青春と読書
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特集 ナツイチ
対談 事実はマイノリティに宿る 帚木蓬生×上川あや
 インターセックスとは、古くは両性具有と称されたが、外性器の形状や生殖器、染色体が男女の一方に分類できない人々のこと。
そこには十数種の病態が含まれ、狭義にみつもっても五千人にひとり、広義の病態も入れると百人にひとりの出生頻度で出現する。


 帚木(ははきぎ)蓬生さんの新刊『インターセックス』は、この性を生きる人たちの魂の叫びを真正面から描いた、驚愕のヒューマン医学サスペンスです。二〇〇三年二月、自ら性同一性障害であることを明らかにして、東京都世田谷区議選に出馬を表明、同年四月の選挙で見事当選を果たした上川(かみかわ)あやさんを迎えて、インターセックス、性同一性障害など、マイノリティの問題を語り合っていただきました。

●自分の常識をまず疑う


帚木 上川さんは、ご自分の本(『変えてゆく勇気』岩波新書)の中で、マイノリティの視点をずっと広げていかれましたね。性同一性障害だけでなく、在日外国人、人工肛門・膀胱使用者、ひとり親家庭など、マイノリティ全体に目配りしている。やはり、ご自身もマイノリティに属しているということで、そういう視点が出てくるんでしょうね。
上川 ええ。ただ、本の中にもちょっと書きましたけれども、私は性的な部分ではマイノリティなんですけれども、ほかの部分ではマジョリティなので、まだまだわからないことだらけなんです。ですから、基本はやっぱり無知の知で、自分の常識をまず疑うことから始めていこうと思っています。
帚木 自分が知らないところから出発するというのは、非常に同感できます。私の小説作法もそうです。知らないことだけど重要だと思ったら、その知らない自分を恥じるようにして資料を集めていきます。未知だった事実を小説の中に盛り込むことで、ああ、ここまでやったなって、ちょっとした満足感が味わえる。小説というのは、知っているところから書くものではないんです。
上川 おこがましいようですけど、私の議会質問に対する考え方とすごく似ていらっしゃいますね。
帚木 知っているところから出発しても発展はないように思います。知らないことを知る喜びは、人間の脳が持っている大切な機能です。その機能を抑制してしまうと、すべてに興味が薄れて、最終的には世の中の根幹の問題に対して「関係ない」という言い方になってしまう。これは、人間の一番腐敗した姿じゃないかと思います。何に対しても「関係ない」というのでは、何のために人間をやっているかわからない。だから、これは自分たちと関係なくはないよ、関係があるんだよということを知らせるのは、小説の大事な役割
上川 今度の『インターセックス』は、まさにそうで、私もこれを読ませていただいて、世間の無関心を打ち破る強い援軍を得た気がしました。
帚木 まずは、「インターセックス」という言葉があることだけでも知ってほしいですね。そうすれば、無関係だと切り捨ててしまう低次元から、少しは抜け出せます。
上川 言葉が知られていないというだけで、存在そのものがないことにされていくことに対しては私も疑問を持ちますし、同時に、自分もまだまだ知らない多くの問題があるはずだなと自戒させられました。
帚木 専門のお医者さんでも、インターセックスの人に接することは稀(まれ)でしょう。産婦人科医でも、一生の間に一例に当たればいいぐらいです。もちろん患者さん自らが声を上げることはほとんどない。親族も、家族も声を上げない。二十一世紀になっても医師が声を上げなかったら、誰ひとり声を上げないままで終わってしまう。実際そういう状況が何百年も続いてきたわけです。
上川 性同一性障害というと、それは多くの人は、自分から遠い問題だと思いがちですけど、本来的な性の多様性の中の一部を恣意(しい)的に切り分けているに過ぎなくて、先生もお書きになっていらしたように、こうした問題は実は必ず地平がつながっているんですね。
 ですから、自分の性同一性障害という部分だけに光を当てて紹介するだけでは私も全然足りなくなってしまって、同じ地平の上を歩いている一人の人間として見るという、自分もその多様性の中の一人なんだという視点がとても重要だろうなと思っています。


