青春と読書
青春と読書
青春と読書
特集 ディテールに酔え「原ワールド」
巻頭エッセイ 『聖家族』同郷と同胞 古川日出男
 わずか半月ほどのあいだに二人の同郷人と対談した。一人は詩人の和合亮一さんで、一人はミュージシャンの松田晋二さん(THE BACK HORN)である。どちらも通常の僕の対談とは全く趣きが変わってしまった。お二人とも僕よりも年齢が若く、そのために先輩だとか後輩だとかの話題になった。さきに注釈しておくと、和合さんとも松田さんとも僕は出身校は一つも重ならない。小中高を通して。なのに、であった。

 福島県の、それも「中通り」と呼ばれる地域では、そこを出身地とする年長者は先輩で年少者は後輩。この感覚。
  そういうわけで、意図したわけではないのだが、どちらの対談もそのはじまりから酒が入り、そのまま何時間も呑みつづけた。これもまた、ここ最近の僕の対談の趣きとは全然違う。なんかこう、ミニチュアの福島県を卓上に囲みながら酒を酌み交わしているなぁ、といった雰囲気だった。対談はだいたい初対面で行なうのが常で、僕は相手が僕の著作とかそれこそ顔とか、いっそ職業とかを知らないでもオーケーというスタンスなのだが――その手の対談もこの一年のあいだにしている――、和合さんも松田さんも僕の作品を読んでいて、真摯にコメントを語ろうとしていて、これもまた「後輩よ!」と思わず熱くなる部分があった。
 と同時に、「いやいや、俺の本の話はいいっすよ」とどうにか冷静に引こうとする部分も自分の中にあるにはあったのだが。それでも、ああ福島県人でバーチャル後輩だから、なんかこの趣きと温度なんだよなぁと了解してしまったし、僕の内側のバーチャル先輩(の人格)も喜色満面ではあった。そしてもう一つ、僕の著作の話題が不可避である理由があった。今年、僕が『聖家族』と題された、東北六県を舞台にした大長編をリリースするためだった。
 当然、和合さんにしても松田さんにしても、「どうして今度の小説(『聖家族』)は東北が主題なんですか?」と訊く。
 対談相手でもあるバーチャル後輩に訊かれたのだから、バーチャル先輩としては真摯に答えざるを得ない。まず言えるのは、自分がずっと出生地を書こうとはしていなかったこと。僕の作品には東京が舞台のものが多いのだが(とはいえデビュー作は東京とアフリカ中央部とカリフォルニアの三都市ならぬ三地点物語で、最初に賞をいただいた作品はアラブが舞台だ)、これは東京のほうが「いま書きたい、書かねばならない」主題をリアルに発見しつづけられていたからだ。郷里という主題は、全然リアルではなかったし、「一人の作家がその郷里を描き出すのは文学的な必然」との潮流というか小説世界の“絶対”の価値観にも、なびきたいとは思わなかった。
 しかし、ここまで郷里を書かないでいるということは、むしろ書いているのと同然なのではないか?
 結果的に“郷里的なもの”を避けることで、それを――ここまでの十数冊の著作を費やして――浮き彫りにしてしまっているのではないか?
 そう、自分は結局お釈迦様の掌にいる、と気付いてしまったのだ。
 だとしたら、その掌を描写し尽くすことで、掌の外部に出るしかない。
 無意識にめざしたのは、いずれは作家としてお釈迦様と同じ大きさ(お釈迦様の等身大)になって、お釈迦様とガチの対決をすることなのだろう。そんなの、あと三十年書きつづけても実現できるかどうかはわからないのだが。しかし、やはり、それは僕という作家にめざされているのだろう。
 こうして出生地は書かれることが決まった。が、出生地とは何か? 僕は福島県の郡山市に生まれているが、市街地の内側ではない。では、その市街地の外側……鄙(ひな)なる田園地帯を描けば、それで目論見は達成されるのか? だが、視点をミクロにすればするほど、相対性は失われる。これでは「郡山の街なかvs.俺の生まれた田舎」程度の器の小説にしかならない。郡山市の全域を舞台にしても、せいぜい「歴史ある会津vs.歴史浅き中通りの郡山」程度の構図で、福島県内に限定されたスケールで終わってしまうかもしれない。それでは福島県の全体を持ってくると?
  どうだろう、いったい日本各地にどの程度、正確に「福島」と「福井」と「福岡」と「徳島」の区別がつけられる人がいるのだろうか。
 不安だ。
 そもそも福島県が東北地方に属していると、誰がわかっているのか……とウジウジ思案しはじめたところで、たぶん僕は鉱脈を掘り当てた。東北。六つの県で構成されている、日本の東北地方。それだ。どうして東北地方が“東北”なのかといえば、日本の中心から見た場合に東と北とのあいだに当たる方角にあるからだ。つまり“東北”といった瞬間に、相対的に浮上するのは中心なのだ。日本そのものなのだ。
 東北を書けば、日本が書ける。
 東北六県を主題にするだけで、日本が撃てる。
   これこそが自分にとって真に“出生地”を描き出すということだ。
 郷里にむきあうだけで日本史まるごとを標的(ターゲツト)にしつづける小説を、それから、僕は書いた。むろん
 東北六県には福島県も郡山市も含まれるから、それも書いた。あまりのスケールの大きさに、執筆初期、媒体は三つ用意した。一つは『すばる』で、ここでは二年強のあいだに「文学の世界レベルの最新モデル」を三種類呈示することを――言うまでもないが無謀な、決死の――目的とした。二つめが『小説すばる』で、ここには東北六県の都市カタログ的な連作を載せようと意図した。それぞれの作品では東北に内蔵されている“地獄”を読者に示したかった。三つめは本誌『青春と読書』である。ここでは純粋な連載を行ない、主題としての「ビートルズとラーメン紀行」を展開した。それも、徹底したポップさを纏わせて。
 最終的には、媒体はこの三誌にとどまらなかったし、書き下ろしも入れた。
 それから、最終的には、完成した小説は原稿用紙にして二千枚に達した。
 かつ、最終的には、削除されたシーンもあれば構想されながら書かれなかったシーンもあった。しかし、それでも、完成した。
 『聖家族』という題名が付されて。最終的にはというか、構想の最初期からこの題名で。
 いいタイトルだな、と思う。菊地信義さんの装丁のラフを見た時にも、本当に、他人のようにそう思った。自分が生まれる場所に絶対に用意されているのが“家族”という器で、それに聖という冠を付けること。それが付けられているタイトル。この本に、羽が生えて翔(と)べばいいな、とも思う。日本とか日本の歴史とか、全部の上に、バサバサと乱暴に浮かんで。そう、翔べ。

「古川日出男公式サイト 古川日出男と聖家族」
http://www.shueisha.co.jp/furukawa/
プロフィール
古川日出男
ふるかわ・ひでお●作家。
1966年福島県生まれ。98年に『13』でデビュー。著書に『アラビアの夜の種族』(日本推理作家協会賞、日本SF大賞)『サウンドトラック』『ベルカ、吠えないのか?』『LOVE』(三島由紀夫賞)『ロックンロール七部作』等。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.