浅田次郎さんの最新刊『ま、いっか。』は、懐の深いダンディズムに貫かれた充実のエッセイ集。頁を繰るごとに、作家自身の人生から紡ぎ出された箴言(しんげん)が心にひびきます。
今回の対談のお相手は日本在住二十年、ナポリ出身のイタリア人パンツェッタ・ジローラモさん。古いものを慈しみ、美しいものをこよなく愛する二人の対話は、建物をめぐる日本とイタリアの文化の違いから、江戸ッ子とナポリっ子の美意識の共通点まで、尽きることなく繰り広げられました。
●イタリアの景色、日本の景色
――ジローラモさんはナポリ建築大学で学ばれ、古い街全体の修復プロジェクトなども手掛けられたそうです。
浅田 そうなんですか。では日本の古い建築などもよく見てらっしゃるでしょう。
ジローラモ 東京の都市建築でいうと、目黒雅叙園の和洋折衷の建物がとても美しいです。昔は田園調布や成城などに和と洋の美しさを自然にミックスしたすばらしい建物があったのですが、遺産相続の問題などでどんどん取り壊されていきました。きれいなものが失われてしまうのはとても残念ですね。
浅田 来年には歌舞伎座も壊されてしまいます。オフィスビルを建てて、その中に新歌舞伎座を収めるという構想ですが(*)、いったい何の意味があるのか。僕は猛然と反対しているんです。日本人の悪い癖ですが、元々日本の家屋は木と紙でできていて、自然に劣化して壊れていくものだったため、古いものを壊すことに躊躇がないんです。でも、たとえ木造でも京都のお寺は何百年も美しく残っているわけで、ましてや現在の歌舞伎座はコンクリート造りなのだから、わざわざ壊すことはないだろうと思うんですが。いまの日本人はまず金儲けが先に来ちゃうんですね。悲しいことです。
ジローラモ 私は仕事で全国各地に行くことが多いのですが、「町の様子が変わらない」と言われている京都でさえ同じ問題がありますね。収入の少ないお寺はどうやって維持していこうかと困っているし、古い通りに建つ家なども相続税が払えなくて、結局取り壊されて跡地に美しくないビルが建つ。もったいないと思いますね。
浅田 ヨーロッパでは古い街は旧市街としてそのまま残して、別の場所に新市街を造る。これが当たり前の考えですよね。日本は土地が狭いせいもありますが、そういった考えが全くありません。
ジローラモ それは日本に来て最初にびっくりしたことですね。どうしてこんなに美しいものを壊していくんだろうと。
住む年月につれて、日本的な考え方や文化を少し理解できるようになりましたが、心の中ではやはり抵抗があります。なぜかというと、イタリアに帰ると、子供の頃の思い出の景色がそのまま残っていて、「あ、昔あそこで転んだな」とか、散歩中に思い出すことが多いんですね。でも日本人の家内にはそれがない。「あの辺で生まれた」と言っても当時の建物は何もなくて、思い出の場所を想像するしかないんです。古いものがそのまま残っているということは、ロマンティックでラッキーなことだと思いました。
浅田 そのとおりですね。僕はイタリアに初めて行ったとき、こんなに古いものが残っているのかと衝撃を受けました。イタリアだけではなくヨーロッパ全体がそうだから、スクラップアンドビルドを繰り返す日本が特別なんだと実感しましたね。僕が中学一年の頃ですが、東京オリンピックを境に古いものがすべて壊され、子供時代に見た東京の景色はほとんど残っていません。ふるさとがないんです。
ジローラモ 東京は不思議な街だと思いますね。ヨーロッパの場合は古い街を中心にして周りに新しい街を造るのですが、東京には新宿、渋谷、池袋……と中心がたくさんあって、しかもその中心がしょっちゅう動いているでしょう。私には街が動いているように見えます。
浅田 たしかにそうかもしれません。この間までは六本木ヒルズが中心だったけれど、今はミッドタウンが中心みたいになっていますからね。
ジローラモ 街がそんなふうに動くのは経済の事情もあると思いますが、私たちは人間なのだから、経済だけではなくて、もっと人間の心を喜ばせることを大切にしなくてはいけないと思うんです。イタリアの場合は、それがいいかどうかは別にして、多くの人は古いものがずっと残っている街に暮らして、地元で学校に通い、仕事を見つけて、結婚をして……という生活をしています。経済に振り回されない、人間らしい生活です。日本も地方に行くと、美しい場所がたくさんあって、食べ物も美味しくて、人にも余裕がある。余裕があるから考えていることも面白い。もちろん東京はいろんな人にチャンスがあるという意味で特別な場所ですが。
浅田 大阪や名古屋、そのほかの地方都市もローカリズムといいますか、自分たちの生活や文化を大切にする空気がありますが、東京にはそれがない。なぜかというと生粋の東京育ちがあまりいないからです。地価が高くなり過ぎて、少し離れた場所に住んで東京に通う人が増えたので、街への愛着がなくなったんですね。日本の地方に行くと楽しいでしょう。食べ物も様々で。
ジローラモ すごく楽しいですね。東京にいれば何でも食べることができますが、実際に、例えば福岡に行って地元の店でラーメンを食べたり、京都に京野菜を食べにいったりするのとでは全然意味が違います。旅と食べ物を通して日本のことがもっとよくわかるようになりました。
最近の旅で一番感動したのは伊勢神宮です。
浅田 おお!
ジローラモ これまでもいろんな場所に行きましたが、伊勢神宮には本当に驚きました。あんなに素晴らしい場所があるなんて! 神社は日本人にとって大切なものですから、どこでも守られていますが、伊勢神宮は守られ方が違うと雰囲気で感じました。
*対談収録後に発表された歌舞伎座建て替え計画案によると、
今の歌舞伎座は解体され、高さ150メートル(29階)のオフィスビルと新しく建てられる歌舞伎座を併設した複合ビルが建設される予定
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(続きは本誌でお楽しみください) |
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【浅田次郎 著】
『ま、いっか。』
2月26日発売
定価1,470円
単行本 |
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浅田次郎
あさだ・じろう●作家。
1951年東京都生まれ。95年『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞、97年『鉄道員(ぽつぽや)』で直木賞、00年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、06年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞と司馬遼太郎賞、08年『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。 |
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パンツェッタ・ジローラモ
Panzetta Girolamo●1962年イタリア、ナポリ生まれ。
ナポリ建築大学卒業後、政府からの依頼で歴史的建造物の修復に携わる。88年より日本在住。著書に『ジロマニア〜オトナの男のスタイルブック〜』『ジローラモが太鼓判を押す イタリアン 本場の味』等 |
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