●母親のひと言で救われた

帚木 私が最初に性同一性障害の方に接したのは、精神科医になって五、六年たった頃です。高校生の男の子でしたけど、当時はまだ性同一性障害の概念自体があまりなかったんです。それで私は、その人に「それは気のせいで、三十歳ぐらいになると解決しますよ」っていってしまったんです。その高校生は、「何にもわからん医者だ」というような顔をして、えらい失望されて帰っていったんですけど、その失望した顔だけが今でも頭に残っています。それからしばらく後に、精神医学の中にも性同一性障害という概念が出てきたんです。
上川 私が自分の性が何なのかということを初めてちゃんと考えよう、自分に向き合わなきゃと思ったのが二十七歳でしたけど……。
帚木 その前がずっと長かったでしょう、迷いと苦しみは。
上川 長かったですし、世間の価値基準を自分の中に取り込んで大きくなりますから、自分を否定して、見て見ぬふりを続けてました。男から女に軸足を移した後も四年間、性別を隠してOLをやっていました。
帚木 よく我慢されましたね。
上川 進むも真っ暗、とどまるも真っ暗でしたから。ただ、今は自分が性同一性障害であるということを意識する機会って、ほんとに少ないんです。一旦自分を取り戻してしまうと、多くの人が自分の性をいちいち気に病まないのと変わらないんです。同僚議員も行政職員も、私が性同一性障害だということを、ふだんは忘れていると思います。
帚木 それはもう絶対そうですよ。でも、そこに至るまでの葛藤はあったでしょう。
上川 特に中学校へ上がってから、第二次性徴と初恋でとても混乱しました。でも、だれにも相談できなかったですね。十七歳で初めて、自分の母親にだけぽつっと、「なぜかわからないけど、男性しか好きになれない」といいましたけど、そこから十年間、二度と、いいませんでした。
帚木 お母様の意見は?
上川 「なぜかしら……驚かないわ」でした。ちょっと意外でしたけど、救われました。
帚木 ずっと接して見てきてますから、わかっていたんでしょうね。
上川 性同一性障害が一般に知られるようになったきっかけは、一九九六年の埼玉医大の答申(註)からですけど、それまでは専門家の医療者でもほとんど知っている方はいなくて、今でも性同一性障害を専門に見ていらっしゃる方は十人いるかいないかです。ですから、それまではニューハーフ、ミスターレディー、オナベ、オカマという呼び方しかできなかった。それ以外の言葉を世の中の人は知らなかったんですよね。
帚木 一九八〇年前までは、性同一性障害は性倒錯だとされていたでしょう。あれはとんでもない話ですね。専門家がそうですから、ましてや一般の方は、もう偏見のかたまりだったと思いますよ。
上川 性転換手術にしてもそれまでは違法視されてましたから、みんな隠れるように手術を受けてましたし、麻酔事故とかで亡くなった方もいます。それに、今でこそ、同性愛者の方々も、性の多様なバリエーションの一つにすぎないということで、異常とはされていませんけれども、数十年前までは、同性のポルノとかの画像を見せて電気ショックを与えたりという、嫌悪療法などをしていたんですね。
帚木 それは、インターセックスの手術と同じですよ。医師の側に、最初にどちらかの性にしないといけないという頭があるので、染色体が女性なら、とにかくペニスをちょん切っておこうとか。手術もそのほうが簡単ですし。
上川 私が存じあげている方も、戸籍上は男性なんですけど、やはりインターセックスで、子宮内膜症になったんですけど、保険制度上、戸籍上男性の人に子宮内膜症は発症しませんから、保険がきかないとのことでした。
帚木 上川さんの本にも書いてありましたけど、証明書とかで必ず男か女か、性別を書くでしょう。
上川 今でこそ戸籍の性別が変わりましたけど、そこでいつもペンが止まっていました。
帚木 そこで手が止まるという苦しみは、普通の人にはわからないでしょうね。


