青春と読書
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小川洋子『原稿零(ぜろ)枚日記』刊行記念特集
インタビュー 言葉から遠くへ 物語の役割 小川洋子
小川洋子さんの新刊、『原稿零枚日記』が8月5日に発売されます。
本特集では、本書の刊行を記念して、小川さんへのインタビュー、そして小川さんの取材にも一度同行されたという作家の藤野可織さんに書評を寄せていただきました。



――小川洋子さんの最新作『原稿零枚日記』(集英社刊)は、とある女性作家の日記である。彼女は、長編小説に行き詰まり、「書けない」煩悶(はんもん)の日々を送っている。
 毎日の出来事を綴った日記の文章の最後には、小さな溜息のような(原稿零枚)という付記が続く。ごくたまに少し書けても、次の日には破り捨てて、また(原稿零枚)に。
 その女性作家の日記は、平凡な日常を綴っているようで、どこか奇妙だ。途中から異世界の扉が開くように、読者はいつしか奇妙な非日常の世界に誘われていく。
 小川さんといえば、『アンネの日記』をはじめ、日記文学好きとして知られている。

「昔から私は日記文学にあこがれを持ち続けてきて、自分もいつか日記という形できちんとしたものが書きたいと願っていました。小説を書くうちに、なぜ自分は日記に心惹かれるのか、だんだんわかってきました。
 小説は余計なことを書かないと成立しないんですね。日記ならば、『何月何日、雨』と書けばすむのに、小説だとどうしても、その雨がどういうふうに降っていたかを書きたくなってしまう。しかし、いくら書いても本当の雨の姿を描写することはできない。それなら『雨』と書いてしまったほうが、本当の雨に近づけるんじゃないか。そんな言葉という道具の使い方として日記の形式を持ってくると、面白いものが書けるんじゃないかという予感がありました」

――日記の言葉は、小川さんの好きな図鑑にも通じるという。無欲で平易な図鑑の文章には余計な情報がない、必要な情報しか書かれていない。その簡潔さの中に宇宙が広がっていく、静かな昂揚感。「本来言葉が持っているはずの潔さに触れたい」と、日記の形に物語を託した。物語に向かうとき、そこにはいつも創作意欲を掻き立てる「出会い」がある。

「『博士の愛した数式』で、数学に出会ったときの喜び、そして『猫を抱いて象と泳ぐ』で、チェスを小説に書こうと発見した喜びは、あっ、これで言葉から遠く離れた場所に行けるということでした。
 人間の心の内側など、到底言葉では言い表せない。けれど本来小説が求めてきたものから、遠く離れた数学やチェスの中に、全く言葉を必要としないのに人間関係が成立している。それを私は書こうとしている。書けると思えたことと、今回の日記との出会いはつながり合っていると思います」

――回りくどい説明は要らない。物語は言葉から一番遠いところから始めたい。それは決して言葉への不信感などではなく、むしろ言葉の活力を引き出したいからなのだと言う。

「音楽や絵画、彫刻など、いろいろな表現方法がある中で、言葉ほど遅れてやってきた道具はないと思うんです。ほかの動物は言葉を持っていないし、人間が自分を表現する道具としても非常に歴史が浅い。言葉を持たなくても、人間はたぶん歌を歌っていたと思うし、絵を描いていたんじゃないかと思う。
 その歴史の浅さを考えると、言葉の隠し持っている可能性がまだ何かあるんじゃないかと。その期待を掘り起こすアプローチの一つとして、今は言葉から遠ざかる題材を選んでいるんですね。小説が書けないときは、図鑑や『家庭の医学』を読むことで、言葉からの活力を得る方法にトライし続けているという感じです」

――『原稿零枚日記』に話を戻そう。書けない女性作家の日記は、作者の目論見どおり、最初の一行目はじつに無機質な事実記載から始まる。「雨」という一字から始まる日もあれば、「病院に行った」という淡々とした記載から始まる日もある。郵便物が届いたり、誰かが訪ねてきたり、あるいは取材旅行に出かけたりという、日記の入り口はいつも「現実の日常」なのに、途中でだんだんその日常の輪郭がぼやけてくる。
 取材旅行先の温泉宿で、散歩に出た主人公が迷い込む森の中の苔(こけ)料理専門店。老女将(おかみ)に勧められるままに深緑色の苔料理を口にするが、コースの最後に登場したのは、動物の死肉に生えるという、妖しげな苔の石焼料理 ……。また、とある日は、子供のいない身でありながら小学生の運動会を巡り歩き、別の日には「子泣き相撲」大会に紛れ込み、すんでのところで他人の赤ん坊を連れ去ろうかという危うい場面が語られる。夢か現(うつつ)か妄想か、その境界が朧(おぼろ)になり、読者は自分がどちら側の世界にいるのかわからなくなってゆく。まさに小川ワールドである。

「じつはこの連載が始まるときに、飛騨(ひだ)高山(たかやま)の宇宙線研究所で、素粒子を観測するスーパーカミオカンデを見学する機会があったんです。山の奥へどんどん入ってゆくと、そこにニュートリノをつかまえるための、超純水に満たされた巨大なタンクがあった。遠い宇宙から降ってくる何兆個ものニュートリノを、その深い水が捕らえたときに青白い光を発するんですね。
 そんな魅惑的な反応が自分の心の中にもある。そう感じました。この非日常的な体験が小説の骨格を決めたと言っていいでしょうね。見えている世界と見えていない世界とか、現実だと自分が思っている世界とそうでない世界とか、じつはこの世界にはいろんなものが複雑に入り乱れているのに、そこを非常にすっきりさせてみんな生きている。
 でも本当は、それほどすっきりしたものじゃないはずです。一本筋が違えば、一段階下に降りれば、そこに苔を食べさせるお店もあれば、人が一人ずつ消えていくツアーもあるということです」

――あのスーパーカミオカンデの扉を開けたときに、この物語の枠組みが決まったのだと小川さん。物語の素材は常に日常の中にあった。

「今回非常によかったなと思うのは、小説を作ろうという意識を持たずに、自分が、あ、これ何だろうと、ぱっと視界に入ってきたものを素直に順番に書いていけたことです。先月と今月の題材につながりがなかったとしても、日記ですから一向に構わない。それを無理につなげる小細工も必要ないですしね。日記の中に出てくる一個一個の出会いは、もしかしたら、私にとっての大長編の種になっていたかもしれません(笑)」
(続きは本誌でお楽しみください)
【小川洋子 著】
『原稿零枚日記』
8月5日発売・単行本
定価(各)1,365円
プロフィール
小川洋子
おがわ・ようこ●作家。
作家。1962年岡山県生まれ。著書に「揚羽蝶が壊れる時」(海燕新人文学賞)『妊娠カレンダー』(芥川賞)『博士の愛した数式』(読売文学賞・本屋大賞)『ブラフマンの埋葬』(泉鏡花文学賞)『ミーナの行進』(谷崎潤一郎賞)等。
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