青春と読書
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インタビュー
インタビュー 『抱擁、あるいはライスには塩を』触れられるものも触れられないものも、言葉にしたい 江國香織
 江國香織さんの最新刊『抱擁、あるいはライスには塩を』(集英社刊)は、柳島(やなぎしま)家という一族の、三世代にわたる家族の長い長い物語である。といっても、一族の生い立ちから説き起こす大河小説の形ではなく、全編が柳島家の人々、そしてその家族に何らかの形で関わった人間の、一人ひとりの「語り」で、パッチワークのように埋め尽くされている。
 そして、この小説には、物語の主人公が時を積み重ねていく正攻法な時間軸も存在しない。家族のある一人が体現した「一九八二年秋」という時間のあとに、別の家族の「一九六八年晩春」という時間が、脈絡もなく唐突につながっていく。読み手にとっては、時を飛ばして突然差し込まれる新しい場面と語り口に、最初はやや戸惑いこそすれ、一人ひとりが体現してきた時間が、少しずつ「記憶」となって積み重ねられてゆく体験は、今までになく斬新で刺激的だ。
 今回、江國さんがなぜ家族をテーマにしたのか。その辺りから伺った。



家族でも一生知らない時間がある

「家族というものには前からすごく興味があって、私にとって、何度でも書きたくなるテーマなんですね。家族ではあっても、みんなそれぞれ知らない時間を生きている。たとえば、子供たちは、学校にいる時間とか、家族の見えないところで別の時間を過ごしていて、大人たちは、その時間を多分一生知らない。もちろん、その逆もあって、家族の大人たちが生きてきた時間を子供たちは知らない。身近にいる家族なのに一生知らない時間がある、そのことが本当におもしろいなと思って。それをどうすれば書けるかなと考えて、こういうパッチワークの形にすれば書けると、思ったんです。
 家族のそれぞれの時間や体験を、時間を飛ばしてつなぎ合わせていくと、読者にはこの家族のありようがちょっとずつ見えてくる。ある一つの場面を読むと、そこに登場している人たちが知らない事情をすでに読者は知っている。かつてあんな体験をした人間が今はこうしているという、読者にだけしか見えないものがある。そういう書いてないものを見てほしかった。
 書いてないところを読者の記憶として残すためには、時間軸に沿って物語を進めていくと書きづらい。だから一つ一つの場面の時間軸をばらばらにして、その間につなぎも説明も入れないという手法にしたんです。家族をテーマにした小説は今までにも書いてきましたが、こういう手法で書いてみようというのは、私にとっては新しいチャレンジでした」

 三世代にわたる柳島家の人々を簡単に紹介すると  ――。
 まず、第一世代として柳島竹治郎(たけじろう)と、その妻絹(きぬ)がいる。絹は日本名で、彼女は一九一七年生まれのロシア人だ。ロシア革命で一家離散し、ただひとりロンドンに亡命した貴族の末裔である。そこで留学していた竹治郎に出会い、一緒に帰国、結婚。竹治郎は、幕末から続いた呉服問屋をたたみ、新しい事業を興し、成功する。そして第二世代の菊乃(きくの)、百合(ゆり)、桐之輔(きりのすけ)が生まれる。奔放な菊乃は厳格な竹治郎に反発して家出し、妻子ある男岸部(きしべ)と恋愛関係となるが、妊娠を機に柳島家に戻り、竹治郎を支えた番頭の息子で、幼馴染みの豊彦(とよひこ)と結婚する。
 そして、第三世代として、菊乃の子供たち望(のぞみ)、陸子(りくこ)、光一(こういち)が生まれ、後に豊彦と愛人との間にできた子供卯月(うづき)も、柳島家に加わる。こうした複雑な親子関係も、それぞれ当事者の語りから少しずつ浮かび上がってくる。
 一人ひとりの語りはとても濃密だ。しかし、この物語には主人公らしき人物が意図的に設定されていないように思える。後に物書きとなる陸子の存在は印象深いが、あくまで重要なピースの一つであり、主人公という役割を著者は与えていない。とすると、この小説の主人公と呼ぶべきものは何なのか。

「家そのものを主人公にしたかったんです。家があり、時間が流れて、人が入れ代わり立ち代わりする。世代が変わり、登場人物の全員がいなくなっても、あの家はその後も多分残る ……。
 恋愛はたくさん出てきますが、いつも私が書く恋愛小説の多くのように、ものすごく大事なこととしてではなく書いたつもりです。もちろんそのさなかの当人にとっては大事なんだけれど、どんな大恋愛、国際恋愛でも、人が普通に経験する出来事として書きたかった。その後はまた違うことも起こるし、出会ったり別れたり、生まれたり死んだり、それらが一つ一つはドラマティックかもしれないけれど、ささやかなこととして、通り過ぎちゃうこととして描けたらなと思って ……。たとえば、家族の誰かが体験した恋愛や結婚が、すごく情熱的だったり、悲劇的だったりしても、この形で時間を飛ばすことによって、他の家族から見れば、“大変だったのね”ぐらいのことになってしまう。そこのギャップが書く上では大事でした。
 実際、姉妹ってそうですよね。特に一緒に住まなくなったり、片方が結婚したり、恋に落ちていたりすれば、相手が今どれぐらいつらい目にあっているかなんてわからない。でも、そんな家族がいるということ、その後、それを笑って話せる人がいるということ。家族ってそういう場所じゃないかと思う。そんなに常に何かを共有したり、理解し合ったり、慰めたり、支え合わなくてもいいという ……。むしろ、共有できないものというのが、多分、人にとっては大事なような気もするので」
(続きは本誌でお楽しみください)
プロフィール
江國香織
えくに・かおり●作家。
1964年東京都生まれ。著書に『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』(山本周五郎賞)『号泣する準備はできていた』(直木賞)『がらくた』(島清恋愛文学賞)『真昼なのに昏い部屋』(中央公論文芸賞)等。
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