青春と読書
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巻頭インタビュー
インタビュー ギ時代が奪うもの、奪えないもの 木内 昇
本誌連載で好評を博した木内昇さんの『漂砂のうたう』が刊行されます。小説の舞台は、明治十年(一八七七)前後の東京の根津遊廓、七月末の猛暑の中、木内さんに根津界隈を散策していただきました。 遊廓の惣門(大門)があった場所を出発点に、かつて根津の町なかを流れていた藍染川(の跡地)沿いを北上、途中、小説にも登場する金魚屋「バンズイ」がかってあった辺り(現・文京区立藍染保育園)に寄り、そこから遊廓を南北に貫いていた八重垣町通り(現・不忍通り)を渡って、根津神社へ。周囲を丘に囲まれたすり鉢の底のような低地の根津には熱気がこもって暑さもひとしお。それでも緑の多い根津神社ではいくらか暑さも和らぎます。
場所を近くの喫茶店へ移し、汗の引いたところで、木内さんにお話を伺いました。まずは、この根津の地を小説の舞台とした理由から話していただくことに。



 根津という土地に注目したというよりは、まず、妓夫太郎(ぎゆうたろう)という仕事に関心があったんです。遊廓というと、すぐに思い浮かぶのは花魁(おいらん)ですね。実際、花魁を主人公にした小説が多く書かれています。でもわたしは、花魁自体にはそんなに興味がなかったんです。むしろ、廓(くるわ)に働く男衆たちが、どういう思いで働いていたのか、そこに興味があった。
 遊廓はかなり機能的で、持ち場持ち場の役割がはっきりと決まっているんです。門口を守る人、二階を回す人、帳場を任されている人、それぞれが仕事を自分だけで抱え込まずに連携していくことでうまくやっていく。そういうポジショニングがきっちりと現れる仕事のやり方にも興味があったんですね。
 廓としては、吉原が有名ですが、遊廓ごとに若干システムが違うので、根津にはまた根津のやり方があったんです。それに、根津に遊廓があったのは明治二十一年までで、その後は洲崎(すさき)に移ってしまう。官許としての根津遊廓はわずか二十年ほどで、期間限定の、あったのかなかったのか幻みたいなところで、そんな感じがおもしろいと思って、ここを選んだところもあります。
 もう一つは、この近辺に三遊亭圓朝(えんちよう)が住んでいたなと思い出して、遊廓と圓朝を組み合わせてみようかというのが最初の構想ですね。ただ、圓朝はあまり表に出さずに、ポン太という圓朝の弟子を通してなんとなくその存在を匂わすというかたちにしていますが。

 維新以降、廃藩置県、徴兵令、地租改正、廃刀令、金禄公債証書の発行(家禄等を廃止し代わりに公債を支給)と、かつての武士の特権は徐々に剥奪されていき、明治十年二月には不平士族の憤懣(ふんまん)が西南戦争というかたちになって現れる。本書の主人公、根津遊廓の妓楼、美仙楼の立番の定九郎は、御家人の次男として生まれ、御一新後、家を出て、深川、品川などの遊廓を経て、この谷底の地へと流れてきた。いまだ居場所を定められぬまま、不如意をかこっている。

 定九郎を描く上で思ったのは、今まで当たり前にあった仕事が急になくなってしまった人を描いてみたいということでした。明治になって武士という仕事がなくなってしまった。それによって不平士族の反乱が起き始める。この明治十年前後というのは、まさにそういう時代だったんです。
 時代もののおもしろさというのは、現代を逆に照射できるようなところにあると思っています。いつの時代でも、時代のせいでもなく、自分のせいでもなく、両方の要素によって思いがけない方向に向かってしまうということもあるのではないかと思います。そういう人たちがどうやって生きていったのか、ということを考えたことがこの小説を書くひとつのきっかけになりました。
 小説の時代でいえば、幕府が瓦解したことによって、武士だった人たちの多くは零落していきます。それまではお扶持(ふち)もあったし、生活も保障されていたのに、それが突然なくなってしまう。なかには金禄公債がなくなるまで生きて、それ以降は餓死したという人もいたようです。稼ぎがなくなるということ以上に、自分が誇りとしていた仕事がなくなってしまう恐怖みたいなものもあると思います。
 定九郎の場合は次男なので、武士としても家を継げるわけではない。といって、何か事改めてやるというのもきつい、というところで、どっちつかずの諦観みたいなのがずっとある。彼はそれを新しい時代に対応し切れない言い訳にしている部分もあるわけですね。

自由と
自分らしさ


 物語には、定九郎のほか、プロフェッショナルに仕事をこなす妓夫太郎の龍造、機転は利くがやたらに好奇心の強い仲どんの嘉吉、美仙楼の看板名妓で賢さもまた抜きんでている小野菊、根津中見世の楼主らの経営する賭場を仕切る山公といったさまざまな人物が登場する。明治という新しい時代の中で、それぞれが自分の生きていく道を求めて模索していくのだが、そこで浮上してくるのが、まだできて間もない「自由」という新しい言葉だ。

 明治になって「自由」という言葉が出てくるんですけれども、どうも日本人は自由って何だろうと考えながらも、わからないまま結局戦後まできてしまったようにも思うんです。ですから、自分なりに自由というものについて考えを深く掘っていくことが必要になるのかもしれません。
 たとえば、みなが必ずしも自分の望んだ仕事ばかりできるわけじゃない。どんなに好きな仕事についても嫌なことはめぐってくる。それでも、最終的に自分らしく仕事をしているというのが、龍造ですね。自分の仕事を全うすることで解き放たれるというか、自分も確立できる。昔もそうかもしれませんけど、ことに今の時代は、生きがいを持てる仕事、自分らしい仕事を見つけられるかどうかに考えが先走っていますけど、そうじゃなくて、どんな仕事についても自分らしくやることが、自分らしい仕事をする、ということだと思うんです。
 龍造が、事あるごとに、ここまでやればもっと世界が広がるということを定九郎に見せつけているんだけれども、定九郎は初めから仕事を投げているから、それをうっとうしがる。適当なところでとめておいても仕事って成り立って回っていきます。でも、もっと先まで行けば広がりも出てくるし、それこそが自由なのですが、そこに気がつかない場合というのが多いなと思うんです。
 小野菊や龍造は、ちゃんと気がついてやり通している。仕事をつきつめることによって得られる自由とか、何か発見する力というのも書いてみたいと思ったところです。
(続きは本誌でお楽しみください)
【木内 昇 著】
『漂砂のうたう』
9月24日発売・単行本
定価 1785円
プロフィール
木内 昇
きうち・のぼり●作家。
1967年東京都生まれ。著書に『新・東京の仕事場』『ブンガクの言葉』『新選組 幕末の青嵐』『地虫鳴く』『茗荷谷の猫』『浮世女房洒落日記』等。2009年、第2回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。
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