心とは何か。その心を生み出す脳とは何か——島田雅彦さんと茂木健一郎さんのお二人が、オペラ、タタラと刀鍛冶、多言語鑑賞会など、自ら様々な現場に立ち会い、生きることの感覚(クオリア)を新しく紡ぎ出そうという新機軸の対談集『クオリア再構築』(「すばる」連載)が発売されます。
一年前に韓国で会われて以来というお二人。ニューヨークから帰国されたばかりの島田さんから、まず口火を切っていただきました。
●経済における多様性の問題
茂木 どうでしたか、ニューヨークは。
島田 行ったとたんに恐慌ですよ。リーマンが破綻するらしいというのは、実は去年の四月の段階で知っていたんですよ。別に得はしていないけど。
茂木 友達とかに聞いて?
島田 そう。その人は二〇〇七年の段階でファンドを閉じちゃった。リーマンが崩壊したとき、リーマンの社員が「何にも知らないぼく」みたいな顔してオフィスから私物を持って出てくるのが一番象徴的な画像としてニュースになってたでしょ。あれを見たとき、本当に何も知らなかったのって思ったけど、社員でさえ知らないものなんだなと思い直した。
茂木 面白い問題ですね。何かが崩壊するとき、どうしてその予兆が捉えられないのか。
島田 当事者なのに捉えられないってどういうことなのか、ずっと考えていた。
茂木 結論は出た?
島田 経済は極めて間違ったセオリーに基づいた営みで、偶然が大きくかかわっているにもかかわらず計画的だと思われている。つまり、それを計画的に見せる設計者がいるんですよ。実際、その設計者は損せずに、設計図通りに動かされた人々は全員損している。要は陰謀なんだよ。
茂木 ぼくは情報の偏在ということが常に問題なんだと前から思っている。たとえば『鏡の国のアリス』の「赤の女王」がアリスに、「この国ではずっと走ってないと同じ場所にいられない」というわけだけど、「赤の女王」みたいな世界って実際にあるんです。そこでぼくが直感的に思ったのは、投資とかそういうことについて一般に出ているような情報——日経でもブルームバーグでも——に基づいて投資するのは愚の骨頂だ、と。
ファッションも同じでしょう。ファッション・リーダーがいてフォロワーがいて、フォロワーが追いつくとリーダーはもう別のところに行ってる。要するに、トレンド・リーダーがいたところにフォロワーたちが行くときにはリーダーはすでに先に行っちゃっていて、フォロワーたちは永遠にフォロワーであることを運命付けられているみたいな。まあ、ぼくみたいにケンブリッジ仕込みの、トレンドをまったく気にしてないファッションというのは楽ですけどね(笑)。
何か情報に躍らされて流行なり何なりを追いかけていくということがどうしても起こってしまう。そこで大事なのは、やはり身体的な手応えなんですね。連載の二回目だったかな、出雲のタタラ場に行ったよね。熾火(おきび)の灰をかきわけた瞬間、内側から発する金色が見えた。あそこで黄金を見つけたのは感動したね。
島田 元祖錬金術。錬金術といえば美術のオークションの世界なんかもまさにそれでしょ? ついこの間まで村上隆の作品に十六億もの値段がついていたけれど、あれなんかも鑑賞したくて買っているというよりは投機だから、みんな倉庫にしまっとくわけです。そういう投機が破綻し、次のトレンドはどこに行くのかなと思ったら、中国が面白い論理を出してきた。
要するに、海外流出したオールドマスターズを中国の富豪が買い戻すわけだけど、そこにナショナリズムがついてきて、略奪されたものを取り返すのは当然の権利だというような話になる。
茂木 金払わないとか。
島田 金を払ったとしてもいずれ元は取れると思っている。なぜかというと、お金のあるうちに買っておいて、それを国家に寄付するとかして自分たちの儲けを還元する、あるいはナショナリズムに貢献するとかいうような使い道がある。
ニューヨークを去る直前にクリスティーズのオークションの結果を聞いたら、中国ものは九割九分売れたけど日本ものはほとんど売れ残ってしまったというんですよ。美術一つとってみても、それに向けて政治的な意図なり目的なりがはっきりしている中国と、そういうものが一切あいまいで、方針が立てられない日本とではだいぶ違うなと改めて思った。中国はそういう意味では市場原理中心の新古典派経済学や新自由主義の影響から遠いところにあるので、仮にそこに連動して株価が下がったとしてもあまり堪(こた)えない。経済においてさえも多様性の確保というのは死活問題で、みんながアメリカ式の原理に従ってしまったら総崩れになるに決まっている。だから、それとまったく違う経済原理を持っているか持っていないかというのは大きいね。
同じようにロシアもまた復活するでしょう。連邦崩壊の後にイギリス式の錬金術が入ってきたときは、それに牛耳られそうになって危なかったんだけれど、ここにきて社会主義時代の国家独占資本主義が回収することで危機を免れた。要するににわか成金のものになったエネルギー産業の会社を再国有化するというようなことで復活してきたわけ。これもやっぱりアングロサクソン風の経済学とは違う方針を採ったので未来が確保されたんですよ。だから、米英が中心になって進めていた単一の経済システム自体が崩壊した現在、それとは異なる経済システムを再構築して、いかにこの不況から頭一つ抜け出すかという競争がすでに始まっている気がします。
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(続きは本誌でお楽しみください) |
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【島田雅彦/茂木健一郎 著】
『クオリア再構築』(単行本)集英社刊
6月26日発売
予価1,680円 |
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島田雅彦
しまだ・まさひこ●作家。
1961年東京都生まれ。著書『彼岸先生』(泉鏡花文学賞)『自由死刑』『退廃姉妹』(伊藤整文学賞)『カオスの娘』等。 |
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茂木健一郎
もぎ・けんいちろう●脳科学者。
1962年東京都生まれ。著書『脳と仮想』(小林秀雄賞)『クオリア降臨』『欲望する脳』『思考の補助線』等。 |
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