青春と読書
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インタビュー
インタビュー すべてのピースがはまった旅 村山由佳
このたび、『ダブル・ファンタジー』(文藝春秋刊)で第二十二回柴田錬三郎賞を受賞された村山由佳さん。最新作となる『遥(はる)かなる水の音』(集英社刊)は、若くして逝った久遠周(くどうあまね)の遺言を実行するために、彼の姉と親友の男女、そして同性の恋人の四人がサハラ砂漠を目指してモロッコを旅する物語。フランス、スペイン、モロッコを舞台に同性愛、姉弟愛など多様な愛のかたちを描いた異国情緒あふれる群像劇です。
三年前、村山さんは現地へ取材に行かれ、そこでの実体験が本作品に多く反映されているそうです。以前からイスラム文化に興味があったという村山さんにモロッコでのお話を伺いました。



――村山さんご自身も作品の中とほぼ同じルートで旅をされたそうですね。

  私の場合、行きたいところを小説の舞台にして書いてしまえというところがありまして。自分がなぜひかれるのかを解き明かして、読者に伝えたいという気持ちがあるんですね。
 もともと、イスラム風のものにひかれていたんです。家に「アランビアンナイト」が入った童話集があって、小さい頃はタオルをターバンみたいに巻いたりして、アラビアンナイトごっこをやっていました。でも気にいっていたのはお姫様じゃなくて、戦士のほう。三日月型の剣をさしてラクダに乗って、という姿にすごく憧れました。その後イスラム文化  ――美術や建築に興味を持つようになって、モロッコという国がイスラム文化だけでなく、ヨーロッパ的なものやアフリカ的なものなど、いろんな文化が入り交じっているところだとわかった。それで、行ってみたくなっちゃったんですね。

――今回の旅で印象に残っていることを教えていただけますか。

 幼なじみの女性カメラマンと日本人ガイド、そして現地のガイド兼ドライバー二人の五人で旅をしていて、出発点のパリに十一日間、モロッコには三週間ほどいました。私は旅に出るとき、いつも下調べをあまりしないんです。今回も、サハラ砂漠にある遊牧民のキャンプ地に泊まることができるらしいと聞いて、その手配だけをして行きました。下調べをすると先入観を持つことになって、物事を新鮮に見られないような気がするんです。現地で「なぜ?」と思ったことを、あとから調べる方が面白くて。
 今回一番驚いたのは、夜の砂漠がほぼ無音だったことでした。月が昇ってくるまで真っ暗で何も見えないんですが、そんな中で自分の心臓の鼓動と、キーンという耳鳴りと、ラクダが砂漠を歩くサクサクという音しか聞こえない。そんな状態がこんなにも不安感をあおるものかと思いました。昼間だと目からの情報が入ってくるから、またちょっと違うんです。
 私は普段馬に乗るんですけど、ラクダは足を出す順番が馬と違うので、乗っているときの感覚が違うのも面白かったですね。馬だと腰が8の字に揺れるんですが、ラクダだと前後ろ前後ろと揺れる。疲れ方も違いますね。ただ、ラクダはとんでもない悪声でした。「どんだけまつげにエクステつけてるの?」みたいなかわいい目をしていて普段はおとなしいのに、時々ヒエッヒエッヒエーとかウヒーとか鳴くんです(笑)。不満があるときなのかな。
 スークという市場の様子も、鮮明に記憶に残っていますね。喧騒がすごいし、日本的な感覚からすれば不潔なのかもしれないけれど、生命力にあふれている。私はアメリカへもよく行くんですけど、千年以上の歴史がある国と建国二百年の国の街は、当然ですが全然感触が違いますね。歴史で言えばヨーロッパの街も古いけれど、きれいにまとまっている感じで、こちらを侵してくる気配はないんです。でもスークではぼやぼやしていると、侵食されてしまいそうになる。実際、スリにあいそうになったり、変な男の人につけまわされたり、物乞いにやってこられたりしました。日々身構えなければならなかったけれど、それもすごく新鮮な感覚でしたね。

――イスラム文化に興味がおありとのことですが、本作にたびたび出てくる祈りの声が聞こえてくるシーンは印象的でした。

 アザーン(*1)という礼拝への呼びかけはCDで聴いたことがあったのですが、早起きした朝にいきなりそれがものすごい音量で流れ出すのを聞いたときは、鳥肌が立ちました。「ああ、今異国にいるんだ」という実感がわいてきて。その感覚は、今まで行ったどの国よりも強かったですね。
 小説にも出てきますが、実際に毛布が杭に張ってあるだけのテントに泊まって、砂漠で朝を迎えたときの感動も特別なものでした。ラクダ引きの人たちがコーラン(クルアーン)を唱えながら立ったり座ったりして、アラーの神を拝んでいる横での夜明けは、まるで百年分のご来光のようでした ……。彼らが自分たちのために淹れたミントティーの香りやラクダの糞のにおいも漂ってきて、ちょっと異質な空間でした。「胸を打たれる」という言葉でも軽い感じがするくらい、深い感慨がありましたね。
 実は我が家は昔から、あるパキスタン人の一家と親しくて、家族ぐるみの付き合いがあったんです。それで、イスラム教とはどういうものか、多少なりとも見ていたつもりだったんですけど、砂漠の祈りの風景は日本で見たものとは全然違いましたね。この過酷な環境の中でこそ生まれてきた宗教であり、考え方なんだということが、よくわかりました。レトリックじゃなくて、文字通り生と死が隣り合わせにある場所なので、アラーの神が唯一絶対神であることの必然性が、切実に説得力を持って伝わってきました。

――ラマダーン(*2)の断食も体験されたそうですね。

 三日間やってみました。お腹が空くのは何とかなるんですけど、のどの渇きが辛くて辛くて。冷たい飲み物が入ったコップの水滴が、拡大鏡でうつしたみたいに目に入ってくるんです。日没の午後六時のアザーンを合図に食べたり飲んだりできるんですが、時計ばっかり見ていましたね。「まだ二時か」って(笑)。昼と夜の気温差が三十度くらいあって、とにかく空気が乾燥しているので、毛穴はカラカラ、唇はカサカサでした。
 ラマダーンはきつかったけれど、本物のターバンを巻いてラクダに乗れたのはうれしい経験でしたね。「小さい頃からの夢が実現!」という感じで。トゥアレグ族伝統の青い衣装を着て、青いターバンを巻いたんですが、本当にきれいな、独特の青なんです。現地の人がよく言っていましたが、女は目だけ出しているので、全員美人に見えるって(笑)。

*1 一日五回行われるイスラムの礼拝の時刻を知らせる呼びかけ。
*2 イスラム暦の第九月で、断食月。一ヵ月間、日の出前から日没まで飲食・性行為を断つほか、虚言・悪口・怒りを避ける(『広辞苑』第五版より)。
(続きは本誌でお楽しみください)
【村山由佳 著】
『遥かなる水の音』(単行本)
11月26日発売
定価1,575円
プロフィール
村山由佳
むらやま・ゆか●作家。
1964年東京都生まれ。著書に『天使の卵 エンジェルス・エッグ』『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズ『翼 cry for the moon』『星々の舟』『ヘヴンリー・ブルー「天使の卵」アナザーストーリー』等。『ダブル・ファンタジー』で島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞の三賞を受賞。
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