集英社から初の単行本刊行となる森見登美彦さん著『宵山万華鏡(よいやままんげきよう)』は、京都の祗園祭を舞台に繰り広げられる奇怪で痛快な森見流ファンタジー小説。連作六話が収められた本書にはこれまでの作品とリンクする人物も登場し、ファンにとって待望となる本作品について、ご自身の個人的な体験談などもまじえてお話ししていただきました。
――『宵山万華鏡』は森見作品ではおなじみの京都が舞台ですが、宵山と言われる祗園祭の夜の出来事が描かれています。宵山には特別な思いをお持ちだったのでしょうか。
僕は大学時代から京都に住んでいますが、宵山については観光客くらいのレベルで、特に知識があったわけではないんです。宵山のことを正統な方法で書くとしたら、由来とか保存会の仕事とか調べなければならないと思うんですが、そういう書き方が苦手で(笑)。ただ、オフィス街が急に祭りになっていく感じや、街中に祭りがあふれてどこまでも続いていく感じにひかれたんですね。もちろんワクワクするんですが、どこか得体のしれない、不穏な感じもする。それで今回は、自分が宵山にふらりと紛れ込んだときの印象やそのとき抱いた妄想を、現実に起こっていることとして書こうと思いました。
――六話が収められていますが、人込みで女の子がはぐれる話と大学生たちが偽祗園祭を作る話、画家の娘が神隠しのようにいなくなる話の三つに分けられます。それらが少しずつズレたり繰り返されたりしながら、物語全体が展開していきます。
ズレと繰り返しは『四畳半神話大系』や『きつねのはなし』にも出てきますが、そういう方法をとるのは単純に面白いから。また僕はメチャクチャな話にすることが多いので(笑)、メチャクチャな話でも複数の視点から語れば、説得力が増すということもあります。この作品に限らず、僕の小説には同一人物と思われる人があちこちに出てきたり、同じような出来事が起きたりしますが、必ずしも整合性があるわけではないんです。そのあたりは厳密にやらないほうが世界が多重になる感じがするし、風通しがいいような気がします。
――確かに、ひとつの物語世界の背後にいくつもの世界があるという気配を感じます。
こういう考え方は藤子・F・不二雄さんのマンガで読んだ並行世界(パラレルワールド)の影響をすごく受けていますね。子どもの頃、「そういう考え方があるのか」と感動したのが、今も感覚として残っているんです。それに、そもそも僕が小説を書く人間なので、ものの見方が重層的になるのかも。自分のことも、どこか俯瞰して見ているようなところがあるんです。デビュー作の『太陽の塔』の主人公はある程度僕がモデルですが、あのときは自分を俯瞰して見ることで、笑い飛ばしてしまおうと思った。単純に、物事をそういうふうに見たいんですね。
――四話、五話からは、宵山の最中に娘がいなくなったことにショックを受けた画家が、「大変なことになってしまった。娘がそばにいたあのときに戻りたい」と思う気持ちが切々と伝わってきます。だから宵山が繰り返し訪れるのも、「もしかしたら戻りたいと願いすぎて本当にそうなったのかも」という気がしてきます。
書きながら「この話は僕が書くにはつらすぎる」と思いはしました。僕は今まで、笑える話と怪談話の両極しか書いてこなかった。普通の感情にまつわる話を書いた経験があまりないので、あれでよかったのかとちょっと不安なんですが。
――ものすごく伝わってきました。ちょっと手が離れただけで、運命が変わることの残酷さが痛いほどに。
実はこれは、僕の体験がベースにあるんです。昔、家族で川に遊びに行ったとき、弟が流されかけたことがあって。僕が手をつないでいたので大丈夫だったんですが、弟のサンダルが流されていくのを見て「もし手が離れていたら……」と、ものすごくこわくなった。あのときの実感が今も残っているんですね。
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(続きは本誌でお楽しみください) |
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【森見登美彦 著】
『宵山万華鏡』(単行本)
7月3日発売
定価1,365円 |
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森見登美彦
もりみ・とみひこ●作家。
1979年奈良県生まれ。著書に『太陽の塔』(日本ファンタジーノベル大賞)『夜は短し歩けよ乙女』(山本周五郎賞)『新釈走れメロス他四篇』『有頂天家族』『恋文の技術』等。 |
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