込むだろうといわれるんですけれど、そんなことはないですね。自分の悲しみと協和性があるというか、同化できるんです。
青木 楽しいときは?
樋口 ワーグナーの「タンホイザー」ですね。躁状態のときは車の中で「タンホイザー」をがんがんにかけていました。
青木 わたしは、絶望したらモーツァルト。オーボエかクラリネットの五重奏曲ですかね。悲しくても自分の世界に入りたかったら、小さい頃から聴いていたレハールですね。レハールの「メリー・ウィドウ」。レハールは、小さい頃から父親に刷り込まれて、完全にパブロフの犬ですから。それが高じてドイツ文学を専攻して、奨学金でウィーンへ留学して、フォルクスオーパー歌劇場の近くにも住みましたし。  でも音楽って、やはりすごいですね。この本からは、樋口先生の音楽への愛情がひしひしと伝わってきます。
樋口 ぼくにとって、人生の第一は音楽ですからね。そうでなかったら、もうちょっとましな人生を歩んでいたかなとも思いますけど(笑)。
【樋口裕一 著】
『音楽で人は輝く――愛と対立のクラシック』
発売中・集英社新書
定価 777円
プロフィール
樋口裕一
ひぐち・ゆういち●作家、多摩大学経営情報学部教授。
1951年大分県生まれ。著書に『ホンモノの文章力』『ホンモノの思考力』『頭がいい人、悪い人の話し方』『ヴァーグナー 西洋近代の黄昏』等多数。
青木奈緒
あおき・なお●作家、翻訳家。
1963年東京都生まれ。著書に『ハリネズミの道』『うさぎの聞き耳』『動くとき、動くもの』等。訳書にリトル・ポーラ・ベア『わたしもいっしょに、つれていって!』等。
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