●関係することに意味がある

上川 今度の本で、主人公の翔子が医者としてインターセックスの患者とまっすぐに接していきますよね。私は、あの翔子の目線にとても共感できました。私は性のマイノリティとして生まれて、性を固定的に見ている世の中の目と、自分の目線とは全然違う、そのギャップを日々感じながら行動してきたのですけど、「あっ、ここに同じ目線を持った人がいる」と思いました。帚木先生は、どうやってこういう目線を自分の中で育てられたんですか。当事者とお会いになるのも、そう簡単なことではないでしょうし。
帚木 私もインターセックスの患者さんを実際には知りません。ただ、本人の手記などを読んでいると、これはものすごく切実な問題で、世の中の人がこの苦悩を知らないままでいいのかと反省させられ、小説ではその人たちに寄り添うように書きました。
上川 私は勇気を得るというか、力づけられる思いで拝読いたしました。区役所の職員たちにも読んでもらおうと思ったぐらいなんです。実際、戸籍事務とかをやっていらっしゃる職員の方々で、インターセックスという存在や性別保留ができるということをまったく知らない人も多いんです。
帚木 私が歴史を調べていて、一番ショックだったのは、ローマ法王の中にも教皇ヨハンナというインターセックスが一人いたということです。それから、自分の亭主は月一回、ペニスの先から生理があるという症例報告もある。ほんとうに、まだまだ知らないことが多いんですよね。
上川 小説の中で、翔子が「でも、(インターセックスは)正常ではありませんよね」といわれて、「その正常の定義次第です」っていいますね。私は、講演とかでもいつもいうんです。その人にとっては持って生まれた自然な体、持って生まれた自然な恋愛感情、方向性であるにもかかわらず、同性愛を異常と決めつけて、少数派の体を異常として決めつけて、変更を迫ったり、排斥したり、黙り込ませたりする、と。
帚木 「正常」とか「普通」という言葉は、別の側面から見ると、横暴な言葉ですよね。
上川 ある意味では、暴力的でもあるんです。
帚木 ただね、人間そう悪くはないなと思うのは、人間というのは損得勘定じゃなくて、正しい理屈がわかる脳みそになっているんです。だから、理路整然と真実をいわれると、人間の脳は、「ああ、そうか」といって、それ以外の行動はできなくなるシステムがあるんです。だから、事あるごとに誰かが真実をはっきり言明していかないと、いつの間にか普通だとか普通じゃないとかということで判断力が汚染されてしまう。
上川 私も自分で染められているところはたくさんあると思います。やはり、社会のある狭い地域の、一つの時代の空気だけを吸い込んで自分の価値観をつくっていますから。でも、性のあり方一つをとっても、そこに気づきを与えられるということは、置かれている少数者が解放されるし、思い込みに染められている多くの人が解放されることでもあるんですね。
帚木 この本を読んだ人が、自分のこれまでの常識をちょっと振り返ってくれるようになれば嬉しいです。
上川 小説を読む目的というのは、書評することであったり、暇つぶしだったりいろいろですけど、その動機がどうであれ、読む前の自分と、読んだ後の自分が変わるんですよね。読んだ人が変わることで、小説って初めて本懐を遂げるんですよね。
帚木 それこそが言葉の力だと思いますよ。私の、奈良の東大寺大仏建立を描いた『国銅』という小説を読んだ方が、大仏を見る目が変わりました、もう一回行かないかんと思いましたっていわれたときは、うれしかったですね。
上川 先ほど、帚木先生もおっしゃってましたけど、去年、「そんなの関係ねえ」というのが流行語になったじゃないですか。でも、人間が生きるということは、関係こそすべてで、関係することに意味があるわけですよね。
帚木 そうですよ。正しい関係の仕方を伝えることも言葉の力だし、関係ないと思っている人に関係の大切さを気づかせることも言葉なんです。これからも、言葉の力、小説の力を信じて書いていきたいですね。

(註)1996年7月、埼玉医科大学倫理委員会は、「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申を発表し、翌年5月に「性同一性障害の診断と治療のガイドライン」が日本で初めて策定された。

【帚木蓬生さんの本】
『インターセックス』
8月5日発売
定価1,995円
単行本
プロフィール
帚木蓬生
ははきぎ・ほうせい●作家、精神科医。
1947年福岡県生まれ。著書に『三たびの海峡』(吉川英治文学新人賞)『閉鎖病棟』(山本周五郎賞)『逃亡』(柴田錬三郎賞)『安楽病棟』『エンブリオ』『聖灰の暗号』等。
上川あや
かみかわ・あや●東京都世田谷区議会議員。
1968年東京都生まれ。2003年4月、性同一性障害を公表の上、世田谷区議会議員選挙に立候補し当選。著書に『変えてゆく勇気――「性同一性障害」の私から』がある。
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