青春と読書
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特集◆いま、歴史時代小説が熱い!
対談 フラット化する世界における言葉 谷川俊太郎×山崎ナオコーラ
谷川俊太郎さんの新刊のタイトルはずばり『詩の本』。単行本未収録の詩に書き下ろしを加え、いくつかの詩にはご自身のコメントがついています。谷川さんが本格的な詩作を開始してから六十年。そうした歳月がかたちづくった結晶のようなものがこの本からうかがえます。山崎ナオコーラさんの新刊『ここに消えない会話がある』(集英社刊)は、「詩みたいに小説を書きたい」と思って書かれた作品。お二人の詩と小説をめぐる「会話」を、お楽しみ下さい。


●混ざり合う文学言語と日常言語

山崎 『詩の本』って、すごく大きなタイトルですね。
谷川 なんかちょっと変わったタイトルにしたかったんですよ。前に『歌の本』(『谷川俊太郎 歌の本』、二〇〇六)ってのを出したから、今度は「詩の本」にしようか、みたいなね。
山崎 そうなんですか。ちょっと挑戦的にも見えますね。
谷川 ぼくは、意識下のあまり言語化されていないところから詩を書いているとこがあるわけ。だから題名にしても、ここがこうだからこうだと理詰めで考えるわけではなくて、ぽこっと「詩の本」というのが浮かんで、これ、タイトルに使えるなという感じなんです。それをあとから解釈することは可能なんですけど、それやってもあまりおもしろくない。
ただ、いま街の書店とかネット上の書店とかにものすごい数の本が溢れてるじゃないですか。その中でそれぞれ工夫されたタイトルが付けられているけど、「この本は詩の本だよ」っていってるのはあまりないから、ちょっと冗談っぽく「詩の本」にしてみたらどうかしらみたいなところはありましたね。『歌の本』を出したときには、これは自分の作詞した歌だから、わりと自然に付けられたんだけど、今度のは、おっしゃるようにやや挑戦的というか、あるいは詩はディスプレイ上で読まないで印刷されたもので読んだほうがいいよ、という気持ちも籠っているのかもしれない。
『ここに消えない会話がある』とか、山崎さんの本の題名も詩的な発想から出ているようなのが多いよね。
山崎 詩というか……。「一行目」という意識ですね。なんとか一行目を読んでもらって、その次の文(本文)を読んでもらいたい。フレーズとして魅力のあるタイトルにして、まずは表紙をめくらせたい、と、そういう風な気持ちがあります。
谷川 書かれたものを少し読ませていただいて、詩と散文の境界が曖昧になっているのがおもしろいと思いました。われわれ、というかぼくだけかもしれないけど、どうしても詩と散文を分けて考えたくなる。形の上だけじゃなくて、詩的な次元と散文的な次元というのが実人生の中にもあるというような考え方をぼくはしてるんです。もちろんそれは明確に分かれているわけではなくて、重なりあったりしているんだけれども。
山崎 私は、日常がすべて詩のような気分です。私は子どもをまだ産んだり育てたりしていないから、自分自身の人生ってあまりなくて、今は文章を書くのが全部の生活って感じで。友だちと喋っているときもポエティックなつもりですね、意味なんてなくて、語尾だけで会話しているような。
谷川 ぼくなんかは詩と散文を分けて考えないとうまく考えが纏(まと)まらないようなところがあるんだけど、山崎さんの文章を読んでいると、そういうところを全然意識しないで書いているなという気がしたんです。詩と散文を区別するような意識とかあります?
山崎 詩みたいに書いてみたい、書けるんじゃないかっていう期待を込めて小説を書いているところはあります。
谷川 詩も書いているの?
山崎 いえ、詩は書きません。
ただ、小説の文章は口語で書いているけれども、自分としては言語芸術として研ぎ澄ませているつもりだから……。
(続きは本誌でお楽しみください)
【谷川俊太郎 著】
『詩の本』(単行本)
9月4日発売
定価1,785円
【山崎ナオコーラ 著】
『ここに消えない会話がある』(単行本)
発売中
定価1,115円
プロフィール
谷川俊太郎
たにかわ・しゅんたろう●詩人。
1931年東京都生まれ。詩集『二十億光年の孤独』でのデビュー以来、翻訳、劇作等ジャンルを超えて活躍。著書に『日々の地図』(読売文学賞)『シャガールと木の葉』(毎日芸術賞)『トロムソコラージュ』、監修『白い乳房 黒い乳房』等。
山崎ナオコーラ
やまざき・なおこーら●作家。
1978年福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞しデビュー。著書に『浮世でランチ』『カツラ美容室別室』『論理と感性は相反しない』『手』『男と点と線』『モサ』(荒井良二氏との共著)、エッセイ『指先からソーダ』等。
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